第3話
※次回は明日の夜に更新します。
柚月とは地元が同じだけど、毎朝待ち合わせをしているわけではない。途中でどちらかがどちらかの姿を発見したときのみ、一緒に登校することになっていた。
今朝は柚月がわたしを見つけたので、学校まで話しながら登校することになった。
学校の昇降口で上履きを履いていると、廊下で寺島と相神さんの二人が話している場面を目撃した。二人とも――特に、寺島の話す姿がすごく楽しそうに見えた。朝からいったいなにを話しているのだろうか。
隣にいる柚月がわたしの見ている方向に目をやった。
「あの二人って、軽音部員?」
彼女の洞察力にわたしはびっくりした。
「すごい。よくわかったね」
「だってあんた、めっちゃそわそわしてるもん」
「そう見える?」
「うん。まあ、ほしののそういうところが可愛かったりするんだけどね!」
恥ずかしいから、そういうことは口にしないでほしい。
「私は先に教室に行ってるから。またあとでね!」
そう言うと、柚月はわたしのもとから離れて一人で教室に向かった。
そのときにはもう、相神さんの姿はどこにも見当たらなかった。
「あ、栗沢さんだ。おはよう」
寺島と目が合ったので、わたしは彼のもとに向かった。
「相神さんとなにを話してたの?」
「見てたの? 最近流行ってるアニメの話だよ。相神さんとはアニメの好みが合うんだ」
アニメの話をしてたのか。やけに寺島が楽しそうに見えたのも、アニメの話題で盛り上がっていたからなのかな。
「さっきの寺島くん、ずいぶん楽しそうに見えたよ」
「そりゃあ、好きな人とアニメの話題で盛り上がれば楽しいよ」
「え?」
「……あっ」
たった今、ものすごい爆弾発言が耳に飛びこんできた。
「す、す、好きな人って――」
「しまった! 口が滑ったあ!」
二人して廊下で取り乱してしまった。寺島の顔が見る見るうちに赤く染まっていく。その様子を見ていたら、なんだか自分の顔まで熱くなってきた。ていうか、なんでわたしまでこんなに狼狽してるんだ。
「今言ったことは忘れてくれ、お願いだあ!」
「む、無理無理!」
試験のためにしかたなく丸暗記した英単語や数式とはわけが違う。今すぐ頭に強い衝撃を受けて気絶でもしなければ、彼の失言を記憶から抹消することはできないと断言できる。
しばしの沈黙のあと、わたしはあたりをうかがうように口を開いた。
「寺島くんは、相神さんのことが好きなんだね」
「……そうなんだ。驚いたでしょ」
そのとおりです。おおいに驚きました。
「だからあんなに楽しそうだったんだね、寺島くん」
「このことは、どうか誰にも話さないでほしい。頼むよ、このとおりだ」
両手を合わせながら頭を下げる寺島を見て、わたしはつい意地悪をしてみたくなった。
「どうしよっかな。ジュースでも飲めば、固く口を閉じる気になれるかも」
「わかった」
寺島は即答し、廊下に置いてある自販機にダッシュした。それから財布を取り出し、機械に小銭を投入した。
「待って!」わたしは寺島のあとを追いかけた。「ほんの冗談のつもりで言っただけだよ!」
「これやるから! 内緒にしてくれ!」
彼はわたしに一本の缶を差し出した。それは冷たいおしるこ缶だった。
なぜ学校の自販機におしるこ缶が? なぜそれを選んだ?
――いや、そんなことはどうでもいい。
「寺島くん、安心して。誰にも言うつもりはないから」
わたしはおしるこ缶を受け取りながら、そう告げた。
「ほんとに? 口が裂けても、本人とオガチンにだけは言わないでよ」
「言わない。約束する」
「ほかの人に聞かれても、ちゃんとごまかしてよ。もしも正直に話さなければ殺すっておどされたら、そのときは黙って死を受け入れるんだよ。いいね?」
無茶言うな!
そう言いたかったけど、今の寺島の前ではなにも言えず、わたしはただ首を縦に振るしかなかった。
わたしの態度に納得したのか、ようやく寺島の様子が落ち着いてきた。
「……冷静に考えてみると、栗沢さんは誰かに言いふらすような人じゃないよね。ごめん、テンパってて変なこと言っちゃった。あー、われながら情けないなあ、もう」
「でも、意外だったな。寺島くんが相神さんに想いを寄せているだなんて」
「あのさ、栗沢さん」寺島がわたしの目をまっすぐ見据える。「栗沢さんは、誰か異性を好きになったことってある? もちろんライクじゃなくて、ラブのほうで」
そう聞かれて、わたしは口をつぐんでしまった。
考える時間なんていらないのに。
「ないよ。わたしには、そんな経験なんてない。だから、なにも助言なんてできないよ」
「そっか。気を悪くしたなら謝るよ」
「そんなことはないってば。わたし、陰ながら寺島くんの恋を応援するよ」
「ありがとう、栗沢さん。とうぶんの間は進展しないと思うけど、まあ気長に見ててね」
寺島はすでにいつもどおりのさわやかさを取り戻していた。先ほどとはまるで別人のようだ。
校舎内に朝の予鈴が鳴り響き、二人は時刻を確認した。
「まずい、そろそろホームルームの時間だ。急がないと遅刻扱いになっちゃう。じゃあね、栗沢さん。試験が終わったら、また部室で会おうね!」
わたしに別れを告げてから、寺島は廊下を全力疾走した。すぐに彼の姿は見えなくなってしまった。
わたしも教室に向かって足早に歩き始めた。
右手に持っているおしるこ缶を見ながら、わたしは考える。
おしるこはそんなに好きではない。でも、この中身は最後まで飲み切ろう。これに口をつけないで捨てるのは、寺島に対して失礼だと思ったから。
彼の気持ちを本当の意味で理解することはできない。だから、せめて彼の邪魔だけはしないように心がけよう。