第4話
※次回は明日の夜に更新します。
この日の授業はまるで集中できなかった。期末試験も迫っているというのに、こんな調子ではまずい。そう思いつつも、寺島と交わした会話がどうしても忘れられなかった。
悶々とした気持ちを抱えたまま、ついに放課後を迎えてしまった。
たまにはこんな日だってある。明日からまた本腰を入れて授業を受ければいい――そんなふうに自分を説得した。
緒方に勉強を教えるため、わたしは今日も軽音部の部室に寄るつもりだ。
暑くて喉が渇いていたので、先に一階でジュースを買うことにした。
階段を下りて一階まで移動し、寺島がおしるこを買った自販機に向かって歩を進める。
機械の前で二人の男女が立っていた。
なにげなく近づいてみると、二人の会話が聞こえてきた。
「いまさらどのツラ下げて言ってんの」
「待ってくれ、俺の話を聞いてくれ」
男子生徒は知らない人だったけど、女子生徒のほうには見覚えがあった。
彼女の声音はつららのように鋭くて冷たい。
だから――彼女が相神さんだと気づいたとき、思わず声が出そうになった。
わたしはとっさに口を閉じ、普段では信じられないほどの速さで踵を返した。そして、廊下の曲がり角からこっそり二人の様子をうかがうことにした。
相神さんたちがわたしに気づいた様子はなさそうだ。耳をすませば、ここからでも二人の言い争いが聞こえてくる。
「あんたの話なんて聞きたくもない。早くそこをどいてよ」
「頼む、話だけでも聞いてくれ。志穂が望むならいくらでも謝るから!」
「あれ、呼び捨てなの? 先輩はつけないんだ」
相神さんが怖い!
あの人、先輩のことを志穂って呼んでる!
いったいこの二人はなんなんだ!?
わたしの興奮をよそに、二人の言い争いはさらにエスカレートしていく。
「あのときはすまなかった。謝るよ」
「あのときっていつのこと? もう覚えてないな」
「あいつとはもうとっくに別れてる。だから――」
「しつこいな。遊びたいだけならほかの女の子と遊んでね。で、話はいつまで続くのかな。私これでも急いでるんだけど」
相神さんがきっぱりとした口調で言うと、男子生徒は昇降口のほうへと去ってしまった。
「ふん……いくじなし」
容赦のない言葉を吐き捨てる彼女を見て、背筋がぞくりと震えた。
「さてと」相神さんはわたしのいる方向に足を向けた。「そこにいるんでしょ、ほしのちゃん。なにもしないから出ておいで」
――やばい、ばれてた!
どうしよう。どこか隠れる場所を見つけないと!
焦るわたしのことなどおかまいなく、相神さんはいきなり廊下を駆けだした。
「や、ほしのちゃん。こんにちは」
「こ、こんにちは……」
あっさり見つかってしまった。
目の前で相神さんが嗜虐的な笑みを浮かべている。
「私とあいつの会話、聞いてたでしょ? 正直に言って。もし嘘ついたりしたら、きみのことめちゃくちゃにするから」
「聞いてました」わたしは深々と頭を下げた。「申し訳ございません。どうか許してください。悪気はなかったのです。勘弁してください……」
最後のほうは、自分でも情けなくなるほど声が震えていた。
そんなわたしを見て、相神さんはけらけらと笑いだした。
「ふふ、あははは。だからなにもしないってば。ほんと、ほしのちゃんのリアクションは可愛いなー。もっともっといじめ――いじりたくなるよ」
さらっと酷いこと言いかけましたよね、今。
「ほしのちゃん。……あの男、気になってたりする?」
「え? あ、はい。気になります。あの人、相神さんとはどういった関係なんですか」
「……しょうがないなあ。ここで話すのもなんだし、外に出よっか」
相神さんに誘われ、わたしたちは校舎の外に出た。それから、人の少ない校庭付近のベンチに二人並んで腰かけた。校舎が壁となり、強い日差しの下にさらされることはなかった。
わたしはすぐに話を切り出すことにした。
「誰なんですか、あの人」
「あいつは……私の元カレだよ」
「元――恋人、ですか?」
「そう。なんで言い換えたの」相神さんはくすりと笑う。「ま、一ヶ月くらいしか続かなかったんだけどね。別れてからもう一年以上もたつのに、今になって私につきまとうようになったんだ。嫌になるよね、ああいう未練たらたらの男って」
「そ、そうですね、あはは……」
笑ってごまかすしかなかった。わたしにはまだわかりません。
「私ね、高校を卒業するまでは一人でいたいんだ。彼氏なんていらない」
え? 今、なんて言った?
「今日は塾があるし、もう帰るね。ばいばい、ほしのちゃん。また今度二人きりで話そうね」
そう言いながら、相神さんはベンチから勢いよく立ち上がり、学校の正門がある方向に身体を向けた。
「あの!」
自分でも信じられないほどの大きな声を出していた。
「なーに、ほしのちゃん」
「相神さんは……あの人とよりを戻す気はないんですか?」
「ないよ」
短く答えた相神さんから、強い意思を感じた。
本当に未練はないのだろうか。
彼女の表情はどこか憂いを帯びているようにも見える。
しかし――どちらにしろ、寺島の恋が成就することはなさそうだ。少なくとも、今の段階では。本人の前で恋の応援をすると言った以上、寺島には絶対にこのことを話せないけど。
マナーモードに設定していたスマホが唐突に振動した。電話がかかったのだ。
その相手は、緒方恭平だった。