林檎はいらない
念のためR15指定、残酷な描写ありとしています。そこまで露骨な表現ではないとは思いますが、苦手な方はご注意ください。
ある国の王妃は、とても美しい女性だった。雪のように白い肌、黒檀ような艶のある黒い髪、薔薇のように紅い唇。生まれた時からもっていたその美貌を維持するために、努力も怠らない女性だった。
そして、自分が世界で一番美しくあることに、強く固執する女性だった。
城では、ある噂が広がっていた。この世のどこかに、魔法の鏡がある。その鏡にこの世で一番美しい女性は誰だ、と尋ねると、その女性の名前を答えるというのだ。誰がどこで聞いたのかもわからない噂だが、城の中でその噂を知らないものはいなかった。そしてその噂を聞いたものは、誰もがこう考えた。
この噂が王妃の耳に届いたら、必ずその鏡を手に入れたがるだろう、と。
城の者たちの考えは大当たりだった。王妃は城中の者たちを集め、魔法の鏡を探し出せ、と命じた。そんなのただの冗談だ、と誰もが思っているが、それを口に出す者はいなかった。王妃はその地位を良いことに、いつも他人に無理難題を押し付けた。自分の思い通りにならないと、人でも物にも当たり散らすとんでもない女性だった。そして自分が一番の美女であることに執着している以上、王妃に逆らうとろくな目にあわないことは容易に想像できた。
そしてある時、城中がざわついた。一人の男が魔法の鏡を見つけたという。その鏡は本物なのかを確かめるべく、皆広間に集まった。鏡の傍には鏡を見つけた男と、王女がいる。
鏡が本当に一番の美女を答えるのか。仮に答えたとしても、王妃の名を言わなかったら?広間は緊張で張り詰めていた。いくら王妃の命令だとしても、とんでもないことをしてくれたな。城の者たちは、誰もがそう思った。
「鏡よ鏡。この世で一番美しいのは?」
「世界で一番美しいのは、それは王妃、あなたです」
広間は安堵に包まれた。鏡が喋ったことよりも、王妃以外の名が出てこないことに心底胸をなでおろした。
鏡を見つけた男には、報酬が支払われたという。男には多額の借金があり、必要最低限の生活しか出来ず、自分の身の回りにお金を使えない妻と娘のことをいつも気にかけていた。やっと家族が幸せになれると、男は喜んだ。
王妃はというと、いつもご機嫌な毎日を送っていた。鏡に話しかけるため、部屋に引きこもりがちになった。いつのまにか美貌を維持する努力も忘れていた。そして、恐れていたことがおきた。
「城下にアンナという十七の娘がいる。その娘を殺しなさい」
広間は静まり返った。自分勝手な王妃だが、さすがにこれまで人殺しの命をだしたことは無かった。城の者たちは察した。ああ、王妃は世界一の美女の座から落ちたのだと。これには大臣が口出しした。
「王妃、人殺しはさすがに……」
「逆らうなら、逆らう者から殺していくだけよ」
それからというもの、娘を殺し王妃が一番の座に返り咲く、しかしまた王妃より美しい娘が現れる。その繰り返しだった。事実、王妃はかつての美しさを失っていた。美貌を維持する努力もすでにしていなかった。美貌を維持することよりも、自分より美しい娘を殺せば、自ずと自分が一番になるのだから。それでも自分が一番ではないと告げられるたびに、周囲に当たり散らした。時には、王である夫や娘の白雪にまで八つ当たりをしたという。いっそ鏡を壊せばいいと考えた者もいるが、王妃はずっと部屋にこもり、鏡の前を離れなず 、壊しに行く隙などなかった。なんといっても、もし割ったのが自分だとばれたら、殺されるのは明白である。王妃は自身の権力を、自身の美貌の次に大事にしているのだ。
あんまりだ、と一人つぶやいたのは、いつか鏡を見つけたあの男だった。
「鏡よ鏡。この世で一番美しいのは?」
「世界で一番美しいのは、それはあなたの娘、白雪です」
王妃は固まった。この鏡は何度も自分以外の名を口にするたび体はひどく強張った。しかし、今ほど氷のように固まったことはない。心臓が止まったようにすら感じた。
「白雪……?娘の白雪が一番美しいというの……?」
「はい。世界で一番美しいのは、白雪です」
確かに王妃の白雪は、大変美しい女性へと成長していた。いつかの王女のように真っ白な肌、艶のある黒髪、真っ赤に熟れた唇。王妃と違い口数が少なく大人しい性格から、密かに白雪に惚れている者も少なくない。つい最近二十歳をむかえ、大人の女性の仲間入りをしたばかりだ。その美貌から、国内はもちろん、国外の有権者からも白雪との縁談を望んでいる。
しかし、王妃に迷いはない。自分の娘だろうと、殺す。例え美貌がなくても、権力はある。ためらいこそ無いが、城の者に命を出す直前、思い正す。もし白雪を殺したのが母親である自分と国民にばれたら、権力までも失ってしまうと。どうすれば国民にばれずに娘を消すことが出来るのか。王妃は大勢に命を出すのではなく、一人の男にだけ命をだした。鏡を見つけたあの男である。男には、礼とはいえ報酬を出した過去がある。多額の借金を返済出来るほどの金額だ。それにつけこめば、男は命を聞かざるをえないだろう。
「かしこまりました」
男はすぐに命を引き受けた。その目に生気は感じられない。王妃によって繰り返される悲劇に辟易していたのだ。心は生きていない。この悲劇の発端は、鏡を見つけ出した自分自身なのだから。
「近いうち、白雪は隣国へ行く予定がある。隣国の王子との縁談のためだ。これを上手く利用すればいいわ。王や従者も同行せざるをえないだろうが……」
そしてその日、男は御者に成りすまし白雪を森の奥へと誘った。王妃が王や従者たちには別の馬車を手配させ、白雪を孤立させることに成功した。
「姫、申し訳ありませんが、あなたには死んでもらわなくてはなりません」
死の宣告をされても、白雪は動じなかった。ただ静かに笑った。白雪の笑顔は大変美しかった。
「何を言っているの。私が殺される?」
「もっと殺されるべき女が、この世にはいるじゃない」
次の日、白雪が行方不明になっていると国中はおろか隣国まで大騒ぎになっているなか、王妃はまたもや体を固まらせていた。
鏡がまた、白雪の名を答えたのだ。白雪は男の手によって殺されたのではないのか?男が裏切ったのだろうか。しかしそれなら、娘の殺害を企てたことを誰かしらに告発しているはずだ。
それでも王妃の頭は、娘を消すことでいっぱいだった。たとえ何があっても、娘を殺さなければ!世界で一番美しいのは、私であるのだから!
自分の手で娘を殺すしかない。命を出した男の行方も知れず、この騒ぎのなか他の者に命をだすわけにも行かない。なんとしてでも白雪を探し出し、娘を殺し、自分が一番の美女になるのだ。
白雪の居場所は知れないが、恐らくまだ森の中にいる。行方不明だと騒ぎになっているからには、この国にも隣国にもいないだろう。森の中なら、ろくに身動きもできず、空腹や体力の限界に悩まされているはずだ。
王妃は毒を使い、白雪を殺すことに決めた。変装し、毒を仕込ませた林檎を白雪に届け、食べさせるのだ。白雪は、林檎が好物だ。ましてや食べ物も無い状態で好物を差し出されたらすぐにかぶりつくだろう。
王妃はすぐに毒林檎を準備し、老婆になりすました。慣れない格好で森の中を散策するのは予想以上に骨が折れ、疲れ果てろくに声も出ない姿は、さながら本当の老婆のようだった。
王妃は森の奥に小さな小屋を見つけた。小さな明かりが灯り、煙突からは煙が出ている。人がいることは明白だ。白雪がいるかは訪ねなければわからないが、森で二十位の娘を見かけなかったか、と聞く価値はあるだろう。
「もしもし。誰かおらんかね」
王妃が小屋のドアを叩き声をかけると、程なく中から人が出てきた。
王妃は一瞬、目を丸くした。出てきたのは、間違いなく白雪である。こんな簡単にことが進んでいいのだろうか?その展開に王妃は疲れも吹っ飛び、白雪に話しかける。
「お嬢さん。林檎はいらんかね。赤く熟れた、甘い林檎じゃよ」
「まあお婆さん。私、林檎が大好きなの。ありがたくいただくわ」
王妃は歓喜した。林檎を口にしたそのとき、白雪は血を吐くだろう。その瞬間、私は世界一の美女になる!
「いただきます」
地面は一面、赤に染まった。林檎よりもずっとずっと赤かった。血は止まらない。
王妃の体から、血が流れ続けた。
王妃は自分の背中が、以上に熱いことに気がついた。
もしかして、今、私は、背中を、刺されている?
王妃は倒れこんだ。背中に刺された刃物が小さな音を立て地面に落ちる。意識を失いかける瞬間、白雪以外の人影を見かけた。
王妃が命を出した、あの男である。
「もっと殺されるべき女が、この世にはいるじゃない」
「姫、何を」
「私、知っているわ。あなたがあの鏡を見つけたのですってね。お礼にたくさんのお金をもらったそうじゃない。生活に余裕が出来て、家族も喜んでいたんですってね」
「姫、その話はお止め下さい」
男は顔が真っ青になった。男には、自分のせいで王妃が人殺しの命をだすようになったことより、自身もまた多くの娘の命を奪ったことよりも、一つ重荷を背負っていた。
「殺された娘たちの中に、あなたの娘もいたんですってね」
男の娘もまた、被害者の一人だった。多額の借金を返済してもなお、十分すぎるほど余った報酬によって、生活はいっぺんした。それまで新しい洋服も買えなかったが、男の妻も娘も、自分のためにお金をかけることが出来るようになった。年頃だった娘は、自分自身が美しくなるため、努力することも、お金を使うことも厭わなくなった。
それが皮肉な運命を迎えることになった。娘は見違えるほど美しくなった。生活だけでなく、心にも余裕が出来たことがより一層娘を美しく見せた。
美しくなったからこそ、娘は殺された。王妃より美しくなった、世界で一番美しくなったがゆえに殺されたのだ。
悲劇はまだ続いた。娘が殺されたショックに耐えかねた男の妻が、自ら命を絶ったのだ。
「私を殺したところで、状況は変わらないわ。殺すなら、お母様を殺さないと」
「そんなことは、誰だってわかっている!」
「国のお偉い様だからといって、ただの一人の女よ。訓練をしているわけでもないのだし。数多くの娘を殺すより、お母様を殺したほうが、ずっとためになるわよ」
男は言葉を詰まらせた。白雪のいう通りだ。たとえ王妃を殺すことをしくじり自分が殺されたとしても。それはずっと今の自分の状態よりましなのではないのか。罪の無い者を殺し、心が死んでしまった今の自分よりも、ずっと。
「今私を殺して城に帰っても、きっとあなた、殺されるわよ。私を殺したことを知っているんですもの。これから先、生きていけないわよ」
「ただでさえあなた、今生きているの?意思を感じないの。ねぇ、人を殺すなら、相手を考えないと。私よりずっと、殺されるべき女がいるでしょう?」
男の目に光が宿った。殺す相手が変わったところで、人殺しが許されるわけではない。それでも、男の心は、人を殺すことによって、生き返ろうとしていた。
「ねえあなた、世界で一番美しいのは誰?」
ある国の王妃は、とても美しい女性だった。雪のように白い肌、黒檀ような艶のある黒い髪、薔薇のように紅い唇。しかしその王妃の娘は、王妃よりもさらに美しい女性で、現在の王妃にあたる。
その国では、一時期、ある鏡の話題で持ちきりであった。その鏡は世界で一番美しい女性を言い当てるというもので、その鏡が原因で、かつての王妃は気が狂ってしまったのだと。
「こんな鏡なんてなくても」
その鏡はもう、この世には存在しない。現王妃が粉々に割って、処分したという。
「一番美しいといってくれる人がいるもの」
元王妃の行いは決して許されることではないが、国民たちの間では、今は他の話題で持ちきりだった。姫、白雪が隣国との王子との縁談を断り、ある一人の男との結婚を決めたという。
現王妃もまた、先代と同じとんでもない人だと国民は笑った。
「世界で一番美しいのは、それは白雪、あなたです」