第4話
それから間もなく、わたしは軽音部の男子二人と一緒に下校した。
寺島が夕方からバイトのため、彼に合わせてわたしと緒方も帰ることにしたのだ。ちなみに相神先輩は、部室に残ってベースの練習をするとのことだ。
外はまだ明るい。西の空に向かっている太陽が、街をすみずみまで照らしている。穏やかで気持ちのいい天気だ。
三人は現在、学校と駅の間にある長い下り坂を歩いていた。
緒方と寺島はわたしと違って自転車通学のため、それぞれ自分の自転車を押しながら坂を下りている。帰路も別の方向だけど、電車通学であるわたしに合わせてついてきているのだ。
男の子と一緒に下校するのなんて、小学生のとき以来だ。そのせいか、並んで歩いていると少し緊張してしまう。
「どうだった?」
右隣にいる寺島がわたしに話しかけてきた。
「どうって、なにが?」
「ほら、軽音部の雰囲気とか」
部内の雰囲気は決して悪くはないと思う。人が多いよりは少ないほうが、自分には合っているとも思う。
ただ――
わたしは左隣にいる緒方をちらりと見た。彼は口を閉じたまま、前を向いて歩いている。
この男のことはやはり苦手だ。というより、怖い。見た目もそうだし、なにを考えているのかわからないところなんかも。
「いいと思うよ」わたしは答える。「少人数だから揉め事も少なそうだし、言い方悪いかもしれないけど、いろいろとゆるそうだし」
「そうだね、そのとおりだ」寺島がくすくすと笑う。「練習時間だって、特に決まってるわけじゃないしね。でも、栗沢さんが入部してくれたから、これから先は本格的にバンド練習をやるかもしれないよ」
軽音部の部室に訪れたときは、入部することまで考えていたわけではなかった。
だけど、あの三人の演奏を間近で観たあと、わたしはバンドというものにすっかり魅了されてしまった。
なんでもいいから、自分も楽器を始めてみたいと思った。
そんな考えにいたったのは、きっと自分がなにも持っていない人間だからだろう。
これが好きだと胸を張って言えるものが、わたしにはない。だからこそ、わたしは軽音部に入る気になったんだ。
心のどこかで、それを求めていたから。
たとえ、変わることが怖くても――
なにかに挑戦してみたくなったのだ。
「これでようやく、バンドに必要なメンバーがそろったんだね」
わたしが言ったそのとき、今まで黙っていた緒方が口を開いた。
「部長はやる気まんまんだろうな。下手すりゃ廃部になるかもしんねーしな」
「あのさ……軽音部って、本当になくなるかもしれないの?」
少しびびりながらたずねると、緒方はわたしの顔を見下ろした。それから、顔を前に戻して答えた。
「ああ。このままだと、来年にはなくなっちまう。ま、いくつかある条件さえクリアすれば、廃部は免れるけどな」
「条件――それってなに?」
「そっちのメガネに聞け」
緒方の言葉につられ、わたしは寺島に顔を向けた。
「条件は全部で三つあるんだ」
寺島は軽音部の存続が認められるために必要な条件を口にした。
①・部員の数を五人以上にする
②・軽音楽部として一定の活動成果を収める
③・正式な顧問を迎え入れる
――以上、三つの条件をすべて今年中に達成させなければ、軽音部は廃部になってしまうとのことだ。
「ていうか、軽音部には顧問もいないんだ」
つい口から本音がもれてしまった。
「やばいよね、ここの軽音部」のんきな口調で言う寺島。「それより、僕は『軽音楽部として一定の活動成果を収めること』っていう条件が気に入らないよ」
「どうして?」
「こんなの、教師のさじかげんでどうにでも解釈できるじゃん。なにが一定の活動成果だよ。曖昧な表現しやがって。もっと具体的な条件を提示するべきだ」
その言葉には、少し怒気が含まれているように聞こえた。
言われてみれば、たしかにそのとおりかもしれない。大人はいつだって、自分たちに都合のいいように言葉をにごす。はっきりとものを言わない。なにか不都合が起きたときのために逃げ道を用意しておくんだ。
「あ、もうそろそろ駅だね」
寺島が明るい声で言った。
気がつくと、すっかり見慣れた駅前の景色が広がっていた。駅前といっても、目を引かれるような店や建物は何もないけど。
「じゃあね、栗沢さん。これからよろしくね。オガチン、今日はバイトだから先に帰るね!」
寺島は自転車にまたがり、今通ってきたばかりの道を逆走し始めた。
「ばいばい、寺島くん!」
わたしは片手を振り、寺島の背中を見送った。
寺島がいなくなった途端、周りの空気が急に重々しくなった気がする。
むろん、緒方と二人きりになってしまったからだ。
気まずくなる前に早く別れたほうがいいだろう。
「おい。ちょっといいか」
「な、なに?」
緒方に呼びかけられ、わたしはすぐに振り返った。わたしの思惑とは裏腹に、緒方のほうはなにか話したいことがありそうな様子だ。
「ほんとにドラムをやるつもりか?」
「え?」
「おまえ、最初から入部するために部室まで来たわけじゃねーだろ」
そう言われて、わたしは口をつぐんでしまった。
完全に予想外の言葉だった。わたしの心は見透かされていた。恥ずかしさと焦りが、溶けた絵の具のように混ざり合って大きくなる。
「……いつから? いつから、気づいてたの?」
「寺島のやつが、おまえを入部希望者だと聞いたときだ。あのときのおまえ、アホみたいにぽかんとしてたからな」
「ほ、ほんとにそこで気づいたの?」
「嘘じゃねーよ。おまえが嫌がってるって、部長に伝えただろ」
数秒遅れて、わたしは理解した。
そうか、あのとき――相神先輩に抱きつかれたとき、緒方はわたしに助け舟を出していた。あれはそういう意味だったのか。
それに、三人の演奏を観ることができたのも、緒方の一言があったからこそだ。
ん、あれ?
「ちょっと待って。じゃあなんで、緒方くんまでわたしにドラムを勧めたの?」
「軽音部にドラムがいなかったからだ」緒方は即答した。「部長が必死になっておまえを勧誘しているのを見て、気が変わった。どっちにしろバンドに興味がなかったら、わざわざ一人で軽音部の部室に行くわけねー。そう思ったから、俺はおまえにドラムをやってみるように言った。おまえを軽音部に誘ったんだよ」
そんなふうに考えていたんだ。
少し、彼のことを誤解していたのかもしれない。
まだ怖いとは思うし、とっつきにくいところだってあるけど、どうやら根はそんなに悪いやつじゃなさそうだ。
「今ここでもう一度聞く。おまえは本当に、ドラムをやる気があるのか?」
緒方が真剣な表情で問いつめる。
わたしも真剣に答えなくちゃ。
「うん、あるよ。わたし、ドラムをやってみたい。それから、軽音部のみんなと一緒にバンドを組んでみたい。廃部になるかもしれないけど、それでもわたしは挑戦してみたい」
わたしがそう言い切ると、緒方は口元をにやりと曲げた。
「なら問題ねーよ。期待してるからな、栗沢」
「あんまり期待しすぎないでね、緒方くん」
わたしは微笑み、緒方に言葉を返した。
そのあと、わたしと緒方は駅前で別れた。
電車の窓から夕焼け空を眺めつつ、今日の放課後に起こった出来事を振り返ってみる。
軽音部の部室に足を踏み入れたこと。
初めてドラムをたたいたこと。
バンド演奏を間近で観たこと。
男子二人と一緒に下校したこと。
そのどれもが、わたしにとって新鮮な体験だった。
明日になったら、柚月たちに軽音部のことを話そう。
放課後になったら、また部室に寄ろう。
今からうきうきしてきた。
早く明日にならないかな。
電車を降りたあと、わたしは特に目的もないまま、一人で地元周辺をうろつき回った。自宅に帰るころには夜になっていた。
次回は明日の正午に公開予定です。