第7話
※次回は明日中に更新します。
翌日の朝。
午前十時過ぎに部室に入ると、わたし以外の三人はすでに楽器の練習を始めていた。
「おー、ほしのちゃん。久しぶり!」
「おはよう、栗沢さん」
相神さんと寺島が手を止め、わたしに挨拶をした。
二人の顔を見回しながら、
「おはよう!」
わたしは元気よく挨拶を返した。
それから、わたしのことなどおかまいなくギターを弾いている緒方に目を向けた。
緒方はそこでギターの音を止め、わたしを一瞥してから口を開いた。
「今日から本格的に練習するぞ。年内中にライブをやるのが目標だからな」
「任せて。わたし、試験期間中もドラムの練習してたから」
自室でドラムの練習をしている間、ずっと思っていた。
早く部室で実物のドラムをたたきたい、って。
教則本を見ながら練習していくうちに、少しずつだけどドラムをたたくコツというものをつかめてきたのだ。練習用に使っていた雑誌の表紙がボロボロになるくらいのめりこんだ。
今の自分はどのくらいドラムをたたけるのか、早く試してみたい。
わたしは速やかに演奏の準備を整え、ドラムのイスに腰かけた。
両手にはわたしの相棒である二本のドラムスティックが握られている。
今からドラムをたたける――そう考えると、無性にワクワクしてきた。
右足をフットペダルの上に乗せ、両手をクロスさせる。右手のスティックを左側のハイハイットに、左手のスティックを目の前のスネアドラムに向ける。
ここまでは、頭の中でイメージしていた光景と同じだ。
大事なのはここから先。
わたしは非常にゆっくりしたテンポで8ビートをたたき始めた。
ツッタンツツタン、
ツッタンツツタン、
両手を振り下ろし、右足で足元を蹴るように踏む。
初めてたたいたときとは違い、ちゃんとしたリズムになっていた。
こうやってほかのメンバーを支えるのが、ドラムの役割なんだ。
「見て見て、ほしのちゃんが8ビートたたいてる!」
「かっこいいな、栗沢さん!」
相神さんと寺島が褒めてくれて、顔が少しにやけてしまった。
調子に乗り、わたしはほかのリズムパターンもいろいろと試してみた。
まだ力強い音を出すことはできないけど、一定のテンポでドラムをたたけるようにはなれた。ドラム用のメトロノームのスマホアプリを活用したのも役立った。
しばらくドラムをたたいていると、相神さんがわたしのもとにやってきた。
「この調子なら、今日中に『終わらない歌』も合わせられるんじゃない?」
「え? みんなで、ですか?」
「そう。四人で音を合わせられるかなって。早くこのメンバーで演奏してみたいんだ」
「わかりました。それなら、今から『終わらない歌』の練習をしますね」
なにも異論はない。
わたしも相神さんと同じ気持ちを抱えているのだから。
緒方から手渡された『終わらない歌』のバンドスコアに目を通し、スマホで実際に原曲を聴きながら練習を始めた。
初心者のわたしにとってはテンポが早く感じるけど、ドラムフレーズそのものはシンプルだ。わたしでもなんとか理解できる。問題は、身体のほうが演奏に追いつくかどうかだ。
ドラムの演奏と譜面の確認を交互に行いながら、頭と身体の両方にドラムフレーズをたたきこんでいく。
数十分後、寺島がギターを弾く手を止め、他の部員を見回しながら提案した。
「ねえねえ、みんなで一度合わせてみない?」
「でもわたし、まだ全部覚えきってないよ」
「それだけたたければ、充分だと思うよ」寺島がわたしを説得する。「途中で演奏が止まったっていいじゃん。練習なんだしさ。いいかげん、僕だってみんなと合わせてみたいよ」
わたしや相神さんだけじゃなく、寺島もそう思っていたんだ。
「はいはい! 私も合わせてみたーい!」
相神さんもノリノリだ。
となると、残りは――
「オガチーン。オガチンも四人で演奏してみたいって思うでしょ?」
寺島の問いかけに、緒方は軽く頷いた。
「さっさと合わせるぞ」
そう口にした彼の目は、どこかギラギラしていた。
「わかったよ。その代わり、あんまりわたしに期待しないでよ」
全員一致ということで、わたしたち四人は音合わせの準備を始めた。
演奏する曲はブルーハーツの『終わらない歌』。
自分以外の誰かと音を合わせるのは初めてだから、それなりに緊張する。
これはただの練習だ。練習だから、必要以上に気負うことはない。
ステージの上で四人が楽器を構える。
「ほしのちゃんがカウントを取るんだよ。できる?」
「できます」わたしは即答した。「ハイハットシンバルを上下に開いた状態で打ち鳴らせばいいんですよね?」
「そうそう。じゃあ、任せたよ」
わたし以外の三人は自分の楽器を構え、わたしに身体を向ける。
部室全体に沈黙が訪れる。
扇風機の作動音だけが、静かに聞こえてくる。
静寂を切り裂くように、わたしは右手を振り下ろしてハイハットを打ち鳴らした。
三回鳴らした後にスネアドラムを打撃。続いてバスドラムの連打。
同時に、緒方と寺島がギターを鳴らす。
『終わらない歌』は冒頭からいきなりサビに入る。
サビに入ったところで、相神さんのベースが加わる。
そして、緒方がギターを弾きながら、叫ぶように荒々しく歌い始めた。
今この瞬間、四人の音は一つに重なった。
わたしは今までの人生で経験したことのない高揚感を味わっていた。
バンド演奏には、一人でドラムの練習をしているときとは比べものにならないほどの楽しさと刺激が満ち溢れていることを知ったからだ。
わたしの目の前で、三人がギターやベースを弾いている。歌を歌っている。
その中で8ビートを刻むのは、ただただ心地よかった。
時間がぎゅっと凝縮されていく。
時の流れが極度に遅く感じる。
あれ?
なにかがおかしい。
それからすぐ――二回目のサビの途中で、四人の演奏が止まってしまった。
楽器の音が鳴り止んだことにより、わたしはようやく理解することができた。
わたしのドラムがずれていたんだ。
一定のリズムテンポをキープすることができなかったから、みんなの音が混乱してしまったんだ。
時間の感覚がおかしくなったのも、演奏のずれによるものだ。
「ま、最初だしこんなもんだよね」最初に口を切ったのは相神さんだった。「一発でバッチリ決まるほうが怖いってもんよ」
「もう一回合わせてみましょうよ。次はもっと長く演奏できるかもしれませんからね」
寺島がギターに手をかけながら言った。
緒方はなにも言わずにギターを構えていた。
わたしもドラムスティックを握りしめ、再びカウントを取るために両手を構えた。
みんなと一緒に何度か『終わらない歌』を合わせてみたけど、結局最後まで通して演奏することはできなかった。
たった一度だけ、最後のサビの部分まで進んだときがあった。しかし、このときもわたしのミスにより、そこから演奏が崩れてしまった。
また、午後から塾があるとのことで、相神さんは昼過ぎに一人で帰ってしまった。
そのあとは残った一年生トリオで楽器の練習をしたり、雑談をしたり、楽屋裏でゲームをしながら過ごした。
午後五時ごろ、三人は楽器を持って部室をあとにした。
太陽は西の空に傾いていた。校庭のほうから校舎の中まで、運動部によるかけ声が聞こえてくる。
「あの、二人とも」わたしは前を歩く男子二人に声をかけた。「今日はごめん。わたしのせいで、最後まで演奏できなかったね」
わたしが謝ると、すぐに寺島が振り返った。
「いや、そんなことはないよ。むしろ栗沢さんの上達ぶりには驚いたな。僕は今日、四人で音を合わせることができて、すごく楽しかった。栗沢さんはどうだった?」
わたし?
そんなの決まってる。
「とっても楽しかったよ」
だんだんバンド活動にのめりこむ人たちの気持ちがわかってきた。
みんなで一つの曲を奏でる一体感。
これこそが、バンドの魅力なんだ。
「だったらそれでいいじゃん」寺島が話を続ける。「これから少しずつ、みんなで音を合わせられるようになっていけばいいんだよ」
「そうだね。……ありがとう、寺島くん」
「それほどでも」
寺島は指でメガネを押し、優しそうな笑みを浮かべた。
「緒方くんは? 今日のバンド演奏、楽しかった?」
わたしがたずねると、緒方は前を向いたまま答えた。
「まあ、つまらなくはなかったな」
「なにそれ」
そのひねくれた感想に、わたしは吹き出しそうになった。
「オガチンは素直じゃないからね。しょうがないやつだ」
「るっせ」
緒方は寺島をギロリとにらみつけた。
なんとも微笑ましい光景だ。
今日はみんなと演奏できて、本当に楽しかった。
それだけじゃない。お互いの距離が縮まったような気がして、嬉しかった。
もっとたくさんドラムの練習をして、四人の音を最後まで繋げられるようにしたい。
そう思った。