2・シスコン姉と悪夢
ミューラ=ノスタルトという少女は"愛"を知らない。
彼女は幼い頃にとても体が弱く、親戚である侯爵家の家でずっと暮らしてきたのだ。どちらかと言えば南に近く、自然も多いそこは、休養地には打って付けだった。だから、ミューラの身を考えたノスタルト夫妻の苦渋の決断だったのだ。
しかし、侯爵家にはすでに可愛らしい長女と有能な長男がいた。
…つまり、ミューラは侯爵家の人たちから見て〈邪魔者〉でしかなかったのである。公爵家の娘でさえなければ、きっとミューラは奴隷のような日々を送ることになっただろう。
しかし、ミューラは腐っても公爵令嬢。出来るのは精神的に追い詰めていくことだけだった。いない物のように扱われる食事、自分にだけ与えられないドレスやアクセサリー。そして、陰湿な嫌がらせ。
向かう先の床が凍っていたり、紅茶の中に唐辛子が入っていたり…正直、暇なのだろうか?と問いたくなるレベルで事あるごとに何かが仕掛けられていた。
…もう嫌だ。耐えられない…っ!
彼女がそう思ったのは五歳になる時だった。
しかし、無力な子供に逃げ出す力など無い。
―そして、そんな時だった。公爵家から帰ってくるように言われたのは。
彼女は歓喜した。ようやっとこの生活から抜け出せるのだと。
これでノスタルト公爵家の娘として、幸せな日々が送れるのだと。
…けれど、彼女の期待は早々に打ち砕かれることになったのだ。
「ミューラ。貴方、なんて醜いの?これが私の妹なんて信じられない。ほら、雑巾よ。これで顔でも拭いたら少しはマシになるんじゃなくて?」
そう言って床へ投げ捨てられたのは、悪臭の漂う汚い布切れ。
確かに私は姉のような美貌は持っていない。
たれ目な瞳。ストレート過ぎる青髪。…そこに公爵令嬢としての風格など微塵もない。
対して、姉様は腰までのふんわりとカールした美しい赤髪に、少しだけ挑戦的な…けれども確かに美しく輝く瞳。その姿は自身と威厳に溢れており、彼女がやることが正解のようにさえ思わされる"何か"がある。
…神様。私は何か悪いことをしたでしょうか?
…神様。私は何がいけなかったのでしょうか?
走馬灯をぼんやりと眺めながら、私は上から降ってくるであろう刃に覚悟を決めた。
「死ねー!聖女様の敵!!」
「最低!この悪女!!」
「「「「死ね!死ね!死ね!死ね!」」」」
違う…違う……だって、誰も教えてくれなかったじゃない。
"愛"って何?私はずっと蔑まれて生きてきたのに…っ!!
どうして、どうして彼女だけ愛されるの?
彼は、彼らの愛を、その身に受けて…貴方はどうなりたいの…っ!?
走馬灯と現実が、真っ黒に塗りつぶされていく。
『大丈夫。次はきっと幸せになれるよ』
そう死の直前に囁いたのは、悪魔だったか、天使だったか。
***
「~~~~っっっ!!」
嫌な夢をみた。最悪だ。
否応なしに流れた汗で、ネグリジェとシーツはビショビショになってしまっている。
「ミューラ…………」
隣で定期的な寝息を立てる少女の頭を撫でながら、ぼんやりと朧な月を見上げる。
「―――大丈夫。絶対にお姉ちゃんが救ってあげるから」
朧な月が雲から顔を出す。
その身に月の光を受けて、フィーアは挑戦的に―とても妖艶に微笑んだのだった。