捕獲されたマルゴット・イーゲルは闇を飼いならす
薄暗い部屋に3つの影が揺れる。
円卓を囲む影の主達は、それぞれふんぞり返ったり、気だるげだったり、足をブラブラさせながら卓上を注視する。
視線の先には一匹のハリネズミがトコトコ歩く。
マルゴット・イーゲルは幼い瞳に出来るだけ力を入れてハリネズミを睨む。
(私の所で止まらないでっ!)
この場にいる他の2人も同じような気持ちでハリネズミを見つめているのは明白。
なぜかというと、これはイーゲル家の子供達による選定の儀式だからだ。つまりは誰が親のお使いに行くかを決めている。一定時間経過後にハリネズミが一番近くに居た者が、シュタウフェンベルク公の邸宅に二日酔いの薬を届けに行くのだ。負けられない戦い。
イーゲル家は代々公爵家と関係の深い魔術師の家系で、ショボい製薬から、護衛や暗殺等、命令を受ける事柄は様々だ。とはいっても領主の一家は一年の大半を首都で過ごすため、関わりを持つのはそこまで多くないらしい。今回の領地への帰還は2年ぶりらしく、思い出した様に父を連れまわしたり、製薬を頼んだり等、イーゲル家は振り回されてしまっている状態だ。
おかげで子供達にも影響があり、シュタウフェンベルク公への愚痴は増えるばかり。
マルゴットの左隣りに座る3つ上の兄が痺れをきらし、目の前に置かれている蝋燭を手に取った。
「あ!!」
あろうことか彼は、自分とハリネズミの前に火で溶けた蝋を垂らし、嫌がらせを始めたのだった。
「お兄ちゃん、セコイ……っ」
マルゴットは腹が立ち、テーブルをバンッと叩く。
「煩いガキ! 末っ子のお前がさっさと届けにいかないから、こんな面倒な事になってるんだからな」
偉そうな物言いをする兄は蝋燭を2本に増やし、ハリネズミにさらなる攻撃を仕掛ける。
「だって場所わからない……」
今年で11歳になった兄は意地悪で、マルゴットは苦手だ。だからあまり強く言えない。
「ヨナス! ハリネズミをいじめるんじゃないわよ。アンタ男なんだからひとっ走り行けばいいだけの話じゃない」
マルゴットの姉エミリアは14歳。既に大人の雰囲気を漂わせはじめている彼女は、容赦無く兄の耳をつまみ上げた。
「痛い!! 凶暴女め! 大嫌いだ!」
「嫌いで結構よ!」
2人はそのまま喧嘩を始め、テーブルや、棚にある物を投げ合い。室内は危険地帯と化す。
(あわわ……大変……)
飛んでくる物から身を守る為に、小さなマルゴットはテーブルの下に隠れた。
――バァン!!
大きな音をたてて扉が開くと、部屋の中に光が差し込む。
乗り込んで来たのは3人の母親だ。
「お前達!! 何をグズグズしてるんだい!? そんなに決めれないなら、3人で一緒に行きな!」
怒りの表情で怒鳴り、テーブルの上に出来たての薬を置くと、彼女は家を揺らす様な勢いでドアを閉めて行ってしまった。
◇
3人で家を出て、のどかな草原の一本道をダラダラと歩く。
目指すは領主であるシュタウフェンベルク家の邸宅。家からもう3時間程歩いているのに、それらしき建物は全く見えない。
「もうどのくらい掛かるの?」
夏に近いという事もあり、マルゴットはバテてきて、上の2人から遅れ気味だ。
「まーだまだ。もう20分はかかる」
兄の言葉に(うへぇ……)と絶望し、マルゴットはその場にへたり込んだ。
「もう1歩も動かないっ」
2人をジト目で見上げ、そう宣言するマルゴットに4つの瞳が冷たく刺さる。
「とっとと歩けよ……コッチだって辛いんだから」
「軟弱すぎ。アタシがアンタ位の時にはぶっ続けで5時間は歩けたんだけど!」
「だってもう足が痛いんだもん……」
その場で蹲るマルゴットはさながらダンゴムシ。近付いて来た兄におさげを引っ張られても、姉に襟を摘ままれても、立ち上がらない。
「チッ! おいてこーぜ、こんなチビ猿。お前なんか狼のエサになっちまえ!」
「ほんとメンドクサイ子。普段から偏食気味だから体力無いんだよ。取りあえずアタシ等で行くからアンタは人目に付きやすい所にいな」
「ふぁい……」
2人はマルゴットにそれ以上何も期待せず、去って行った。
(ふぅ……助かったぁ……)
姉と兄の去り行く背中をニヒヒと笑い、自分はワサワサとした木の影に入る。
背負った鞄を草むらに下ろし、自らも木の根っこに座る。
鞄の留め金を外し、取り出すのは黒表紙の本。重たいそれを膝の上に乗せ、ページを捲る。
マルゴットは昨日の夜、皆が寝静まった頃に納屋に忍び込み、祖父が書いた魔術書を持って来た。今日ソワソワしていたのは早く読みたかったからだ。父や母は、マルゴット達に祖父が書いた本を参考にするのを禁ずる。それが何故なのかマルゴットは気になっていた。祖父は偉大な術者で、同族の尊敬を集めていたようなのに……。
何枚も頁を捲り、早くもマルゴットは心が折れてきていた。
使われている単語が8歳には難しすぎたのだ。これでもマルゴットは姉や兄よりも勉強は出来るのに、それでも解読不能。本当にこれは公用語なのだろうか? そんな疑問さえ抱く。
だから仕方がなく、マルゴットは図解ページや挿絵をじっくり眺める事にした。
山羊の頭をした男、全裸で横たわる女――――思ったよりも刺激的な内容だ。
(ふぁぁ……これが大人の世界……ドキドキ……)
風は生ぬるく、草のいい香りがする。そんな中で好きな本を読める幸せを噛みしめる。今は理解できなくても、分かる言葉が増えたら、本に書いてある内容を解読出来るのかもしれない。
祖父に近付きたい。あの人の様に、主君の為にカッコいい術を使うのだ。
そんな自分の姿を想像し、コッソリ笑う。
上機嫌なマルゴットの視界に、何かヒラヒラしたものが入ってくる。真っ白な翅を持つ蝶々だった。ソレはふわふわとマルゴットの周囲を飛び回り、本にとまった。ちょうどえぐり出された目玉の絵の所だ。
(むむ……)
――パタム……
マルゴットはつい本を閉じてしまった。
「あ!!」
本を閉じた瞬間、やや遠くから聞こえる可愛らしい声。マルゴットはビクリと震え、本を抱きしめる。
こちらに駆け寄って来るのは、白に近い金髪の少女だった。クリーム色のフワフワしたドレスを着ている。歳はマルゴットと同じか、もっと下に見える。
やけに近くまで近寄ってきた彼女は、ずずいっとマルゴットに顔を近づける。
新緑色の瞳や、プクプクの赤いほっぺを直視するのが恥ずかしくなり、俯く。
「なに……? 近い……」
「殺しちゃったの?」
悲しそうな声だ。マルゴットはこの女の子が蝶々を追い駆けて来た事に気付いた。
「ん……」
一緒に確かめたらいいと、さっきのページを開く。
蝶はつぶれていた。
「うぅ……汚れてるぅ……」
ベシベシと叩いて蝶々の死骸を地面に払い落とすと、地面にポタポタと水滴の染みが出来る。
ハッと顔を上げると、目の前の女の子が泣いているのだった。
マルゴットはコトリと首を傾げる。
「悲しい?」
「だって、あなたが蝶々さんを殺して、乱暴に捨ててしまったから」
「ダメなの? 虫なんだよ?」
「ダメ! だってこの蝶々さん、私が育ててる花のお手伝いをしてくれたのに! 恩人だったの!」
「オンジン?」
「お母様が、蝶々は実や種の為に働いてるって教えてくれたっ!」
「むぅ……」
この子が言っている事はよく分からないが、少なくても蝶々は女の子にとっては仲間みたいなモノだったらしい。マルゴットはしょうがなく、地面に穴を掘って、蝶々の死骸を埋めてやった。
「有難う!」
埋葬というより、気まずい元になったモノを目の前から消しただけなのに、女の子は嬉しそうだ。
(笑顔、可愛い……。この子の笑顔が見れるなら、いくらでも死体埋めたくなっちゃう)
光輝く少女を見つめていると、マルゴットの中の暗闇が増幅していくようだった。どういうわけかそれが心地良い。初めての感覚だった。
「本を読んでいたのね」
マルゴットが、自分の中の変化に夢中になっている間に、女の子はマルゴットの手元を覗いていた。
「読んでない……見てた」
自分の無能さを自らの口で伝えるのは恥ずかしく。マルゴットは頬を染め。女の子の桜貝の様な爪に視線を固定した。
「貸してちょうだい!」
「えぇ……じゃあ20秒だけ……」
これが姉や兄だったら絶対に貸さなかった。でもこの子にならちょっとだけ見せてあげてもいい気がする。マルゴットが興味を持っている事を知ってもらいたいのだ。
女の子はケチなマルゴットの言葉に腹を立てるでもなく、ペラペラとページを捲った。
「乙女の身体を祭壇とし、胎児の血を捧げよ……」
可愛らしい声で紡ぐ呪文。風はいつしか止まり、虫の鳴き声も鳥の鳴き声も聞こえない。
ハッとして女の子を見上げると、顔を顰めている。
「す、すごい! そんな難しい本を読めるなんて!」
自分が読めなかった部分をスラスラと読んだ事に感動し、彼女を尊敬の眼差しで見つめる。
「古文で書かれてるみたいよ。でも内容がちょっと……大丈夫なのかなぁ?」
女の子は本を裏返したり、目次を読んだりしながら首を傾げる。自分と同年代に、これほど出来る子はいない。おまけに彼女といると闇に突き落とされる感覚がして心地いい。
そんな彼女ともっと交流したいとマルゴットは強く思った。
「古文、教えてくださいっ」
何故か敬語を使っていた。初めて使ったかもしれない。
「いいけど、いっぱい時間かかるかも」
「うんうん! 頑張るです!」
むしろ時間がかかった方が嬉しいかもしれない。マルゴットは女の子から本を返してもらい、1頁目を開く。質問しようと口を開きかけると、遠くから馬が駆けて来る音が聞こえた。
「あ……」
急に女の子がソワソワしだす。
「どうしたですか?」
「迎えが来たかも」
「むぅ……」
馬に乗って現れたのは、姉より年上に見える少年だった。2人の前まで来ると、ヒラリと飛び降り、こちらに颯爽と歩いて来る。ちょっと珍しい位に整った顔立ちだ。
「ジル様。奥様が心配しておられます。戻りましょう」
小さな女の子の前に跪く姿はさながら絵本で見た事がある騎士。ガチャガチャした兄を見慣れたマルゴットにとって、異様な生き物に思え、ポカーンと口を開けて眺める。
「折角友達が出来そうだったのにっ!」
ジルと呼ばれた少女の言葉に、少年は漸くマルゴットの存在に気が付いた様だ。
「失礼、レディお名前をお聞きしても?」
気取った話し方に、ゾワゾワと鳥肌が立つ。苦手なタイプかもしれない。
「マルゴット・イーゲル」
「もしかして、ハンス・イーゲル様のお嬢様ですか?」
父の名前を出され、マルゴットは戸惑いながら頷く。何故彼が知っているのだろうか?
「イグナーツ、マルゴットを家に連れて帰りたいわ。ダメかしら?」
「宜しいのでは? 医師イーゲル様のお嬢様みたいですので」
父は魔術師なのだが、何故医師という事になっているのだろう? 別人と間違えているのではないだろうかと、思うものの、このままジルに連れ去られたい。
「付いて行きます……」
「分かりました。ではお連れしましょう」
マルゴットはジルと一緒に馬に乗せられ、彼女の住む家に行った。
とんでもなく広い屋敷だった。まずゲートから母屋の入り口が相当に遠い。
そんな中を、騎士めいた少年が牽く馬の上で金髪の美少女と歩くという非日常体験をさせてもらっている。マルゴットは何度も頬をつねり、自分が正気なのかを確かめた。
緑豊かな庭園を中ほどまで進むと、ポーチに見覚えのある2人が現れた。上品な身なりの男性に見送られているようだ。
「あ、姉と兄です……」
「え? どうしたのかしら?」
シュタウフェンベルク家にお遣いに行ったはずなのだが……そこまで考え、マルゴットはピンときた。
ここは公爵家なのだ。初めてきたので、混乱したが、この辺りでこれほど豪華な建物は他に無い気がする。
馬上のマルゴットに気が付いたのか、姉と兄が凄い剣幕で近寄って来た。
「どうしたの、マルゴット! 待ってなさいって言ったのに!」
「どこで拾われたんだ! このウスノロめ!」
口々に攻め立てる2人に、マルゴットは「うぅ……」と呻いた。
「イーゲル家の皆さん。どうかマルゴットを責めないでくださいませ。私が我儘を言って連れてきてしまったのですわ!」
ジルは小さな身体をピンと伸ばし、姉達に主張する。
(かっこいい……)
マルゴットが思わず見惚れると、下の方から、「お嬢様、最高です」等と聞こえてきた。ゾワゾワして見下ろすと、イグナーツが陶然とした表情でジルを見上げていた。
(むぅ……コイツ。嫌い……)
「もしかして、シュタウフェンベルク家のご令嬢ですか?」
「そうですわ」
シッカリ者の姉は、ペコリと頭を下げる。
「申し訳ございません。妹を宜しくお願いします。ヨナス、行くわよ!」
エミリアは早口でそう言い、ジルを凝視するヨナスの襟首を掴んで去って行った。
◇
マルゴットとしては住み着いても良いと主張したのだが、医師という肩書を持つ父が毎晩マルゴットを連れ帰る。その為、領地に居る期間はジルを夜は守れず、悔しい思いをした。
というのも、公爵家はとんでもない危険人物を飼っているからだ。
公爵家のフットマンから公爵の従者に昇進したイグナーツはジルに対して危険な恋愛感情を抱いている。常日頃から警戒しておかないと、いつ間違いを起こすとも分からない恐ろしい存在なのだ。
ジルへの関心を薄れさせるために、マルゴットはジルに無断で太ってもらった。手元が狂って、公爵家全員が太ってしまった。
知られれば怒られるかもしれないが、身を守る為なら仕方が無しと割り切った。
しかしこの肥満作戦は余計な危険をジルに運んでしまったらしい。大公との結婚だ。
何故急にジルとの結婚しようと思ったのかは分からないが、公爵から聞いた話だと、太った女性が魅力的に思える様になったんじゃないかという事だった。
どうも胡散臭い。
憂鬱な表情で窓の外を見るジルに声をかける。
「大公と結婚なんて、災難ですね。あまりいい噂を聞かないです……」
「きっと何とかなるわ。それより一緒に宮殿について来てくれて有難うマルゴット」
「どこにでもついて行きます。嫌な事が有ったら私に言ってください。私ジル様の為には大公を呪いますから」
この10年間、光の様なジルと過ごす事で、マルゴットの闇は順調に育ち、飼いならせる様になっていた。今なら強力な術を使えるかもしれない。
(大魔術を試す良い機会……)
マルゴットはまだ見ぬ大公を思い、ククッと嗤った。
GWのお供にどうぞ~~!