第05話 術前
第01節 年の瀬~新しい家族~〔5/6〕
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日本には、『医師法』という法律(昭和二十三年七月三十日法律第二百一号)があり、その第十七条に「医師でなければ、医業をなしてはならない」と明記されている。
日本では「資格ある藪医者より、無資格の名医」という考え方がある。これは名作漫画『ブラック・ジャック』(手塚治虫著)の影響が大きい為と思われるが、この考え方は間違いである。
医療行為は、半端な知識で行えば患者(対象者)を死に至らしめる恐れもある。またたとえ手術を無難に終わらせた経験がある無資格医であったとしても、手術以外の選択肢があったかもしれないとき、むやみやたらと執刀することが正しいとは絶対に言えない。
無資格医の場合、手術以外の選択肢を検討するだけの知識がないのかもしれないのである。手術以外の選択肢を知る藪医者と、それしか知らない無資格医。どちらがマシかと問われれば、藪医者の方がまだマシだろう。
だからこそ、国家試験と研修による職務経験を経て、一定の知識と技術があると国家による認定を受けた医師のみが、医療行為を業として行うことが出来るのである。
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シェイラの肩の皮膚を切開し、その瘤の中身である脂肪の塊を摘出し、再び縫合する。
前世の知識に照らすまでもなく、これは医療行為である。「報酬を貰わないから業として行ったのではない」と言い訳出来るかもしれないが、そもそも現世で前世の法に縛られる理由はなく、それ以前に誰に対して言い訳をするというのか?
前世の俺は、医師ではなかった。知識など、ただのオタクの嗜み程度しかない。そんな浅薄なものを頼りに、これから家族になろうという女の子の肌に刃を突き入れようとしているのだ。誰かの赦しを得たいと思って、何が悪い?
そもそも、セラさんやアリシアさんに対してだけは、絶対にそんな素振りを見せられない。いや二人だけじゃなく、この街で出会った多くの人たちの前では、「何でも知っている博物学者」を演じ続けたい。くだらない建前論とわかっていても、それを押し通したい。
だからこそ、誰にも言えない「言い訳」を、誰かに言いたい。
誰からももらえない「赦し」を、誰かから得たい。
それが出来ないのなら。
建前を真実にするしかない。
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この世界には、外科手術という概念がない。
体の内部で生じる異変は、全て毒か病気、それ以外は外法の術(少なくとも四大精霊属性の魔法には存在しない)による呪詛の結果であると考える。
だから、「身体の中にある異物を、皮膚を切り裂いて取り出す」など、あまりに乱暴なことだと誰もが反対する。それを強行するには、「奴隷の主人」という立場が必要だったのである。
シェイラの過去。その境遇を今から無かったことには出来ない。
しかし、今とこれからを考えるのなら、そのこぶの有無は大きな違いになる。
前世地球でも、無害な脂肪腫が劣等感の源泉となり、鬱病を発症したりする場合もあると聞いたことがあるから、何事もないにしても切除しておいた方が絶対に良い。
そのうえで、無根拠な予感が止まらないのだ。あのこぶは、放置してはいけない、と。
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シェイラの手術を決意してから、最初に考えたことは、シェイラに体力を付けさせることである。
どんな言い訳をしても、その肌に刃を刺し込めば生命力を消耗する。そして、院の子供たちであればすぐ治る怪我でも、今の痩せ細ったシェイラでは致命傷になる可能性もある。
また、素人執刀でありそもそも手術室など用意出来ない以上、感染症の心配もある。それに対する抵抗力をつけるには、まず体力だろう。
そう考えて、シェイラには暫くよく食べよく寝、そして風呂に浸かって身を清め、清潔な衣服を着て、適度に運動するように言い付けた。
そのうえで、俺はある魔法に注目した。
〔解毒魔法〕、である。
この世界には、『毒』は『毒』しかない。
いや、毒に種類があることは知られているが、それでも毒は毒であり、全ての毒は〔解毒魔法〕或いは毒消し草の対象となるのである。
普通に考えるまでもなく、これはおかしい。
寄生虫とウィルスと毒の区別もつかないのに、「毒」と謂われればあとは万能無敵。これはあまりにも都合が良すぎる。
そもそも「毒」と謂っても、Venom(虫や小動物が、獲物を捕食する為に使う毒。ヘビ毒など)もToxin(生物がその生体内で生成する毒素。フグ毒など)も区別なくPoison(本来の意味は、人を殺す為に用いられる毒。砒素など)と呼ぶのだ。それの意味するところは。
おそらく、〔解毒魔法〕は「毒を消す」のではなく、「毒に対する抵抗力を増す」効果があると思われる。
毒には「半数致死量」という考え方がある。その毒を投与した対象の50%が死に至る量である。同じ量の毒でも、全ての相手に同じ効果、とは限らないということだ。
これは、対象者の体力や、年齢や、その他の要因で『普通の人なら死んでもおかしくない量』の毒を盛られても、生き永らえる場合もあり得る、その理由を端的に表している。言い換えれば、「体力や、年齢や、その他の要因」を改善出来れば、「普通の人なら死んでもおかしくない量」の毒を盛られても、死なずに済むということだ。
つまり一時的な体力(抵抗力)の増強。これこそが〔解毒魔法〕の正体だろう。
なら。
〔解毒魔法〕は、病気や怪我による体力低下にも効果がある可能性がある、ということだ。勿論感染症対策にも有効だろう。
これは治験を行う余地がない為、お守りみたいなものだ。
基本は原則に忠実。シェイラが体力を付け、且つ健康でいること。
それこそがシェイラがこの手術を乗り切れる、一番の近道なのだから。
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シェイラの体力作りと並行して、手術道具を作る必要がある。
術衣やガーゼなどは(簡単なものだが)ミリアに任せれば良い。
縫合糸や針は、〔治癒魔法〕に頼る為必要ない。
あとは、切開の為のメスと、摘出の為の鉗子だろうか。
が、前世のオタク知識では鉗子とピンセットの違いもわからない。
鋏を改造した、抓める物をシンディさんに作ってもらおう。
そしてメス。これこそシンディさんに頼ること以外考え付かない。
「別に打ち合う訳でもなく、硬皮を裂く訳でもないから耐久性は考えなくても良い。
一度使ったら二度と使えなくなるような繊細なもので良い。
ただ、肉を切るのに最適な、切れ味のみを追求した刃物が欲しい」
「また変わった注文ね。具体的な話は秘密なの?」
「ごめん、ゆっくり話している精神的な余裕がない。
その刃物でこれから俺の家族になるかもしれない女の子を殺してしまうかもしれない。
でも、救えるかもしれない。
だからこそ、救えることを信じて、その刃物が必要なんだ」
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知識も技術もないのに、外科手術を強行する。
その恐怖を誰と分かち合えば良いのだろう?
2,998文字:2015/10/05初稿 2016/02/28投稿予約 2016/04/14 03:00掲載 2016/10/11誤字修正)
・ 前話のあとがきでも述べましたが、素人が勝手な医療診断やその他の医療行為等を行ってはなりません。法律や倫理以前に、その独善が救いたいと思った相手の命を奪うかもしれないのですから。
・ ちなみに、日本の戦国時代最強の毒は破傷風菌。Poisonでさえありません。




