第2話
※次回は明日中に更新します。
十月の第一土曜日。
この日、市立東松原高校の体育祭が開催された。
天気は快晴。まさに絶好のスポーツ日和だ。
まあ、体育の授業が好きではないわたしにとって、特別テンションが上がる行事ではない。クラス内に居場所がない今のわたしからしてみれば、なおのことだ。
昼前、わたしはプールサイドから近い木陰に一人で休んでいた。このあたりは生徒たちの行き交いも少ないから、時間をつぶすにはもってこいの場所だ。
「あ、いたいた。探したよ、栗沢さん」
遠くから寺島が駆け寄ってきた。
「なに、寺島くん」
こんなところに一人でいる女子に話しかけてくるとは。
わたしの中で寺島チャラ男説が浮上したものの、当の本人は実にさわやかな様子だった。
「頼みがあるんだ。こんなこと、栗沢さんにしか頼めないから……」
彼はわたしに一台のスマホを差し出してきた。
「スマホ?」
「これで、その……撮ってほしいんだ。次、三年生の種目だし……」
「三年生――あ、もしかして、相神さんの写真をわたしが撮れってこと!?」
「……うん。お、お願いだ! 頼むよ、栗沢さん! マジで!」
寺島は両手を合わせてわたしに懇願した。
どうやら本気で言っているようだ。
「そんなの自分で撮ればいいじゃん」
「万が一、本人にバレたりしたらやばいって。栗沢さんが写真を撮るぶんには、なんの違和感もないし。ね、このとおり!」
「わ、わかったよ。写真撮るから。いったん落ち着いて!」
わたしは寺島の申し出をしぶしぶ受け入れ、グラウンドのほうへと向かった。
次の種目は障害物競走だった。先頭から数えて三列目に、髪をくくった相神さんがしゃがんで待機しているのが見えた。
相神さんが走り始めるのを見計らい、わたしは一人で彼女の撮影を行った。そのあと、いやらしく写った写真をすべて削除してから、寺島にスマホを返した。
「ありがとう、栗沢さん!」
寺島は自分のスマホをうやうやしく掲げながら喜んでいた。まるでサンタさんからプレゼントを貰った子供のようにも見える。
「変なことに使わないでよ」
「あ、当たり前だし!」
わたしが釘を刺すと、寺島は急いでスマホを短パンのポケットに仕舞いこんだ。
それにしても――
「本当に相神さんのことが好きなんだね」
「…………うん。まあ、いまだに仲は進展してないんだけどね」
この調子だと、寺島チャラ男説は取り消したほうがよさそうだ。
「一つ聞きたいんだけどさ。寺島くんは、相神さんのどういうところが好きなの?」
これは純粋に知りたいことだった。
わたしは好きな人なんてできたこともないから、男子の恋心とはどういったものなのか多少は興味があるのだ。
「それは……。あの人とは趣味が合うし、見た目だって好みだし……。もちろん、性格だって優しいし……」
寺島はこちらが恥ずかしくなるほど照れている。すがすがしいほどベタ惚れだなあ。
「ようするに、全部ってこと?」
「まあ……そんな感じ」
チャラ男扱いしてごめん。予想以上に寺島はピュアなやつだ。
「あの人さ。ときおり、すごく寂しそうな表情をするときがあるよね」
「え、そうかな」
わたしにはわからない。
「そうだよ。僕にはそう見える。理由はわからないけどね。好きなくせに、あの人のことは知らないことだらけだし。でも、そういうとき――あの人の支えになれたらいいなって思っちゃうんだ」
そういうことを口に出せる寺島に、わたしは内心かなり驚いていた。
同級生なのに、彼が自分よりも大人に見えてしまったからだ。ついさっきは子供のように見えたのに。
「キザな言い回しだね。チャラいなー、寺島くんは」
「わ、悪かったな!」
こんな悪態をつくことしかできない自分が、酷く幼稚に思えた。
校内に渦巻いていた体育祭の熱気は、一週間もしないうちにすっかり冷め切ってしまったようだ。わたしの見る限り、校内はもとどおりのありきたりな風景に戻っていた。
軽音部は以前と変わらずバンド練習を続けていた。
あれから相神さんは公民館に電話で問い合わせてみたようだ。
残念ながら、高校生グループが単独で公民館の会場を借りることはできないという事実が判明し、公民館ライブ計画は頓挫してしまった。
ライブの日程がまだ決まっていないのは不安だけど、だからといってバンド練習の手を抜くわけにもいかない。わたしはバンド全体の演奏が少しでもまとまるように、家でひたすらドラムの自主練習に取り組んでいた。正確なテンポをキープできるようにリズム感覚をやしなったり、さまざまなドラムフレーズを試してみたり、気に入った曲を耳コピしてみたり、といった具合だ。たとえ自宅に本物のドラムがなくても、やれることならたくさんある。
十月下旬、一学期と同じように中間試験が行われた。
今回は緒方に勉強を教えることはなかった。自分の力でなんとかすると、緒方本人が直々に宣言したからだ。
そして宣言どおり、緒方は自力で赤点を回避した(気を抜いていたわたしは数学で赤点を取りかけた)。
中間試験が終わると、すぐに十一月がやってきた。
試験期間中は四人で音を合わせることができなかった。そのため、試験明け直後のバンド練習は普段よりもさらに気合が入っていた。
ただし、純粋に演奏を楽しめたのはたったの数日間だけだった。それ以降は、軽音部が廃部になるかもしれないという危機感が心の中に芽生えるようになった。
軽音部がなくなったら、卒業した先代の先輩たちにも申し訳ない。
そんなことまで考えるようになっていた。
十一月上旬のとある日。
昼休みにわたしが部室に向かうと、先に相神さんが来ていた。
「やあ、ほしのちゃん」
「あ、こんにちは」
軽く会釈をしてから、わたしは部室の中に入っていく。相神さんは窓に寄りかかっていた。
「ほしのちゃんって、いっつもここでお昼を過ごしてるの?」
それはわたしにとって、答えるのに負担がかかる質問だった。
「はい、そうですよ。クラスで一緒にご飯を食べる人なんていませんから……。どうせわたしのことなんて、誰も――」
「ストップ、ストーップ! 変なこと聞いてごめん!」
そっか。昼休みに毎日部室まで来て一人でご飯を食べるのは、健全な高校生から大きく逸脱した行為になるらしい。
「相神さんは、どうして今日ここに来たんですか?」
「私? 私はさ、未練があるからだよ」
「未練、ですか……?」
「軽音部が残ろうが廃部になろうが、どうせ私は来年になれば卒業しなきゃならないし。だから、今日ここに来たのは……卒業までに少しでもこの部屋の空気に浸っておきたいって思ったからなんだ。いやー、私ってつくづく変な女だよね」
相神さんは普段、昼休みに部室を訪れることはない。今日だって、なにか明確な理由があってここに来たものだと思っていた。
でも――彼女だってわたしと同じ、一人の高校生なんだ。
今のわたしと同じように、なにか悩みを抱えていてもおかしくない。
「あの、相神さん。未練ってなんですか?」
「ん? どしたの、ほしのちゃん」
「名残惜しいとかじゃなくて、未練っていう言葉を口にしたのが気になりました」
「あー、あれは……ただの言い間違え。忘れて忘れて」
これはさすがに、わたしでも嘘だとわかる。
「昔の軽音部に、なにかあったんですか?」
「そんなことより、その手に持ってるのってお弁当?」相神さんがわたしの手元に目線を下げる。「ほしのちゃんって自分でお弁当作ったりするのかな」
「相神さん?」
「ねえねえ、私に食べさせてよ。こう、あーんって感じで可愛くさ――」
「ごまかさないでください!」
わたしは年上の先輩に向かって怒鳴っていた。
「ほしのちゃん……?」
「ちゃんと質問に答えてください。わたし、知りたいんです。相神さんのことを!」
「……そんなの知って、どうするつもりなの」
その口調は明らかに冷たくなっていた。だけど、このまま引き下がりたくはない。
「相神さんが一年生のころから軽音部にいるのでしたら、当時の話を聞かせてくれませんか。ずっと気になっていたんです。なんで軽音部に先輩が相神さんしかいないのかって。もしかして、あの元カレの人も関係あるんですか……!? 卒業するまでに教えてくださいよ! このままなにも知らずに先輩と別れるなんて嫌です!」
相神さんのことが、前からずっと気になっていた。
これは嘘偽りのない、わたしの本音だ。
「そんなに知りたいの?」
「はい!」
「……なら、話してあげる。きみに全部ね」
わたしは相神さんの話す言葉を一字一句聞き逃さないため、手に持っていた弁当箱を脇に片づけた。それから、近くのイスに座った。




