5話:対戦ゲーは喧嘩になる
それからは、スカートを漬け置きしながらピザを食べ、二人でゲームを始めた。しかし実力差は圧倒的。なにせ、俺は家の中でひたすら特訓していたんだ。コテンパンに京助を――と夢想していたが、現実は結構ぎりぎりの戦いを強いられていた。
こいつ、家でこっそり練習してたか? と疑いたくなるほど、京助もかなり上手い。というか、こいつ、子供のころから俺と同じくらいゲーマーだったのを思い出した。もしかして、家でもまだやってたりするのか? いや、でもこいつは俺と違って、学校に行ったり勉強したりで忙しいはずだが。
「あのさ、京助」
結局、ほとんど点差が開くことがなく、一時間ほどやったところで、俺はキャラ選択画面の状態で飲み物を取りに行った。二人分の飲み物を用意しながら、京助に聞いてみる。
「どした?」
「もしかして、家で練習とかしてる?」
「練習……このゲーム? スマブラか?」
「うん」
京助はコントローラーを置き、飲み物に口を付ける。
「実は未だにゲーム大好き。めっちゃ練習してる」
そういって、いたずらっぽく笑う。その顔が、子供の頃の京助と変わっていないことに、俺は何故か安心していた。
が、それと、ゲームで負けるのとは、話が別だ。いくら懐かしかろうと、手加減はしていられない。どうやら向こうも同じようで、ことゲームにおいては、レディファーストなんかは期待できないらしい。普通に、めっちゃ卑怯な技とか使ってくるし。こいつゲームになったら鬼畜なんだよな。
結局、ダーティプレイに走った京助の肩を、俺は何度かグーで殴っていた。
「痛い痛い、なんだよ」
京助は笑っていたが、こっちは軽く泣きそうだった。これでも結構、他のゲームの息抜きで練習していたんだが、なぜか京助とやればやるほど、どんどん点差は開いていく。こいつ、ほんとゲームに関しては容赦ねえな。
「……プレイングがドSなんだよな」
「ちょ、拗ねるなよ、香織ぃ」
そう言って、京助は面白そうに笑う。さわやか好青年みたいな見た目してるなら、プレイも爽やかに来いよ。泣くぞ。
そうして、二人ともすっかりゲームに熱中してしまっていたらしい。気が付けば、夜の8時。途中で貯め始めていた風呂も、湧いてからかなり時間が経っていた。俺の家の風呂沸かし機は優秀なので、設定している温度を保ち続けるように、追い炊きをし続けるのだが、流石にいつまでも入らないままというのは電気代、あるいはガス代が勿体無い。俺は京助に、先に風呂へ入るように促した。
「わたし、その間洗い物とかしとくからさ。先に入っちゃいなよ」
「そうか? じゃあ、折角だし、遠慮せず先に貰おうかな」
そういって、京助は洗面所に入っていった。なんだか、こうしていると昔のことを思い出す。それこそ昔は、二人して仲良く風呂にも入ったりしたもんだ。元々、親同士が知り合いであることもあってか、俺たちは昔から、お互いの家に泊まりに行ったりしていた。それに勿論、その頃は俺も男の身体だったため、二人で一緒に入浴などは、当然のようにしていた。まあ、この年にもなると、例え俺が男だったとしても、一緒に入るのには少し抵抗があるが。
「あ、この間買った入浴剤もあるから、適当に入れといて」
「うい」
「なんか、ミルクのやつ」
そうして京助が脱衣所の扉を閉めたのを確認して、俺は一拍置いてから、ソファに大股を開いて座った。そして大きく溜息を吐く。
理由は明快。特に京助の前では、女らしくしていないと、現実を改変した記憶との齟齬が生じるためである。それに、いくら俺が可愛くなったからといっても、流石にソファに大股を開いて座ったり、腹を抱えて笑ったり、そういう細かいところが男らしい女では、京助に幻滅されるかもしれないという心配故だった。まあ、京助を別に恋愛対象として見ていないから、どう思われようと知ったことではないが。大体、なんで俺があいつに一々気を使ってんだ、気持ち悪い。
けど、不思議なもんだ。昨日までは、部屋で胡坐をかいて、ぼさぼさの髪の毛を掻きむしりながらゲームに勤しんでいた俺が、ある日突然女の子だなんて。まるで素人の考えたアニメみたいな展開だな。しかし、何度も言う様に、現実は小説よりも奇なり。いくら起こりえないと思っていることでも、起こってしまったからには、それは現実だった。事実、そして下品な話、俺の股からは慣れ親しんだアレが無くなっていた。さみしい。
「はあ、いつ治るんだろ」
余った一切れのピザを口にしながら、俺は一人で呟く。そもそも、治る保証だってないんだ。でもまあ、別に可愛くなれたし、この上品な立ち振る舞いさえ慣れてしまえば、どうってことはないのかもしれないが。
とはいえ、それが難しいんだが。そして、難しいものがもう一つ。
俺は悪魔の言葉を思い出す。確か、女の子らしい体験をしないと、だっけか。現実的に考えて、女の子らしい体験といえば、なんだろう、好きな人とデートとか、そういう普通の恋愛、なんだろうか。後は友達とタピオカ飲んだり?
そこまで考えて、俺は絶望的な気持ちになった。何せ、コミュ力を母親の腹の中に置いてきてしまったのかと思うくらい、人と話すのが苦手なこの俺である。人とお付き合いなんて、それこそ、俺のことを初めから全部知っているような人でもないと、とてもじゃないが、無理な気がする。
俺のことを、全部知ってる、人。
「いやあ、やっぱシャワーだけにしといたわー」
そこで、京助の声が脱衣所から聞こえ、俺は思わずソファから飛び上がった。
「う、うん、そっか」
「そもそも、俺汗っかきだからさ、普段から湯船には浸からんのよ。ありがとな」
扉の傍まで近寄ると、京助の声が少し聞き取りやすくなる。顔をタオルで拭いているのか、時々声がくぐもるが。
「いやあ、それにしても、やっぱ久しぶりに入って思ったんだけどさ、ほんと広いよなあ。お前ん家の風呂。あ、シャンプーとか借りたー」
俺は思わず、爪を噛んだ。こっちの気も知らずに、呑気な奴だ。全く。
「ワンプッシュ100円」
「いやリアルな額やめて、マジで払わそうとしてるじゃん」
言いながら、京助は服を着て出てきた。当然だが、着替えを持ってきていないので、学生服のシャツとスラックスである。
濡れた髪の毛を、タオルで適当に拭いた後、雑に掻き上げたのだろう。水が滴り、肩を少し濡らしていた。そんな京助と入れ替わりで、俺は洗面所に入ると、ドライヤーのコンセントを繋いだ。
髪の毛セットしてなくても、風呂上りでもイケメンとか、ほんとこいつ恨めしいな。
「こっちはいいから、先に髪の毛くらい乾かせよ」
そう言って、俺は京助にドライヤーを突き出した。そんな様子を見て、初めはきょとんとしていた京助だったが、すぐにバツが悪そうに笑った。
「いやあ、でも、香織だって風呂入るだろ? 俺はいいから、先に入ってきなよ」
やっぱり。俺は心の中で確信した。どうやら、俺がすぐに風呂へ入ると思って、髪の毛を乾かすことより、洗面所、および脱衣所を開けることを優先してくれたらしい。だが、そんなことをしなくとも、髪の毛を乾かしながら、俺が服を脱いで風呂に入る方法はある。
「別に、こっちを見ないようにして髪の毛乾かしたらいいだろ?」
かくして。
京助と俺は、背中合わせになって、片やドライヤー、片や服に手をかけていた。
勿論、あの京助が言われた通り、はいそうですかとドライヤーを手に取ったわけではない。だが、俺には俺の魂胆があった。そう、なんの事はない。ただ、ゲームで俺をコテンパンにしてくれた京助に、少し意地悪をしたかっただけだ。そして、そんな俺の目論見通り、京助は耳まで真っ赤にしながら、背中を向けてドライヤーをかけていた。ざまあみろ。
俺は別に恥ずかしくないもんね。
「こ、こっち見ないでよ」
わざとらしく、おどけた口調で俺は京助をからかう。案の常、言葉を詰まらせながら、京助は肩越しに怒っていた。
「み、見ないようにしてるんだから、早く入れよ!」
あんな汚い手で俺に実力差を見せつけるからだ、バカ。俺は京助のそんな様子を鼻で笑って、服に手をかける。それにしても、髪の毛が長いと本当に面倒だな。パーカーをいつも通り脱ごうとすると、髪の毛が絡まって痛いのなんの。結局、意図せずして時間がかかる。その間も、京助はずっと髪の毛を念入りに乾かしていた。人から香るため、嗅ぎなれないような気のするシャンプーの香りが、鼻をくすぐる。
それにつられて、俺はこっそりと、京助の方を振り返った。勿論というべきか、京助はこちらには目を向けないようにして、本当に馬鹿正直に、壁に向かって立っていた。申し訳ないが、俺が京助の立場なら、とっくに首をこちらへ向けていただろう。本当に見られたくないのであれば、そもそもこんな意地悪なことをしたりしない。いや、だからといって、俺が京助に見られたいわけではないが。
「今、パーカー脱ぎ終わった」
「いや報告とかいらんのよ」
「あ、ブラも外し終わったわ」
「いやだからいらんって!」
肩を震わせ、恐らく自分の自制心と戦っているであろう京助を、体ごと見つめながら、俺は次にズボンへ手をかける。今日、今この瞬間、初めて女に生まれ変わってよかったと痛感している。なんだこれ、男をからかうの、楽しすぎるだろ。それに、自分自身、元々が男であったためか、別にそれほど恥ずかしさを感じないのも強い。
紐を解き、ゆっくりと足を抜く。ドライヤーの音も止まった静かな脱衣所に、衣擦れの音だけがただ響いている。そうして脱ぎ終わったズボンを、ランドリーボックスに投げ込んだ。
その後、風呂から上がるまで、京助がどんなドキドキハラハラとした気持ちで過ごしたのかを想像して、湯船で何度、にやけたか、その回数は数知れない。それほど俺は、京助の焦る姿を想像していた。
いやあ、あいつ、あれで意外と初心っていうか、恥ずかしがりなんだよなあ。普通の男なら、というか少なくとも俺なら、こっそり見ようとか、思うんだけど、それをしないのが京助。男同士だった時から、あいつはこういう紳士なところがあるというのは知っていたが、それにしても優しいというか、ちゃんとしてるっていうか。
髪の毛をタオルで拭きながら、俺は脱衣所の扉を開ける。人に髪の毛を乾かせと言いながら、自分が乾かしていないのは、単純に髪の毛が長すぎて乾かすのが面倒すぎるから。折角だし、それこそ京助に甘えようという魂胆である。
「ふう、気持ち良かった。ほんとに湯船、入らなくてよかったの?」
京助はこちらを振り返って、何故か安心した様子で溜息を吐く。
「よかった、ようやくまともに服着てる」
「人を裸族みたいに言うじゃん」
「いや、もしかしたらそうなのかなって」
全然大丈夫、ほんとに暑がりだから、気にしなくていいよ。といって、服をぱたぱたと扇ぐ。近くにいると、俺の使ってるボディソープの香りが漂ってきて、なんだか不思議な感覚だ。いや、まあ安物だけど、それでもこいつから香るだけで、なんだかお高い匂いがする気がする。
……待て待て、相手は俺と同じ男だぞ。なんで匂いが気になってんだ。やめてくれ、気持ちの悪い。相手が普通の男だったら、俺は今頃自己嫌悪に陥っているところだ。女なのは身体だけで十分だって。
「さ、さて、アイスでも食べようぜ」
自分の中の変な感情を振り払うように、俺は慌てて京助の元を離れる。きっと、湯上りで逆上せたんだろうか。なんだか今日1日、いろんなことがあったから疲れてるんだろう。これじゃあまるで……
「元から好きみたいじゃんか」
思わず小さな声に出てしまい、咄嗟に口を塞いで京助の方を振り返ってしまう。だが、流石は京助。はてな、と言いたげな顔でこちらを見つめ、首をかしげていた。
「なんか言ったか?」
「い、いや、何でもない」
あっぶないところだった。俺は顔が赤くなっているのを、湯当たりのせいにして、冷凍庫の戸を開いた。何食べよ。中を覗き込むようにして、自分の顔を必死に冷やしていると、すぐに頭上から京助の声が響いてきた。
「あー、俺はやっぱチョコミントにしよっかなあ」
「チョコミント? どれどれ」
袋ごと入れているため、中をごそごそと漁るが、見当たらない。そうしていると、肩越しに京助が顔を近づけてきた。
「ほら、これこれ」
「っ……!」
近いって。てか耳元で喋んなって。
冷凍庫の扉を開けているせいで、ひんやりとしているはずなのに、何故か俺の顔はとても暑くなっていた。
どうやら、相当逆上せてしまったらしい。通りで、昔からこいつのことを好きだったとか、訳の分からないことを考えてしまうらしい。男同士だったんだぞ? ありえない。
……ありえない!