表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/41

第4話

 それから間もなく、わたしは軽音部の男子二人と一緒に下校した。


 寺島が夕方からバイトのため、彼に合わせてわたしと緒方も帰ることにしたのだ。ちなみに相神先輩は、部室に残ってベースの練習をするとのことだ。


 外はまだ明るい。西の空に向かっている太陽が、街をすみずみまで照らしている。穏やかで気持ちのいい天気だ。


 三人は現在、学校と駅の間にある長い下り坂を歩いていた。


 緒方と寺島はわたしと違って自転車通学のため、それぞれ自分の自転車を押しながら坂を下りている。帰路も別の方向だけど、電車通学であるわたしに合わせてついてきているのだ。


 男の子と一緒に下校するのなんて、小学生のとき以来だ。そのせいか、並んで歩いていると少し緊張してしまう。


「どうだった?」


 右隣にいる寺島がわたしに話しかけてきた。


「どうって、なにが?」


「ほら、軽音部の雰囲気とか」


 部内の雰囲気は決して悪くはないと思う。人が多いよりは少ないほうが、自分には合っているとも思う。


 ただ――


 わたしは左隣にいる緒方をちらりと見た。彼は口を閉じたまま、前を向いて歩いている。


 この男のことはやはり苦手だ。というより、怖い。見た目もそうだし、なにを考えているのかわからないところなんかも。


「いいと思うよ」わたしは答える。「少人数だから揉め事も少なそうだし、言い方悪いかもしれないけど、いろいろとゆるそうだし」


「そうだね、そのとおりだ」寺島がくすくすと笑う。「練習時間だって、特に決まってるわけじゃないしね。でも、栗沢さんが入部してくれたから、これから先は本格的にバンド練習をやるかもしれないよ」


 軽音部の部室に訪れたときは、入部することまで考えていたわけではなかった。


 だけど、あの三人の演奏を間近で観たあと、わたしはバンドというものにすっかり魅了されてしまった。


 なんでもいいから、自分も楽器を始めてみたいと思った。


 そんな考えにいたったのは、きっと自分がなにも持っていない人間だからだろう。


 これが好きだと胸を張って言えるものが、わたしにはない。だからこそ、わたしは軽音部に入る気になったんだ。


 心のどこかで、それを求めていたから。


 たとえ、変わることが怖くても――


 なにかに挑戦してみたくなったのだ。


「これでようやく、バンドに必要なメンバーがそろったんだね」


 わたしが言ったそのとき、今まで黙っていた緒方が口を開いた。


「部長はやる気まんまんだろうな。下手すりゃ廃部になるかもしんねーしな」


「あのさ……軽音部って、本当になくなるかもしれないの?」


 少しびびりながらたずねると、緒方はわたしの顔を見下ろした。それから、顔を前に戻して答えた。


「ああ。このままだと、来年にはなくなっちまう。ま、いくつかある条件さえクリアすれば、廃部は免れるけどな」


「条件――それってなに?」


「そっちのメガネに聞け」


 緒方の言葉につられ、わたしは寺島に顔を向けた。


「条件は全部で三つあるんだ」


 寺島は軽音部の存続が認められるために必要な条件を口にした。


 

 ①・部員の数を五人以上にする

 ②・軽音楽部として一定の活動成果を収める

 ③・正式な顧問を迎え入れる



 ――以上、三つの条件をすべて今年中に達成させなければ、軽音部は廃部になってしまうとのことだ。


「ていうか、軽音部には顧問もいないんだ」


 つい口から本音がもれてしまった。


「やばいよね、ここの軽音部」のんきな口調で言う寺島。「それより、僕は『軽音楽部として一定の活動成果を収めること』っていう条件が気に入らないよ」


「どうして?」


「こんなの、教師のさじかげんでどうにでも解釈できるじゃん。なにが一定の活動成果だよ。曖昧な表現しやがって。もっと具体的な条件を提示するべきだ」


 その言葉には、少し怒気が含まれているように聞こえた。


 言われてみれば、たしかにそのとおりかもしれない。大人はいつだって、自分たちに都合のいいように言葉をにごす。はっきりとものを言わない。なにか不都合が起きたときのために逃げ道を用意しておくんだ。


「あ、もうそろそろ駅だね」


 寺島が明るい声で言った。


 気がつくと、すっかり見慣れた駅前の景色が広がっていた。駅前といっても、目を引かれるような店や建物は何もないけど。


「じゃあね、栗沢さん。これからよろしくね。オガチン、今日はバイトだから先に帰るね!」


 寺島は自転車にまたがり、今通ってきたばかりの道を逆走し始めた。


「ばいばい、寺島くん!」


 わたしは片手を振り、寺島の背中を見送った。


 寺島がいなくなった途端、周りの空気が急に重々しくなった気がする。


 むろん、緒方と二人きりになってしまったからだ。


 気まずくなる前に早く別れたほうがいいだろう。


「おい。ちょっといいか」


「な、なに?」


 緒方に呼びかけられ、わたしはすぐに振り返った。わたしの思惑とは裏腹に、緒方のほうはなにか話したいことがありそうな様子だ。


「ほんとにドラムをやるつもりか?」


「え?」


「おまえ、最初から入部するために部室まで来たわけじゃねーだろ」


 そう言われて、わたしは口をつぐんでしまった。


 完全に予想外の言葉だった。わたしの心は見透かされていた。恥ずかしさと焦りが、溶けた絵の具のように混ざり合って大きくなる。


「……いつから? いつから、気づいてたの?」


「寺島のやつが、おまえを入部希望者だと聞いたときだ。あのときのおまえ、アホみたいにぽかんとしてたからな」


「ほ、ほんとにそこで気づいたの?」


「嘘じゃねーよ。おまえが嫌がってるって、部長に伝えただろ」


 数秒遅れて、わたしは理解した。


 そうか、あのとき――相神先輩に抱きつかれたとき、緒方はわたしに助け舟を出していた。あれはそういう意味だったのか。


 それに、三人の演奏を観ることができたのも、緒方の一言があったからこそだ。


 ん、あれ?


「ちょっと待って。じゃあなんで、緒方くんまでわたしにドラムを勧めたの?」


「軽音部にドラムがいなかったからだ」緒方は即答した。「部長が必死になっておまえを勧誘しているのを見て、気が変わった。どっちにしろバンドに興味がなかったら、わざわざ一人で軽音部の部室に行くわけねー。そう思ったから、俺はおまえにドラムをやってみるように言った。おまえを軽音部に誘ったんだよ」


 そんなふうに考えていたんだ。


 少し、彼のことを誤解していたのかもしれない。


 まだ怖いとは思うし、とっつきにくいところだってあるけど、どうやら根はそんなに悪いやつじゃなさそうだ。


「今ここでもう一度聞く。おまえは本当に、ドラムをやる気があるのか?」


 緒方が真剣な表情で問いつめる。


 わたしも真剣に答えなくちゃ。


「うん、あるよ。わたし、ドラムをやってみたい。それから、軽音部のみんなと一緒にバンドを組んでみたい。廃部になるかもしれないけど、それでもわたしは挑戦してみたい」


 わたしがそう言い切ると、緒方は口元をにやりと曲げた。


「なら問題ねーよ。期待してるからな、栗沢」


「あんまり期待しすぎないでね、緒方くん」


 わたしは微笑み、緒方に言葉を返した。




 そのあと、わたしと緒方は駅前で別れた。


 電車の窓から夕焼け空を眺めつつ、今日の放課後に起こった出来事を振り返ってみる。

 

 軽音部の部室に足を踏み入れたこと。


 初めてドラムをたたいたこと。


 バンド演奏を間近で観たこと。


 男子二人と一緒に下校したこと。


 そのどれもが、わたしにとって新鮮な体験だった。


 明日になったら、柚月たちに軽音部のことを話そう。


 放課後になったら、また部室に寄ろう。


 今からうきうきしてきた。


 早く明日にならないかな。


 電車を降りたあと、わたしは特に目的もないまま、一人で地元周辺をうろつき回った。自宅に帰るころには夜になっていた。

次回は明日の正午に公開予定です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ