第5話
※次回は明日のお昼ごろに更新します。
「緒方くん! 遅れてごめん!」
息を切らしながら、わたしは部室に飛びこんだ。
緒方に勉強を教えることをすっかり忘れていた。
「別にいいよ」昨日と同じく、緒方はドラムのイスに座っている。「頼んだのはこっちのほうだしな」
「そりゃそうだけど……」
せめて、一言くらい返事を入れておくべきだった。
心の中で反省しつつ、わたしは今日も楽屋裏で勉強の準備を整えた。
一つの机をへだてた向こう側に緒方が座る。
昨日言っていたとおり、今日は国語の試験勉強をした。授業中にまとめたノートを用いながら、試験範囲に含まれている小説の流れを解説していく。現代文が終わったら古文に取りかかり、最後に昨日勉強した英語の復習をした。
緒方は途中で何回か頭を抱えながらも、わたしの教えることに根気よく耳を傾けていた。勉強中、どちらもいっさい無駄話をすることはなかった。
「だいたい、こんなところかな」
わたしは机に広げていた英語の教科書を閉じた。
ひととおり試験勉強のめどがつくと、緒方は机の上にシャーペンを放り投げた。憔悴しきった顔つきだ。彼はそのまま後頭部をイスの背もたれに乗せ、部屋の天井を見上げる。
「明日はどうするの、勉強会」
わたしとしては、緒方に勉強を教えるのも悪くはないと思っていた。一度覚えた内容の要点をまとめて誰かに教えることは、自分自身の復習にもなるからだ。この二人だと余計な雑談を交わすこともないから、効
率もいい。
しかし、緒方はどこか元気のない声を出した。
「いや、もういい。後は暗記勝負だ。死ぬ気で覚えりゃいい」
命がけの覚悟だ。わたしの教える余地はもうないらしい。まあ、わたしだってそこまで勉強ができるわけでもないから、このへんが潮時だろう。
「わかったよ。お互い、良い結果が出るようにがんばろうね」
「ああ、そうだな」
わたしたちは帰り支度を済ませ、二人並んで校舎に出た。それから緒方は自転車置き場に向かい、自分の自転車をひっぱり出した。
正門の直前まで来たところで、緒方が足を止めた。
「どうしたの、緒方くん」
「いや……ありがとな、栗沢」
「いえいえ。どういたしまして」
緒方は無愛想で口下手だ。
でも、寺島が言っていたとおり、根は良いやつだ。
ただ単に人と接するのが苦手なだけなのかも。まだ出会ってから一ヶ月もたってないけど、わたしにはそう思える。
「じゃあね、緒方くん。また今度」
わたしが別れを告げて正門をくぐろうとしたそのとき、
「待て」
すぐ後ろから、緒方が呼び止めてきた。そして彼は、わたしの左手首を強くつかんだ。
「な、なに?」
わたしは首だけを後ろに向け、緒方の顔を見る。こういうときはまだまだ彼に恐怖を感じてしまう。
「おまえが――」
そこで言葉は途切れた。
「おまえが……その続きは?」
「やっぱなんでもない。じゃあな」
緒方はわたしの腕を放し、自転車に乗って学校の外に出ていった。
「……はあ?」
いったいなにを言うつもりだったんだ。男の子って、わけわからん。