28話 二人の記憶
月明かりに照らされた静かな湯船に裸の男女が背中合わせに座っていた。
お互いの姿は見えていないが、背中に伝わる微かな水の振動がそこにいる相手の存在を教えてくれた。
これまで、女性の体に変わってしまった男たちの体なら数え切れないほど見て来たアランだったが、生まれついての女性の裸をしっかりと見たのは今回が初めてのことだった。
男より丸みのある体、形の違う性器、膨らんだ乳房、それらは他の女の体をした訓練兵と変わらない。
それなのに、マンダラの体を見たアランはこれまで感じたことのない胸のざわめきを感じていた。
これまで、雪山の魔女の呪いで姿を変えられたものの体を見ても、戸惑いや気まずさに似た感情を抱くことはあった。
だが、マンダラが生まれついての女性であるとわかった途端、アランは自分の中の知らない部分が理性の蓋を開けてしまいそうなほど大きくなるのを感じた。
それは、未知の快感への甘い誘惑のようにも、底のない沼へ誘われる恐怖のようにも感じられた。
「お、俺先に上がるから……」
このままここにいてはダメだと思い、立ち上がった。
マンダラの方へ動こうとする視線を、理性で抑え込み湯船を出ようとした。
「待って」
制止したマンダラの声は決して大きくなかったが、二人しかいない浴場によく響いた。
アランは、一瞬の躊躇いののちもう一度腰を下ろした。
アランが座るのを待って、マンダラは何の前置きもなくゆっくりと話し始めた。
「私の家はね、過去に十二人の将軍を輩出して来た名門なの。だけど、私の祖父が戦さ場で大きな失敗を犯して、立場を悪くした。
同じく軍人だった父はその汚名をそそぐため、自ら危険な戦場に志願して手柄を立てるために懸命に戦われているの」
アランはなぜそんな話を始めたのか考える間も無く、ただマンダラの話に聞き入った。
「父は数々の武勲をあげて私の家はたった一代で再び名門と呼ばれるまでに復興したわ。
でも、危険な戦場に身を置いていた父の体は度重なる戦闘でボロボロになっていたの。そして、私が生まれる頃に、戦士として取り返しのつかない重傷を負ったわ。
名誉の負傷として勲章をいただく代わりに父は、子供を作る能力を失った」
アランはマンダラの口調から感情を読み取ろうとしたが、上手くいかなかった。
家の過去について語るマンダラの声には、怒りも悲しみも、呆れも諦めも、喜びや驚きも何一つ含まれていなかった。
ただ、教科書に書いてある事を淡々と朗読しているような感じがした。
他の誰かが聞いたのなら、マンダラの無感情な様に不気味な印象を抱いた事だろう。
だが、お互いに一糸纏わぬ姿で同じ湯に浸かっているという特殊な状況のせいか、アランはそこに不気味さを感じることはなく、むしろ親近感に似た感情を抱いた。
「戦士としての居場所と家を継ぐ息子を授かることができなくなった父は憔悴して、一時期とは別人のような姿になってしまった。
私は、どうしても父たかったの」
最後の一言に、初めての温度が感じ取れた。
「六年前の事件。貴方や姿を変えられたみんなには悪いけど、私は内心やったと感じたの。
これで、女であることが弱みじゃなくなるって。
知り合いに頼めば私の戸籍を書き換えることだってできる。
父も、私が『かつて男だった女』として生きる事を認めてくれた。
もう戦場で武勲を立てることができない父の代わりになる。
それが、私がここにいる理由よ」
職人の家に生まれたアランにとって、家を守るという意味は今ひとつ理解出来ない。
「でもさすがに、中身が男の人たちの中で裸になるの嫌で、こうして夜中にここへ来ていたの」
「それを俺に話してどうするんだ?俺にお前の秘密を誰かにバラそうなんて思っちゃいないぞ」
「そんなの私には分からないじゃない。貴方がここを出た後、教官室へ向わないという保証はどこにも無いんだから」
「俺だって風呂に無断で入ってるだから、何で自分から怒られに行かなくちゃいけないんだよ」
「施設の無断使用と私の問題を同列で扱わないでちょうだい。呪いのせいだとはいえ、あっさりと家業を諦めて軍へ逃げてきた貴方には分からないでしょうけど、私たち武を生業とする一族にとって、家の存亡は自分の命よりも大切なものなのよ」
家業を諦めた。その一言が胸に突き刺さる。アランにとってそれは意外なことだった。
まだ決心がついていなかったのか、と自分でも可笑しくなる。
「じゃあ、どうすればいいのさ?いくら信用出来ないからって、一生俺のそばから離れないつもりじゃ無いだろうな?」
「私が一方的に秘密を握られているから安心できないの。だから、貴方の秘密を私に教えなさい。そうすれば信じてあげる」
それはあまりにも横暴な要求だった。
「なんで、俺がそんなこと……」
反論しようと口を開いた瞬間、頭から湯船に浸かった。
後ろからマンダラに突き飛ばされたと気付いたのは、両手首を背中で拘束され体を起こされた後、喉に中指を突きつけられたからだった。
「さっきは不意打ちだったけど、本来の戦闘力なら私の方が上なのよ。
私も朝までに血で汚れた浴場を洗うなんて手間をかけたく無いの。大人しくいう事を聞いて」
今度ばかりは、背中に当たる胸の感触に邪な感情を抱く余裕はなかった。
こうしてアランとマンダラは、お互いの秘密を共有する、共犯のような関係となったのである。




