第5話
※次回は今日の夜に更新します。
日曜日の朝。
わたしは梅ヶ丘駅の入り口にいた。
自分たちの通う高校からほど近いこの街で、軽音部のみんなと一日過ごすことになった。
さて、待ち合わせの時間よりだいぶ早く来てしまった。さすがにわたしが一番乗りかな。そう思って駅前をうろついていると――
「おい、栗沢」
聞き覚えのある声が耳に届いた。
振り返ってみると、そこにはズボンにTシャツというラフな格好をした緒方がいた。
「あ、おはよう、緒方くん」
こんなに早く緒方が来るのは予想外だった。彼と二人きりでいるのは少々気まずい。
「ほかの二人はまだか」
そう言いながら、緒方が建物の壁によりかかった。
「まだ来てないよ」わたしは首を横に振った。「集合時間は十時だからね。わたしたちが早く来すぎちゃったんだよ」
時刻は現在、九時四十分。
この日を楽しみにしていたから、わたしはつい早起きしてしまったのだ。
「緒方くん」
「あん?」
「緒方くんも、今日を楽しみにしてたの?」
「どういう意味だ」
「いや、だから――楽しみにしてたから、早く来ちゃったのかなって」
さりげなくそうたずねてみると、緒方は顔を逸らした。
「うるせー。いちいちくだらねーこと聞くな」
その横顔はなんだか照れているように見えた。
「……ひょっとして、図星?」
「ひっぱたくぞ」
「ごめんなさい」
これ以上追及するのはやめておこう。あとが怖いし。
全員が合流したのは、十時を少し過ぎたころだった。
「遅れてごめんね。寝坊しちゃってさー」最後にやってきた相神さんが両手を合わせた。「これじゃあ部長のメンツが丸つぶれだよ」
「いえいえ、そんなことはありませんよ」
そう言いながら、わたしは相神さんの服装をチェックしてみた。
清涼感のある水色のワンピースに、袖の短いクリーム色のカーディガンを羽織っている。靴はキツネ色のサボサンダルだ。
とても似合っていた。大人の女性といったところか。ただ、元々の素材がいいのだから、どんなコーディネートでも似合いそうな気はする。
「あの、相神さん。その服装、とても素敵ですね」
「ほんとにー? ありがとね、ほしのちゃん! ほしのちゃんもとっても可愛いよ!」
「あ、ありがとうございます」
いやいや、いくらなんでも今のはお世辞だろう。わたしは短パンにTシャツ、その上に薄手のパーカーを着ているだけ。まあ、お世辞でも嬉しいけど。
「ねえねえ。僕のファッションはどう?」
寺島が自分の身体を指差した。
ズボンにTシャツという組み合わせは緒方と変わらないけど、彼は五分袖ほどのサマージャケットを重ねていた。たったそれだけの違いで、どことなくオシャレに見える。
「寺島くんの服装もいいと思うよ」
「やったー! 女の子に褒められた!」
寺島は嬉しそうにガッツポーズをした。そこまで喜ぶほどのことなのだろうか。
駅前で軽く雑談してから、一行は楽器店に向かって歩き出した。
話によると、駅のすぐ近くに三人がよく利用する楽器店があるとのことだ。
休日ということもあってか、駅周辺はかなり混雑している。人で賑わう街の中を突き進み、わたしたちはアーケードの中へと入っていく。余談だけど、この県内でアーケード街があるのは梅ヶ丘市内だけらしい。
曲がり角にある建物の階段を上がると、目的地である『海野楽器 サウンドクルー梅ヶ丘』という楽器店に到着した。
「うわ、すごいな」
素直に驚いた。店内にはギターやベースなどの弦楽器、吹奏楽で使うような管楽器、そのほかドラムやピアノにキーボードといった楽器が所狭しと陳列されている。
「ドラムスティックはここじゃなくて、奥のほうにあるよ」
相神さんに案内され、わたしは店の奥に進んでいく。
いろんな曲の楽譜や楽器の教則本などが置いてあるコーナーを通り抜けた先に、ドラムスティックが収納されている棚があった。
「自分にとって使いやすいものを選ぶのが一番だよ。私はあっちでベースを見てるから、またあとでね」
わたしが返事を言う前に、相神さんはさっさと弦楽器のコーナーに向かっていった。
わたしは何本ものドラムスティックを手当たりしだいに握ってみた。
ドラムスティックは何十種類もあって、選ぶのに時間がかかりそうだ。太いものは避けて、軽くて握りやすいものに狙いを定めよう。
じっくり吟味していくうちに、自分の手にしっくりくるものを見つけることができた。
『PROMARK』というモデルで、価格は税込み千六百二十円。決して安くはないけど、楽器本体の値段に比べればたいしたことはない。
あまり時間をかけたらみんなを待たせることになりかねないので、ドラムスティックはこれに決めよう。
続いてドラムの教則本を一冊だけ本棚から抜き取り、それらをレジに持っていった。
買い物を済まして弦楽器のコーナーに向かうと、緒方と寺島がギターを鑑賞していた。多種多様なギターが床や壁にぎっしり立てかけられており、なんとも壮観な眺めだ。
「あ、栗沢さん。このギターを見てよ」
寺島は細長いショーケースを指差した。
その中には、一本の黒いギターが飾られていた。
「これがどうかしたの?」
「値段見てみろ」
横から緒方がぼそりとつぶやいた。
「どれ――って百八十五万!?」
ギターの値段を目にして、わたしは驚愕した。
世の中にはこんなに高価なギターがあるのか?
「やけに高いね、このギター」
「ヴィンテージものだからね」寺島が説明する。「ヴィンテージっていうのは中古のことを指すんだけど、基本的にギターは古い時代につくられたもののほうが良い音が鳴るんだ。このギターは六十年代につくられたギブソン製のギターだから、この値段で妥当ってわけ」
「これで妥当なんだ……」
「ちなみに五十年代のやつだと、一千万を超えたりするよ」
「一千万って――」
そこまで高いと、逆に実感がわいてこない。一般的な高校生の財産ではまず入手不可能だ。
「こういうギターが手元にあれば、今よりやる気が出てくるんだけどなあ。オガチンもそう思わない?」
「大事なのは演奏技術だろ。一流のギタリストが弾くギターなら、たとえ安いギターでも良い音が出る」
緒方は自信ありげな口調で言った。
その考えにはどこか共感できる部分があった。たしかに楽器の質も大事だけど、いくら高価な楽器を持っていたところで、演奏者の実力が伴っていなければ単なる宝の持ち腐れだ。
相神さんと合流したあとは、四人で固まって店内を徘徊した。わたし以外の三人は弦やピックといった小物を購入し、それから楽器店を出た。