3話:もう二人とも付き合っちゃえよ
「へえ、そしたらもうすぐで、15年の付き合いになるんだ、すごいじゃん!」
隣を歩く梨沙は、手を合わせて驚いた。が、改めて考えてみると、確かに15年という期間、友達というのは我ながら驚いた。それは隣の京助も同じだったようで、目を丸くしていた。
「もうそんなになるのか、俺と香織って」
「え、じゃあさじゃあさ、もういっこ気になってたことがあるんだけど……」
そこで楽しそうに笑っていた梨沙は、少しいたずらっぽく口元を歪めると、隣を歩く俺たち二人の顔を覗き込んだ。
「二人って、付き合ったこととか、あるの?」
自販機で買ったコーヒーを飲んでいた京助は、いきなりすぎるその質問に思わずむせ返る。だが、俺は背筋が薄ら寒くなるのを感じた。いや、だって俺たち、男同士だし、そんなことはないに決まってんだろ。そう言おうとした口を、思わず塞ぐ。結果的に、そんな二人の反応が、梨沙の目にどう映ったか、想像に難くない。
目と口を大きく開き、女子特有の、黄色い声を上げた。
「え、うっそ、付き合ってるの?!」
その声に、周りの生徒たちが一斉にこちらを振り返る。その視線の先には、片やクラスでも人気を博しているイケメン陽キャの京助。そして片や、今日から登校を再開して、かなりの美人として生まれ変わってしまった俺。京助は咄嗟に梨沙の口を塞いだ。
「ばっか、そんなわけないだろ! 声が大きい! なんでこいつが俺と……つ、付き合うんだよ」
顔をこちらに向けたかと思うと、すぐに顔を背ける。意外だ。京助にも俺の魅了のスキルは存分に発揮されるものとばかり思っていたが、別にそんなこともないらしい。いや、俺はあくまでこいつのことは、友達として好きなんであって、男として好きなわけではない。それに、やっぱり姿は変われど、それこそ15年も一緒にいるという記憶が残っている京助には、今更スキルなど無効化されているのかもしれない。
「えー、でも織戸くんだって、こんなかわいい幼馴染の女の子がいたら、好きになっちゃうんじゃないの?」
「あっ、あくまで、友達として、だ」
なぜ言いながら俺の顔を見る。
梨沙はどうやら、人との距離感がかなり近い、人懐っこい性格のようだ。次は俺の方へ近寄ると、耳元に口を寄せてきた。
「じゃあ、逆に小豆沢さんは? 織戸くんのこと、どう思うの?」
「ど、どうって、友達としては――」
「もう、女の子として好きになっちゃったり、してないの?」
「女の子として……?」
変な聞き方だな。と、一瞬違和感を憶えたが、確かに彼女からしてみれば、変な聞き方ではない。いけない、早く慣れないと、いつまたボロを出してしまうかわからない。
というか、それ以上に距離が近すぎる。大体、耳元で女の子に囁かれる経験なんて、生まれてこの方なかったから、すごく変な感じだ。めちゃくちゃ緊張する。やはり、ドキドキしたりする対象は、肉体ではなく心に左右されるらしい。俺は動揺を隠しきれないまま、梨沙を振り払った。
「別に、なにも……ないよ」
というかこっちは人見知り全開なんだ。あまり話しかけられても、面白い返しなんかできない。だが、今に至っては京助も、ずっと恥ずかしそうにしている。どうしたんだ、変な奴。普段なら男女分け隔てなく仲良く話しているこいつが、珍しいこともあるもんだ。
「ふ~ん、そうなんだあ」
昨日の悪魔のような、軽薄なにやけ顔で、彼女は口元に手を当てる。悪い顔してるな。
「いやあ、いいこと聞いちゃったなあ。……っと、私の家、こっちだから、じゃあまた明日ね!」
どうやら、かなり元気な部類の子らしく、そのまま元気に家路に向かって走り去っていった。遠くの方で、飛び跳ねながら俺たちを呼んで手を振っていたので、俺たちも振り返した。これが、梨沙との初めてのコンタクトであった。
件の元気っこがいなくなってからも、どうやら京助はかなり顔が赤かった。俺の方は、さっきの耳元で囁かれるのがかなり応えたが、それにしてもこいつは、一生顔が赤いな。こっちが拍子抜けするくらい興味を持ってくれないと思えば、今度はこの有様だ。忙しい奴め。
「おい、京助」
肩を叩――こうとするが、身長が足りない。またこいつ、身長伸びたのか。仕方なく、俺はカッターシャツの袖を引っ張る。
京助は、一瞬慌てた様子だったが、すぐに俺の方を見た。
「ど、どうしたんだよ、香織」
「いや、だからコンビニ行くんじゃないのかよ。このままだと、家にそのまま行くコースじゃん」
「ああ、そ、そうだったな。……いやあ、あいつ、変なこと言うから、なんか、なあ」
「……?」
明らかに普段の様子とは違う京助。さっきからなんというか、顔が赤いし、もじもじしてるし、ちょっとキモい。もしかして、あの子のこと、好きなんだろうか?
結局、コンビニで快気祝い、ならぬ、回帰祝いとしてアイスとスイーツを、何個か買ってもらった。その時にはもう既に、京助もいつもの調子に戻っていた。
「香織ってホント、甘いもの好きだよな。やっぱ女の子って感じするわ」
「いや、何言って……きょ、京助だって、アイスは好きだろ」
「まあ、最近暑いからよく食べるけどな。あ、アイスといえば」
俺が女になったからなのか、それとも単純に優しさからなのか、京助は俺の分の荷物も、買い込んだスイーツとアイスの袋も持ってくれていた。なんだ、こいつ、俺が可愛くなったからより一層優しいじゃん。現金な奴め。
京助は袋をがさがさと漁り、チョコミントを取り出した。
「お前、チョコミント好きだっけ?」
「……今食うなよ」
「いや、お前が選んだアイスなんだから、食べないけどさ。でもお前、確かミント系嫌いじゃなかったっけ?」
「……だから、家で一緒に食べようと思って……」
恥ずかしい。あー恥ずかしい。そりゃ、俺だって、たまにはこいつと昔みたいに、家で一緒に遊びたいんだよ。
背けていた顔を戻し、ふと京助の方を伺うと、京助は何とも言えない、嬉しそうな、恥ずかしそうな顔を浮かべて、こちらを覗き込んでいた。
「ふーーーーーん、そっかぁああ」
犬なら尻尾をぱたぱたと振ってるだろうな。そんな感じの嬉しがり具合だった。
「あの香織が、俺と一緒に居たい、ねぇ~」
「いや、そこまでは言ってないって! ただ、まあ、アイス食ってゲームしたいだけだから……」
ただ、高校に入ってから、俺が学校をサボったせいで遊べてなかったし……そこに関する責任感は、俺もそれなりに感じている。いや、責任感なんて恩着せがましい気もする。こいつなら一人でもすぐに友達だって出来ていただろうし。
何せ、今はこいつと二人で、家で遊べたらそれだけでうれしい。折角、俺が可愛く生まれ変わって、こいつも優しくなってくれてるんだ。女の子らしい体験、なんてまだまだ分からないけど、もう少しあの軽薄な悪魔には待っててもらおう。
「いや、十分女の子らしい体験してると思うよ、ぼくから見てたら」
と。頭上から声が降ってきた。
驚いて、俺は咄嗟に上を見上げる。すると、近くの電柱の上に腰かけて、例の悪魔がこちらを見下ろしていた。だめだ、途中からすっかり忘れてたが、それもこれも、こいつのせいだ。というか、テレパシーか? 事実、隣の京助はきょとんとした顔で、同じ方向を目で追っている辺り、声は聞こえていないらしいし、姿も見えないらしい。
「ん、どうしたんだよ、香織」
「い、いや、何でもない。気のせいだったみたい」
京助にはそう言いながら、俺は心の中で悪魔に話しかける。
おい、どういうことだ。
「どういうこともなにも、女の子らしいじゃない、幼馴染の男の子と、仲良く下校とか。女の子らしい体験としては、申し分ないね」
悪魔は満足そうに笑う。だが、こちらはそんなつもりがなかったので、少々想定外だった。勿論、そんなんじゃ女の子らしい経験には足りないと言われるよりは断然、気が楽ではあるが。
「それに、この後も家でデートなんでしょ? いやあ、これで僕も安心して眠れそうだよ。今日はだいぶ、朝更かししたからね。本来、僕は夜行性なんだよね」
と。どうやら言いたいことを言うだけ言って、満足したらしい悪魔は、これから眠るらしい。やっぱり夜行性なんだろうか。
「そ、だからもう寝るの。くれぐれも、夜中にはっちゃけ過ぎないでよ」
そんな、いらぬ心配をして、悪魔は気が付けば、電柱からいなくなっていた。本当に、あいつは何なんだ。今もまだ、悪魔と契約を結んだとか、自分が女になってしまっただとか、そういうことが信じられずにいるのに。現状ばっかりが早足で進んでいっている感覚だ。
俺は隣の京助に視線を戻す。
「ご、ごめん、なんか疲れてるみたい……」
我ながら苦しい言い訳だと思った。が、それ以上に京助のお人よしは筋金入りだ。特に俺に対しては。だから案の定、京助は俺が少し額に手をやって、ふらつく素振りを見せただけで、目に見えて心配しだした。
「おいおい、大丈夫か。確かに、今日久しぶりの学校だったんだもんな」
それから京助は、少しの間悩むように頭に手をやると、再び口を開いた。
「やっぱり、今日は一人で家で休んでた方がいいんじゃ……」
「ううん、大丈夫、だから」
そういって、京助の服に手をやった。我ながら、美少女に生まれ変わったことを受け入れ始めたみたいで嫌だったが、それでもこうやって、せっかく可愛く慣れたんだ。利用しない手はないし、こうでもしないと、京助はきっと、俺のことを考えて、家で安静にするように言うだろう。
久しぶりに、今日は京助と会えたんだ。俺だって、こいつのことが嫌いなわけじゃない。昔から仲良くしてくれる、数少ない友達だ。今日は父親だって家にいないから、朝までゲームや話ができる。いや、そうすると明日の学校に支障が出るから、せいぜい日付が変わるまでだろうが。
そして予想通り、京助はかなり頭を悩ませてはいたが、最後には折れてくれたらしい。渋々といった様子で、歩き出した。
「わかった、そしたら今日は、一緒にアイス、食べよっか」