8話 鎧作り
「これから鎧作りのために工房にこもる。俺が作業している間は絶対に工房へ立ち入るな」
アランがそう言い残し工房へ篭って、はや六日が経過していた。
リーナはその間、鈍っていた身体を鍛えなおす訓練に精を出しつつ、毎日三食の食事をアランに差し入れる生活を送っていた。
リーナが工房の入り口にできたての食事を置いてしばらくすると、綺麗に平らげた食器が同じ場所に戻されていた。
工房からは常に作業音が聞こえて来ていて、それは食事中も止むことはなかった。
アランがリーナに言いつけたことは食事の準備以外にもあった。
一つは毎日風呂に入ること。
これは、わざわざアランに言われなくても入るつもりだった。リーナは、訓練で一週間風呂に入らないことなどもあったが、風呂に入れる環境ならば毎日風呂に入るのは当然だと考えていた。
だから、執拗に念を押すアランに若干の疑問を覚えた。
アランは食事を含む家事のほとんどをリーナに任せていたが、風呂の準備だけは自ら行なっていた。
もう一つは鎧屋シールズ・アーマーの店番である。
店番といっても、鎧屋に来る客は日に二、三人程度。それも、ほとんどは予約していた鎧や修理に出していた武具を取りに来る人ばかり。訓練に支障が出るほどのものではなかった。
リーナが、出会ったばかりの私に家のことや商売のお金に関わる仕事を任せても大丈夫なのか?と、逆に心配になって尋ねるたが、アランは大丈夫とそっけなく答えた。
なんでも、この家には先代から引き継いだ防犯の仕掛けがいたるところに隠してあるらしく、リーナが不審な行動をとれば直ぐに行動能力を奪う何かしらの仕掛けが襲って来るのだという。
それを聞いてリーナは逆に安心した。
出会って間もないリーナにアランが全幅の信頼を寄せてくれていたのなら、何か裏があるのではないかと勘ぐってしまう。
むしろ、今はまだ信頼されていない方が居心地がいい。
無論、リーナにアランを裏切るつもりはなかった。
しかし、理由のない信頼よりも適度な疑いの中の方がリーナとしても安心できた。
風呂の準備を譲らないのも、風呂場にはその仕掛けがないか薄いという理由なのだとリーナは解釈していた。
だから、鎧作りでアランが引きこもっている間、リーナは勤めて真摯に働いた。
しかし、それも今日で六日目。
約束の闘技の日、狂気の劇場は明日に迫っていた。
リーナは焦っていた。
鎧作りに一般的にどれくらいの時間がかかるのかは分からない。それでも、防御箇所を極端に制限されたリーナの鎧を作るのに、これほどまでの時間がかかるとは思えなかった。
もし間に合わなければ。
そんな仮定が幾度も頭に浮かんでは、強引にかき消していた。
街では至る所でその話題が持ち上がり、賭けに興じる人も数多くいた。
無論、シールズ・アーマーに訪ねて来る客のほとんどもその事を話題にした。
幸い、狂気の劇場に参加するのが女兵士である、という情報だけが世間に流れており、それがリーナであるとバレることはなかった。
装備を買いに来る客たちに、リーナは自分の事を戦争孤児となったアランの遠い親戚という風に伝えていた。
そんなリーナに客たちは狂気の劇場についての話をこぞって聞かせた。
「裸の怪盗三姉妹って知ってるか?三年前に狂気の劇場に出た盗みの天才達だ」
その話をしたのは、先代からシールズ・アーマーを利用しているという傭兵の男。三十年以上前にナルビアに滅ぼされた国出身だというこの男は、その腕とシールズ・アーマーの鎧を頼りに戦場で生きてきたという。
身体は熊のように大きく、その態度と仕草さも確かな自信からくる落ち着きがある壮年の戦士であった。
「その三人はこの国始まって以来の大罪、王城への侵入と掠奪未遂の罪で捕らえられた。
本来ならその場で殺されていてもおかしくはない大罪なのだが……あ、ナルビアには死刑はないのだが裁判にかける前の戦闘行為で犯人が死んでしまうことはたまにあるんだ。
しかし、その場に居合わせた国王様はそれを許さなかった。むしろ、堅牢を誇る自分の城に侵入したその三人を褒めたんだ。
だが、法になっとるのならこの三人は奴隷落ちか国外追放となるだろう。そこで、その三人は国王に狂気の劇場への参加をお願いしたんだ」
「でも、狂気の劇場は奴隷や奴隷に堕ちそうなもの達を辱しめ、国民に恐怖と優越感を与えるためのものなんじゃないんですか」
「もちろんその側面もある。だが、狂気の劇場を生き残ったものも確かに存在し、今では国の要職についているものもいる。
だから、罪人の中には進んで参加したがるものもいる。その三人もそうであったように」
「で、その三人はいどうなったんですか?」
「三人は若く、自信に満ち溢れていた。事実、それだけの力もあったんだろう。だが、国王の城に侵入するという前代未聞の犯行を聞いた国中の鎧屋は表、裏の世界関係なく全てがその三人の鎧作りを拒んだ。
結果、三人は自作した鎧もどきを身に纏い本来の力を発揮できずに敗れて行った。その後三人は国外追放となり、今ではその消息を知るものもいない」
壮年の戦士は、一つため息を吐いた後こうつぶやいた。
「女が狂気の劇場へ出ると、決まって勝負以外を楽しみにする輩が現れる。女が狂気の劇場にでるのなら、まずその羞恥に耐えることから始めなければならない。
俺は、あの三人のように力を出しきれず敗れていく女の兵士を見るのが嫌なんだ」
それは、リーナに向けた言葉ではないのだろうが、リーナの中に引っかかった。
結局、前日になってもアランは工房から出てこなかった。
リーナの頭に、三人の女盗賊の話がよぎった。
彼女らは鎧屋に見放された後、なんとか自作の鎧を作り上げたそうだが、もしアランの鎧作りが間に合わなければどうなるだろう?
制約の範囲内で今からリーナが用意できるのは精々布でできた下着くらい。何と戦うかも分からないのに、そんな姿で勝てるとは思えない。
リーナはまだ作業音がする工房をじっと見つめ、祈るように手を胸の前で組んだ。