明滅する心理
あたしの今の心理状態は明滅する灯りのように点いては消え行き、消えては点くといったような切れかかったネオンのように明滅している。俗に言う浮き沈みと言う奴だ。あたしの名は、ロゼッタ ストーン。名は体を表すと言う格言があるけれどもあたしには一切当て嵌まらない。エジプトのロゼッタで1799年に発見された石柱のロゼッタ ストーンのように巨大で堅固に作られたようなハートをあたしは持ち合わせていないからだ。あたしのハートは華奢で弱っちい。ちょっとした事でつなぎの入っていないハンバーグのようにすぐにボロボロになってしまう。29歳のあたしは、コンビニエンスストアで時給8ドル75セントでパートタイマーとして働いている。彼氏という存在も生まれてこの方出来た例も無く、大学にも進学せずに、ハイスクール卒業後も色々な職を転々としてきた。定職というものに就いた例も無い。若いときは無知で世の中の事なんてこれっぽっちも知らずに、取り付けたばかりのネオンみたいに夜の帳を明るく演出する太陽のように若さと明るさで乗り切って来た。しかし、度重なるストレスで摩耗していく神経。30歳を目前にして切れかかったネオンのようにジジジジジと音を立てながら、燦めく夜の街を彩るネオンとしての役目はもはや風前の灯火となり掛かっている。誰しもに言える事であろうが毎日が薔薇色で楽しい人生なんて有り得ないと理解している。喜怒哀楽を伴う長い長い山あり谷ありの道のりを死と言う名の終着駅を目指してのらりくらりと歩き続ける。楽しい事もあれば、試練と言う壁に前を阻まれ、落ちた穴から苦労して必死に這い上がらなければいけない時もある。蒸気機関車だって登りの坂道では沢山石炭を焼べてきついカーブではスピードを落として終着駅に着くまでは石炭を切らさないように絶妙なペース配分と匙加減で駆けていく。でもさ、楽しい事の10倍も辛い事があれば人間っで誰しもがネガティヴでマイナス思考に陥って腐ってしまうよね。今のあたしがまさしくそれだ。たまに今日は楽しかったななんて思う事もあるけど、時給8ドル75セントで先の見えない疲弊して行くお先真っ暗な将来。銀行の貯蓄も1176ドル。お客様は神様だと間違った思考をその腐った脳味噌に植え付けて付け上がり、上から目線で暴言を浴びせパワハラ、モラハラ何処へやらといった感じであたしよりもおつむのレベルが低い客。そんな客にあたしは顎で使われている。家に帰れば粗末な食事。たまに自分へのご褒美として贅沢をする事もあるけど所詮庶民の贅沢。たかが知れている。服もほとんどユニクロ。可愛い高級ブランドなんてショウウィンドウで見かけてもあたしには高嶺の花。テレビを点けると学校でいじめられて自殺する子。ブラック企業で上司からパワハラ、モラハラで人格を否定されサービス残業の末に自殺する人。この世は不条理で虚無に覆われた答えの無い荒廃した世界。神なんて信じない。余計に気が滅入ってくる。ショーペンハウアーやシオランのようなペシニストの哲学的な本を読むとこの世に生まれてきたのは間違いだったのかと考えさせられる。あたしは人生の落伍者なんだ。あたしも死ねば楽になるのかな?地下鉄のホーム、ビルの屋上、拳銃、睡眠薬。でもね、目を閉じれば父さん、母さん、妹が悲しみに打ち拉がれてあたしの遺体の傍らに呆然と立ち尽くしている光景がそこにはある。あたしはその光景を考えただけで自然と涙が溢れてくる。みんなと一緒に過ごした楽しい時間の事を考えると。家族には自殺したいなんて口が裂けても言えない。飲めないお酒を買って来て飲んだ。別に気が晴れもせずにただ気持ち悪くなっただけだった。あたしは唯一の親友で家族以外にあたしの死を悲しんでくれるアリーに電話した。12時45分を回っていた。「もしもし、ロゼッタ。どうかした?」アリーの声を聞いて溢れ出る感情が堰を切ったように迸った。嗚咽を漏らしながらあたしは言った。「ア、アリー、あたし、もう疲れた。生きてくのに疲れた」アリーはあたしのナイーヴな一面を知っているので幾分かは戸惑ったような感じはあったけど、すぐに切り替えて的確なアドバイスをいつもくれる。アリーは赤ちゃんをあやすようにやさしい声色で言った。「どうした、ロゼッタ。何か厭な事でもあったか?」「うん、積もりに積もったのが一気に爆発した。あたしは仕事も長く続かないし、嫌な客には顎で使われ、お先は真っ暗だし、世は不条理だし、答えが見つかんないし、真面目にやっても報われないし、もう生きるのに疲れた。あたしのネオンはもう切れかかっているんだ」「ロゼッタ、あんた、そんなに頑張んなくてもいいんだよ。人間は生きる糧を得る為に勉強して学び、就業して働くんだよ。でもね、死にたくなるくらいそこに居るのが苦痛に感じたら逃げ出せばいいんだよ。居たくない場所に固執して居る必要なんて無いんだよ。人生ってのは、言ってみればポーカーみたいなもんだよ。配られた手札からどれを残して、どれを切るか。引いてきた手札は運否天賦。配られた手札からどうすれば最善の役を作れるかってなもんだよ。人間の才能には、持って生まれて来る人もいれば、努力で才能を磨く人。努力しても才能が身に付かない人。人それぞれ千差万別よ。だからって、才能の無い人が自分を悲観する必要なんて何処にも無いわ。人の道を外してなければ堂々と生きていればいいのよ。腐った人間には中指立ててファック ユーって言ってればいいのよ。ネオンが切れかかってんのならLEDに切り替えて省エネでやればいいじゃないの。あたしは頑張っているあんたに口が裂けても頑張れなんて言えないよ。だからね、ロゼッタ、これからは全力投球じゃなくて省エネで自分が出来る事をちょっとずつ見つけて前を向いて行こうよ。あんたが居なくなったらあたしも寂しくなっちゃうじゃないの」あたしは泣きじゃくりながら笑って言った。「エヘヘ、あんがとう。大分気が楽になった。あたし、少し前向いてみるよ」アリーが笑いながら言った「おいおい、本当かよ。ほんとに大丈夫?何ならあたし、今からそっち行こうか?」「ほんとに大丈夫だよ。アリーも仕事があるでしょ。また、何かあったら電話するよ。あたしは、もう前のあたしじゃない」「えー、本当かよー。人間ってそんなにすぐに変われるものかなー。でも良かった。ちょっと元気になって。何かあったらすぐに電話して来いよー」「うん、あんがとう。それじゃ、アリー、夜遅くにごめんね。おやすみ」「うん、気にするでないぞ。おやすみ、ロゼッタ」あたしはベランダに出て空を見上げた。棚引く雲の隙間から月光があたしを明るく照らしてくれた。今日からリスタート。あたしはそう誓って新たな一歩を踏み出した。