第2話
文化祭が終わり、わたしたち生徒はいつもどおりの日常へと回帰した。
今日からまた以前と変わらない、ゆるやかな学校生活が始まる。
なのに、わたしの心はやけにそわそわしていた。
放課後になっても、わたしの心はうわついたままだった。
「ほしのー! 帰りに買い食いしていかない?」
「ご、ごめん、柚月。今日はどうしても外せない用事があるんだ」
「用事ってなに? ま、まさか――男か! 男なのか!?」
柚月の発言に、伊織と花音がすかさず食いついてくる。
「え、ほしのに彼氏できたの? マジショックなんですけど」
「えー、嘘ー! ほしのちゃんは私たちのアイドルなのにー!」
「ちょ、ちょっと待って! 違うから! あの……先生! 先生にわからないところを教わろうと思って――」
「相手は教師か! おとなしいフリしてほしのは大胆ですなー!」
「だーかーらー!」
勝手に盛り上がる三人を振り切るように、わたしは教室をあとにした。
そして、一人で特別教室棟へと向かった。
文化系の部活の部室は、基本的に特別教室棟のどこかにある。一年二組の教室がある普通教室棟四階からそちらに向かうときは、二つの校舎を繋いでいる三階の渡り廊下を通るのがもっとも早くたどり着ける。
特別教室棟までやってきたわたしは、一人で軽音楽部の部室を探し始めた。
あれから今まで、あの演奏がずっと頭の片隅に残っている。
吹奏楽部の演奏より下手だったのに。
わたしの心を捕らえたまま、今もつかんで離さない。
軽音楽部の部室に行けば、もう一度あの演奏を聴けるかも――そんな淡い期待をわたしは抱いていた。
三階、四階には音楽室が見当たらない。そういえば以前、吹奏楽部は五階の第一音楽室で練習していると柚月が言っていた。軽音楽部の部室も近くにあるかもしれない。
五階まで上がり、教室を順番に確認してみる。
まずは廊下の端に第一音楽室。部屋の中から楽器の音が聞こえてくる。そこから一つずつ調べてみると――第一音楽室の反対側、廊下の端に、もう一つの音楽室があった。
第二音楽室。ここが軽音楽部の部室なのだろうか。
途端に緊張してきた。
わたしのような部外者が勝手に入ってもいいのか、不安になってきた。そもそもここが軽音楽部の部室なのかどうかもわからないけど。
どうする?
やっぱり、今すぐ引き返すべきなのかな?
でも、どうせ家に帰ったところで、予定なんてなにもない。
今から柚月たちと合流する?
……いや、せっかくここまできたんだ。せめてここが軽音楽部の部室なのか、それだけでも確認してから帰ろう。
わたしは第二音楽室の入り口の引き戸に手をかけ、慎重に動かしてみた。
鍵はかかっていなかった。ガラガラという音とともに、引き戸が横にスライドしていく。
「あれ?」
思わず声を出してしまった。中に誰もいなかったのだ。入り口が開いていたから、どこかに出かけているのかもしれない。
とりあえず、室内をざっと見渡してみる。
部屋のつくりは一般的な教室とほぼ変わらない。ただし、入り口から見て奥のほうは演奏用のステージになっている。ドラムセットやギター、スピーカーなどが置いてあることから、やはりここが軽音楽部の部室で間違いないのだろう。
ステージのほかに目立ったものは特になさそうだ。
きょろきょろと首を動かしていると、部屋の奥に開き戸を発見した。扉の向こう側に誰かいるだろうか。
ふいに、その扉がガチャリと開かれた。
そこから現れたのは、背の高い一人の男子生徒だった。
「あ」
わたしが声をもらすのと、
「うおっ!?」
その人が叫ぶのはほぼ同時だった。
「あ、す、すいません!」わたしは頭を軽く下げた。「わ、わたし、えっと、その……」
「なんだよてめー、いきなり」男が前に出る。「なにが目的なんだ、おい」
「いきなりケンカ腰になってどうすんの、オガチン」
別の男子生徒が扉の奥から身を乗り出してきた。オガチンと呼ばれた男よりも細身で、丸いメガネをかけている。どことなくさわやかな風貌だ。
「あの……わたし、別に怪しい者ではありません」なにを言ってるんだ、わたしは。「一年の栗沢といいます。本当です」
わたしがそう言うと、メガネの男が顔を輝かせながら近づいてきた。
「一年――ってことはきみ、もしかして入部希望者!?」
「え? にゅ、入部?」
いや、わたしはただ、この前の演奏を聴けないかと――
「僕は一年五組の寺島啓司っていうんだ。それで、こっちの無愛想なのが緒方恭平。クラスは一組。一年同士よろしくね、栗沢さん。そうそう、こいつのことは親しみをこめてオガチンと呼んでね」
「勝手に俺の名前教えてんじゃねーよ、クソメガネ」
「あいてっ!」
寺島は緒方に頭をはたかれてしまった。
「だ、大丈夫、寺島くん……?」
「うん、全然平気だよ。それと栗沢さん、僕らのことは呼び捨てで構わないから」
頭をさすりながら、寺島がにこやかに笑った。そう言われても、男子のことを呼び捨てで呼ぶのは憚られてしまう。
「えっと……二人は、軽音楽部の部員なの?」
「なんだおまえ、そんなことも知らずにここまで来たのか」
わたしの質問に、緒方は真顔で答えた。
「ご、ごめんなさい」
「はあ? なんで謝るんだよ。謝ってんじゃねー。俺は別に怒ってねーよ」
「だ、だって……」
それはあなたが怖いからです。
茶髪にパーマ。大きな体格。着崩した制服。相手を威圧するような目つき。そんな顔ですごまれたら、反射的に謝ってしまいます。
「大丈夫だよ、栗沢さん。たしかにオガチンは無愛想でチンピラみたいな見た目だけど、根はそんなに悪いやつじゃ――あ、ちょ! 首根っこをつかむのはやめてくれえ!」
「人のことボロクソに言うのもやめろ」
本人の前でその人の悪口を言えることが、なんだかうらやましく思えてしまう。それって、相手を信頼していなければできないことだから。
「と、とにかく!」寺島が口を開く。「ここは軽音部の部室で、僕らはその部員だよ。今は部員が三人しかいないから、栗沢さんが希望するならすぐに入部できると思うよ」
「だからわたしは――三人?」
「僕らのほかにもう一人、先輩がいるんだ。その人が部長ってわけ。部長の許可さえ下りれば、その時点で軽音部に入れるよ」
「もしかして、部長ってあの女の人?」
「あれ、よくわかったね。そっか、文化祭のライブ観に来てくれたのかな」
「うん。この前の演奏、観てたよ」
わたしは体育館で目にした光景を思い出してみた。あのときにステージで演奏していたギタリストは、まぎれもなくこの二人だ。
「その子、誰?」
突然、後ろから声が聞こえた。