四姉妹洋食店②
「カニクリームコロッケ単品とチキンソテー定食です」
宿題の解説を終えた私は、雀恵と料理を運んで、常連の瀧さんご夫妻に提供する。
毎週土曜日に午後五時の開店と共に来店してくれる。
ドアに一番近い二人掛けのテーブル席にいつも座る。
奥様は小食なのでご飯とスープはつけない。
瀧さんご夫妻は半蔵が好きだし、半蔵も瀧さんご夫妻が好き。
私くらいになると、これくらいは覚えている。
「僕が料理の名前を言いたかったのである」
厨房の方へ戻りながら雀恵が言った。
「玄恵姉さんのレシピを盗むんじゃなかったの?」
「全然教えてくれないのである」
あっけらかんとした竜恵姉さんとは違って、最年長の玄恵姉さんは無口だ。
基本的には首を縦に振るか、横に振るかで会話を済ませる。他には会釈くらいしかバリエーションはない。
高校卒業後、大学には行かず、父と一緒にこのお店で厨房に立っていた。たぶん性に合っているのだろう。
でも重度のコミュ障なので、その腕前を伝授することは恐らく不可能だ。
雀恵は厨房に立ちたいらしいし、察するに玄恵姉さんももう一人くらい厨房に人がいると助かるのだろうとは思うけれど、どうしたらいいのか測りかねているという状況だ。
それに小学生に包丁を持たせるのも危ないし、そもそも働かせるなんて本当はいけないことだ。
「見学してれば?」
私としても、雀恵がお店に立つことは反対だ。でも本人が聞かないので諦めている。
なんだかんだで、お客さんも「雀恵ちゃんは小さいのに偉いね」と言って、評判がいい。
雀恵は「べ、別に普通なのである」と言って平然を装っているけれど、傍から見ればまんざらでもない様子。むしろご満悦な表情をしている。
「瀧さん。そう言えば、お孫さん、昨日誕生日だったんじゃないですか?」
お冷のおかわりを注ぎながら竜恵姉さんが言った。
「あら、そうなの。一歳になったのよ。覚えていてくれたの?」
「ええ。去年、孫ができたって嬉しそうにお話してくださったので、覚えていました」
そう言って竜恵姉さんは「うふふ」と笑った。
出た。人たらしの竜恵。
普段はとぼけた感じなのに、いざという時や、これというポイントはしっかりと押さえていて、人の心をグッと掴む。
学生時代は相当モテていたらしい。今は亡き母譲りの性格。うらやましい。
そんなことを思っていたら、ドアが開き、お客様が来店した。
「「「いらっしゃいませ」」」
三人声を合わせて言った。一人は語尾に「なのである」が付いていた。
「予約した水野です」
「お待ちしておりました」
竜恵姉さんが“予約席”と書かれた二つの四人掛けのテーブルに案内をする。
たまに来店する、草野球のおじ様たちだ。九人制の野球チームなのに八人で来店するので、来るたびに不思議に思う。
雀恵がコップに水を入れてトレイに乗せている。
私も仕事をしなくては。
大体いつもハンバーグを食べているので、プレートに付け合わせのブロッコリーとトマトとコーンを乗せておく。
「僕がやりたかったのである」
「雀恵はお冷を運んでたでしょ?」
「でも、それもやりたかったのである」
「はいはい、わかった。じゃあ次はやってね」
「わかったのである」
玄恵姉さんに視線をやると、首を大きく縦に振った。たぶん「次はよろしく頼むぞ」という合図だろう。
「虎ちゃん、雀ちゃん、手伝ってくれる?」
竜恵姉さんがカウンターごしに手招きしていた。
八人分のドリンクのオーダーが入ったので、手一杯になっている。
広くもない店内だけれど、お客様を待たせるのは嫌なので、割に合わないウェイトレスの数。
経営的には人件費がかからないというのが一番のポイントかも知れない。
私と雀恵でドリンクを運ぶと、おじ様たちは「今日もお疲れさまでした。次こそ勝ちましょう」と言って乾杯をしていた。どうやら負け越しているようだ。
そんな中、黙々と料理を仕上げる玄恵姉さん。
私は次々と出来上がった料理を運んでいく。
何人かはビールを頼んでいたので段々と盛り上がっていた。
玄恵派か竜恵派で、どっちが好みか話をしている。
姉二人はどっちもスタイルがいい。ミステリアスな玄恵姉さんか、明るい雰囲気の竜恵姉さんかで、議論が交わされている。
いや、私は? ぴちぴちの高校生だけど?
姉二人に敵対心を燃やしていると、滝さんご夫婦が席を立った。
雀恵はレジ打ちもやりたいと言ったけれど、さすがにこれはやらせるわけにはいかない。
「今日も美味しかったです」
そう言って瀧さんご夫妻はお店を出た。
「ありがとうございました」
「またおこしを、なのである」
雀恵と二人で頭を下げていると、瀧さんご夫妻と入れ替わりでお客様が来店した。
スーツを着た中年の男性で、初めて見る顔だった。
アルコールの匂いがしたので、どこかで飲んでから来たのだろう。
「いらっしゃいませ」
なんとなく嫌な感じがした。
雀恵もそう察したのか、挨拶をせずに厨房へそそくさと行ってしまった。
半蔵も男を睨むように警戒しているのがわかった。
「ここが噂の“カミカワ”か」
どこかでうちのお店のことを聞いたのだろうか。
良くない噂じゃなければいいなと思いながら、カウンターにお通しする。
お冷を竜恵姉さんが持ってくると「とりあえず、瓶ビールちょうだい」と男は言った。
「かしこまりました」
竜恵姉さんが瓶ビールとコップを「どうぞ」と言ってカウンターに置いた。
「おい、注いでくれないのか?」
男が言った。
「ええ、そういったことはしておりません」
「じゃあ隣に座ってくれよ」
「すみません、そういったこともしておりません」
「なんだよ。美人がいるって聞いてきたのによお。つまんねえ店だな」
男が怒鳴るように言った。
さっきまで賑やかだった店内が静まり返った。
草野球のお客様が一人立ち上がった。たしか小倉さん。
たぶんそういう客が気に入らないのだろう。
酔っぱらった男に向かって行った。
「てめえ、ここはそういう店じゃねぇんだよ! 金は要らねえから出てけこのやろう!」
掴みかかりそうな小倉さんを制して、私は酔っぱらった男に怒りをぶつけた。
半蔵も立ち上がり、威嚇をしている。
「え……」
酔いが醒めたのか、次の言葉が見つからないのか、酔っぱらいの動きが止まった。
「荷物まとめて早く出てけよ!」
「あ、は、はい。すみませんでした」
そう言うと、男は逃げるようにして店を出ていった。
「よ、よかったね」
小倉さんがそう言って席に戻っていった。
その姿を見て冷静になる私。
「さすが、虎姉なのである」
雀恵は小さく拍手をしているが、私は後悔しかない。
またやってしまった。
うちのお店を大切にしない客が私は嫌いだ。それが大きく出てしまう。
いつもことが過ぎてから冷静になって恥ずかしくなる。
今回もそうだ。
あの男の言動が気に入らなかった。ここはそういうお店じゃない。ただの洋食店なのだ。
「竜恵姉さん、もう上がってもいい?」
「ありがとうね、虎ちゃん。もうお店は大丈夫だと思うから休んで」
私は“カミカワ”と刺繍のされたエプロンを脱ぐと、部屋に戻った。
小倉さんの「俺は恵虎派になろうかな」と言う声が聞こえた。