69話 源流で起きた奇跡
言葉を言いきることなく、私は宙に投げ出された。
「メーラ!」
急激な落下の重力に息が詰まる。
少し離れた所で同じように落下するアパゴギが吐き捨てるように笑った。
「やっぱ離れなきゃ良かったなあ」
本当入れ込んでるなと全部言わないまま、私たちは激しい水の中に落ちた。
北の地は国境であるイディッソスコ山からの恩恵で水源が豊かだった。蛍を見られる渓流から激しい源流まで様々。その激しい源流の一つが私が落ちたこの場所だ。
「……っ」
岩場を避けて落ちたからか、落下の衝撃ではなにもなさそう。ただこのまま流れていたらどこかで岩場に叩きつけられる可能性もある。なるたけ早く流れから脱出しないと。
「メーラ」
呼ばれると同時に水面へ引き上げられた。
流れの強さが変わらず荒れている中、私を抱き上げてくれたのはレイオンだった。
「な、んで」
追って飛び込むなんて。
雪解けで水量も多く流れが急なこの時期に岸辺から助け出すのは難しい。だからといって一緒に飛び込んだところで泳いで自ら岸辺に行くのも困難だろう。
この場合、落ちた私を見捨て暫く進んだ助けやすい場所で救助するぐらいしか選択肢がないはずだった。なのにいとも簡単にレイオンはこの源流に飛び込んで私を抱えている。
「もう離れたくない」
うるさいぐらいの水の音と独特の圧迫感で水を飲んでばかりの私をなんとか水面に押し上げるレイオンが苦しそうに訴えた。
もう失いたくないと加えて力を込めてくる。そんな泣きそうな顔をされたら、離して私を見捨てろなんて言えないじゃない。
「岸へ」
泳いでいこうにも水流が激しいしのに加え、岩場だらけで適した場所がない。
このまま流されるだけだと、いくらうまく水面に出ていても水を被るばかりで、こちらの体力が削がれていくだけだ。別の方法を考えないと。
「っ」
このままだと二人溺れてしまう。一歩間違えるとレイオンが私だけを助けて自分を犠牲にする、というのも考えられる。この人そういうこと平気でするもの。それだけは避けて二人だけで助からないといけない。私だって彼を失いたくないもの。
「レ、イオ、ン」
二人一緒に助かる術を考える。
運がいいことに未だ岩場に叩きつけられていない。今こそ、どうにかしないと。
「?」
濁流で視界が悪い中、光が見えた。
彼の手だ。私が巻いた刺繍入りのハンカチが光っている。
「え?」
このハンカチにはなにも仕込んでいない。
なのに明らかに魔法がかかったかのような反応をする。
「これは……」
レイオンが自身の手を寄せ確認した。
刺繍の模様が光っている。
彼の手をとり刺繍に僅かに触れると、光は纏まり柱になって空へ抜けた。
「え?」
「!」
「レイオン?」
彼の表情が変わった。戸惑いと驚きが混じっている。
刺繍からの光の柱は消え、今では刺繍の模様だけが僅かに光る程度だ。
その中で、私を抱く彼の腕の力が強まる。
「メーラ、離れないで」
「え、う、うん」
「不思議な感覚だが……やってみたい」
「なにを?」
こたえることなくレイオンが姿を変えた。
「フォー?」
水中で彼の背に乗っている。
あれ、待って。
大きくない?
フェンリルに到底及ばないまでも、私が乗れるほど大きくなっている。いつもの数倍はあるだろうか。
「どういうこと?!」
水中で前足を一歩踏み出すと中の水が凍った。二歩目も踏み出すと同じように凍る。数歩進むと水面に出て、水面に立つと同時に一帯が凍った。
「うそ」
少し向こうは流れの強い源流が健在だ。フォーがいるこのあたりだけが凍っている。
「っ」
水を飲んでしまっていたのか大きくむせこんだ。少し目眩もする。フォーが顔だけこちらに向けて瞳に心配の色を滲ませていた。
「大丈夫」
濡れた毛を撫でて笑うと尻尾が一度振られる。ああ、フォーだ。私の知るお気に入りの大好きな子。
また助けてくれた。
フォーに何か言おうと口を開きかけたら頭上から声がした。
「おや、面白い事になっているね」
見上げれば鮮烈な金色を称えた瞳をもつ魔物、フェンリルが切りだった崖の上から覗いている。驚きと興味が見えた。
普段西の隣国シコフォーナクセーの元聖女、現エピシミア辺境伯の元にいるのに、どうしてここに?
「フェンリル」
「聖女の気配がしたから来てみたものの……そうか君だったか」
「聖女?」
フォーという存在を出すと決めた時点で背中に絶対乗るどー!と決めていました(そこなの)
もふもふの背中に乗るのはロマン。