25話 マンドレとアラン
マンドレはその日、いつもより早めに家に帰り、仕事の続きを書斎で片付けていた。
いつもなら裁判所に残って片付ける仕事なのだが、今日は屋敷に客人が来る予定になっていたのだ。
マンドレは代々続く貴族の家系で、城下町の一等地に巨大な屋敷を構えている。
しかし、その屋敷に住んでいるのはマンドレとマンドレの一人娘であるマンダラの二人だけ。
住み込みで働く執事と家政婦がいるが、彼らは敷地内にある使用人の家に住んでいるので、この屋敷で生活をしているのは二人だけだった。
いや、生活をしているという意味では、マンドレ一人だけだといっても間違いではないだろう。
なぜなら、マンドレの一人娘であるマンダラはこの六年間一度もベットから立ち上がったことがなかったからだ。
マンダラは自室にある大きなベットに横になっている。
安らかな顔で目を閉じたまま、僅かな動きもない。
たまに聞こえる消え入りそうな呼吸の音だけが、彼女が行きている証である。
マンドレが書類にサインを書く音だけが響く静かな屋敷にベルの音が響いた。来客を告げるベルである。
ちょうど仕事もキリがいいところまで終わっていたので、マンドレは静かにペンを置いた。
コンコン
今度は、書斎の扉を誰かが小さく二回ノックした。
「旦那様、お客様がお見えです」
扉の奥から恭しくそう言ったのは、親の代からマンドレの家系に使える執事である。
「入ってもらえ」
マンドレが許可すると、書斎の扉がゆっくりと開いた。
そこには、白髪の執事と赤髪の青年の二人が立っていた。
マンドレは執事に下がるように命じ、赤髪の青年を部屋は招き入れた。
「お久しぶりですマンドレさん。まずは、准将への昇任おめでとうございます」
開口一番にそう言って頭を下げた青年。彼の名はアラン。
大陸随一とされた腕を持つ鎧師の息子であり、雪山の魔女の呪いに侵されたものの一人。
今は、フィーメルン特任の鎧師である。
いつもより礼儀正しいアランの姿を見て、マンドレは眉を顰めた。
「ふん、そんな言葉遣いをするな気色が悪い。思ってもいないことを口にしおって」
「そんなことはないですよ。マンドレさんは本来ならもっと早く昇進できたはずだ。それを止めてしまったのは俺なんだから、少しは気にしていたんですよ」
「あれは私が愚かであったがためのこと。貴様に責任があるとは考えていないと前にも言ったはずだろう」
マンドレはそこで言葉を区切り、アランから目を背け扉の外の景色に目をやった。
「私が力に固執するまありあのような悪魔の道具を手放せずにいた。もし、早々に処分していればマンダラがあの力に魅せられることもなかった」
それは、遠い過去を思い返すかのような口ぶりだった。
「それは違う。あれは並の人間には扱えないものだ。それ単体では本来の力を発揮することなできない。俺が、何も知らないままあの力を解放させさえしなければ、もっと知識を持って鎧を作っていればこんなことにはならなかった」
アランが背を向けたマンドレにそう反論したが、その後には長い沈黙が待っていた。
もともと静かだった屋敷から音という概念が消え去ったかのような静寂が訪れた。
この二人の間には、修復の効かない大きな溝がある。
その溝の深さを、アランは改めて感じていた。
再び口を開いなのはマンドレだった。
まだ、視線は窓の外を向いている。
「今日は何のために来たんだ。マンダラを見舞いに来たのではないのだろう?
まさか、お互いの胸の傷を抉るためだけに来たのか」
アランが書斎に入るまで、マンドレは、アランがようやくマンダラの見舞いに来たのだと思っていた。
だが、書斎に一歩踏み入れたアランの悲壮な顔を見てそれが思い違いであると早々に気がついていた。
だが、マンダラの見舞い以外にアランがわざわざマンドレの屋敷を訪ねる理由が思いつかなかった。話をするだけなら、軍本部でも軍法裁判所でもいい。
ここに来たということは、誰にも聞かれたくない話があるからだろう。
アランはしばらくの間躊躇していたが、意を決して口を開いた。
「実はあんたの耳にだけはどうしても入れておきたいことができたんだ。
この前、リーナが俺のところへやって来た」
「ザビヌの小娘が?それのどこが大事な話なんだ?」
「奴は、あるものを探していた。そしてそれは、俺たち二人のトラウマに関するものだ」
そこまで話すと、マンドレは全てを察したように目を見開いた。そして、ゆっくりとアランの方へと向きなおる。
「もちろん、確証があって俺に訪ねに来たわけじゃない。情報収集の一環だったんだろう。
だけど、あいつらはそれを探し出して使うつもりだ」
マンダラの目を見据えてアランはそう言い切った。
「誰が主導している?アレについて知るものは限られているはずだ」
「俺が聞いた話では、リーナを動かしているのはウエスド将軍。さらに上がいるかまでは把握できていない」
アランの話を聞いてマンドレは頭痛を催したように眉間に手を当てた。
そして、書類の山から一枚を抜き出し、それをアランへと渡した。
今度は、アランが目を見開いて驚く番であった。
「この時期に研修の依頼が来るとは珍しいと思っていたんだ。だが、貴様の話を聞いては納得した」
その書類は、リーナの軍法裁判所での研修を通達するものであった。担当教官の欄にはマンドレの名が記されている。
この人事に裏があるのは明白だった。
「求道者の翡翠……」
ポツリとマンドレが呟いた。
そこには諦めに近い怒りと疲れが込められている。
「もうマンダラと同じ道を歩む者を生み出してはいけない。
この情報には感謝する。調べられると予めわかっていればどうとでも対処が効くからな」
「対処すると言っても、求道者の翡翠をどこかに隠すわけにはいかないだろ?だってあれは今も……」
アランがその先を言えずに唇を噛み締めると、マンドレがその後を引き継いだ。
「ああ、求道者の翡翠はまだ我が娘マンダラの体内に取り込まれたままだ」
二人の間に何度目かの沈黙が流れた。




