第03話 入間史郎の手記
第01節 二人の旅路phase-1〔3/4〕
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《俺の名前は入間史郎。昭和××年×月××日、○○県○○市で生まれた。
家は老舗の旅館業、といえば聞こえは良いが、バブルが弾けて以来客足が遠退いた、時代遅れの古旅館に過ぎない。
俺は子供の頃から、家を出てもっと広い世界が見たいと夢見ていた。
けど、Web小説のように異世界に召喚される人生など、考えたこともなかった》
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女将が俺たちの部屋に来て、奥の間の掛け軸を指して俺に問うた。
「何が書かれているか、おわかりになりますか?」
そこには、漢字でこう書かれていた。
【銀渓庵 華南別邸】と。
ぎんけいあん かなんべってい。
つまり、今俺たちのいる部屋こそが、ウィルマー氏の庵だったのだろう。
それを温泉旅館として改装するとき、名称を「銀渓苑」に改めたのだ。
字を読み、そういった考察までも併せて女将に説明すると、
「どうやら間違いないようですね。あの文字が読める方がこの宿を訪れたなら、渡すようにと伝えられている物があります」
そして差し出されたのが、『入間史郎の手記』と日本語で題された、700年近く前にこの世界に来た男の記録であった。
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《俺を召喚したのは、タギという名の魔術師だった。若くして帝位に就いたアレックスを支える為に、柵の無い人材が必要だったのだという。
こちとら帳簿と格闘していた日々から、いきなり古代ローマ帝国並みの時代風景の中に送り込まれたんだ。平常心を保つことさえ難儀していて何が悪い? 倫理も常識も価値観も、何もかも違う。しかも「帰れない」。無きに等しい可能性を信じて帰る方法を探すか、それとも覚悟を決めてこの世界に骨を埋めるか。いきなり選択を迫られて、すぐに答えを出せる人がいるのなら是非紹介してほしい》
《とはいえ結局この世界に生きる覚悟を決めた俺は、出来る限りのやり方でアレックスを支えることにした》
《兵站の維持は、軍に於いて何より優先される。
どれだけ精強な軍隊も、兵糧無しでその戦力を維持することは出来ないからだ。
しかし、その兵糧を輸送する為にもまた糧秣を必要とする。輸送効率などという言葉自体が莫迦ばかしくなるレベルなのだ。
これまでは兵站をどのように維持していたのかアレックスに聞いてみると、大体現地での収奪によるものだそうだ。阿呆か。ただ勝てば良いのならともかく、その後自国の領土に組み込んで支配することを考えたら、当然そんなことすべきではない。一体誰が強盗に家の鍵を任せるというのか。
『異世界人に何がわかる』。
補給の重要性をアレックスに説いた際の反論の言葉だ。ふざけんな。お前の知らないことを教える為に俺がいるんだろうが!
補給基地の建設と計画的進軍。それを支える為の後方に於ける計画的増産。これらは大規模戦争には必要不可欠である。補給が滞る軍隊など、太平洋戦争末期の日本と同様の末路しかないのだから。
兵糧を現地で調達するのではなく、後方で生産し輸送する。輸送効率を少しでも上げる為の道路の整備。そして場合によっては戦闘終了後そこに暮らす民にも糧秣を提供するくらいでなければ、戦線が延びれば延びるほど崩壊のリスクが高まるジェシカにしかならない》
《カナン帝国の財政官として、アレックスの財布を預かりもうすぐ10年が経つ。
穀物の増産計画は順調で、兵站の他に大規模災害の為の備蓄としても随分確保出来るようになった。
あるだけの穀物を前線に送れ、と昔は言われたものだが、3年前の日照りで某地方の収穫が全滅した際、備蓄庫を開放したことでその地方の餓死者が最少で収まった。翌年その地方では歴史的大豊作となったのだが、租税として定められた納付量以上の収穫物を彼らは国に納めてくれた。徴税官が求める量より多くの税を受け取る、などということはこれまでなかったから、皆目を白黒していた。予定を上回った量の穀物は、困窮していた町村に回すことになった》
《アレックスは大陸西部をほぼ手中に収め、更に東方へ遠征をすることにしたようだ。
この世界が地球と似ているのなら、大陸の東側には稲作をしている民族もいるかもしれない。もしかしたら、白いご飯が食べられるかもしれない。そう思うと、やはり俺は日本人なんだな、と思ってしまう》
《アレックスが、俺に褒美をくれるといった。
褒美をもらえるようなことは何もしていないと断ったのだが、謙遜は嫌味だと、お前がいなければとうの昔に帝国は崩壊していたと言われ、褒美を受け取ることになった。
俺がアレックスに望んだのは、小さな庵だった。
場所は山奥で、温かい(或いは熱い)川が流れているところ。つまり、温泉の涌き出す土地だ。
見知らぬ世界を夢見て、最終的に求めるところは生まれ育った温泉街だという皮肉に、嘗ての自分の幼さを嗤いたくなった》
《アレックスが死んだ。享年49。
敦盛じゃないが、人生五十年と考えると充分に生きたのかもしれないが、俺にとってはまだ壮年の盛りだ。早すぎると思って何の不思議があるだろう?
アレックスの子供たちは、お決まりの後継者争いを始めた。
物語なら面白可笑しく見ていられるだろうが、友人の子供たちと考えると遣る瀬無いものがある。
タギは、誰がアレックスの後を継いでもその後継者に力を貸す、と言っていた。
けど俺はゴメンだ。
俺がこの世界に召喚されたのは、アレックスを支える為であってこの国の為じゃない。
アレックスが死んだ以上、あとは俺の銀渓庵でのんびり余生を過ごしたい》
《帝都が燃えた。俺とタギとアレックスの三人で作った都が。
アレックスの国は、アレックスが死んでから30年しか続かなかった。
タギも連絡が途絶えて何年にもなる。彼ももう生きてはいまい。
俺の銀渓苑は既に三代目が修行している。帝国が滅びても俺の旅館は繁栄しているというのが、何かの冗談に思えてならない》
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シロー・ウィルマー。
爵位はないが、カナン帝国初代財政官として、アレックス帝を支えた人物。
商人ギルドの創設者の中にもその名が残されている。
但しこれは本名ではないという説もある。
出身地は不明。戦時に於ける補給の重要性を語り、アレックス帝の遠征で一人の兵も飢えさせることがなかったのは彼の功績であるという。
アレックス帝の死後隠棲した。彼を帝国官僚として留め置くことが出来なかったことが、帝国崩壊の一因だと主張する研究者もいる。
彼が隠棲した地「ウィルマー」は、彼の名が由来である。
カナン暦84年没。アレックス帝の作った国の滅亡を見届け、その翌年この世を去った。
彼が創業した旅館【銀渓苑】は、彼の死後600年以上経っても尚ウィルマー最高級の温泉宿として賑わっている。
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(2,923文字:2015/11/13初稿 2016/05/31投稿予約 2016/07/03 03:00掲載予定)
【注:「輸送効率などという言葉自体が莫迦ばかしくなるレベル」という台詞は、〔田中芳樹著『七都市物語』ハヤカワ書房〕の一節からの引用です。
「敦盛」とは、幸若舞に於ける平家物語に出てくる平敦盛を題材とした曲舞のことですが、むしろ織田信長が桶狭間の戦いを前に謡った「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか」(『信長公記』)の引用(原典の平家物語では「下天」ではなく「化天」)です。なおここでいう「人間五十年」は「(当時の)人間の寿命が五十年」という意味ではなく、「人の世(人間)の五十年は下天(天界)の一日に過ぎない」という意味で、この点入間氏はその謡の意味を間違って理解しています】




