第39話 家族が待つ家
第08節 銃後の乙女たち〔4/4〕
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新暦2年11月21日(カナン暦707年冬の一の月の17日目)。
ルーナ王女は、ドレイク王国暫定首都ネオハティスに降り立った。
ロージス領都シュトラスブルグを午前中に出立して、その日のうちである。流石にそれほどの移動速度を想像したことが無かったことから、或いは空の旅そのものが想像を絶していた為か、ルーナ王女は夢見心地の表情でネオハティスの大地を踏み締めた。
それにしても、王女が街に降り立ったというのに、出迎えの一人もいない。
その理由に首を傾げながら、有翼騎士の先導で一軒の屋敷の門扉を潜り、玄関を開けた。
と。
「お姉さま、お帰りなさい」
そこで、ルーナの弟妹が揃って迎えてくれていた。
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「街を挙げて、大々的にお姉さまをお出迎えするよりも、家族だけでお迎えした方が良いでしょう、ってことになったんです。
勿論今はまだ、お姉さまのお帰りを知る者は一部しかおりません。その者たちも、最低でも陛下が此度の戦からお戻りになるまでは、お姉さまに静かな時間を約束しよう、と仰ってくれております」
ルシルの先導で、まずは応接間に足を踏み入れた。そしてそこにはお茶とお菓子が用意してあり、暖炉には火が灯っていた。
「もうすぐ夕飯だから、軽くね」
そう言ってルシルは慣れた手つきでお茶を淹れた。
「随分手慣れているのね」
「長く冒険者をやっていたから。旅の途中は侍女に身の回りのことをやらせる訳にはいかないものね」
「待って、スノー姉さま。普通の冒険者は野営の最中に銀器でお茶を淹れたりしないから。ましてやその銀器が神聖銀製、なんて普通ぢゃないから。
その辺の感覚は姉さまも変、ですからね?」
そういうものなのね、とルーナはルシルの言葉を聞いていたら、横からシーナがツッコミを入れてきた。ムートとロッテは笑っている。
「アドルフ陛下が一番変なのよ。あの全く揺れない馬車とか、普通あり得ないでしょう?」
「私も乗せてもらったわ。中に暖炉とベッドがある馬車なんて、はじめてだったからびっくりしたわ」
カナリア公都カノゥスからの撤退時に乗せてもらっていた馬車を思い出して、ルーナもシーナに同調する。
「あの馬車は、アドルフがまだ『セレストグロウン騎士爵』って呼ばれていた時代に、西大陸に向かう為に仕立てたものだったのよ。中で寝泊まり出来るとか、万一の場合はそのまま舟になるとか、結構とんでもないモノだったわね」
「ほんと、何考えてあんな馬車作ったんだか」
「彼は、それこそ放浪民みたいに、大事なものは身近に置いておかないと気が済まない質だったのよ。だから家族全員で乗れる馬車、って言って作ったのがアレだったみたい」
「家族が乗る馬車、か。その馬車で西大陸からスノー姉さまを連れて帰り、この街を切り拓き、真竜を従え、最後にはルーナ姉さまを連れて来てくれた、のね」
「彼は、家族というものをとても大事にしているから」
ルーナは、ルシルとシーナの話を聞いて、ふと思い出した。
「ルシル。彼の本当の家族のことは……」
「勿論知っています。結果的にとはいえ、彼らを断罪したのは私だったのですから」
ベルナンド辺境伯家。それが、ルーナが後になって知らされた、アドルフ王の実家。
「王国を守る盾」としての責務を忘れ「絨毯の騎士」と堕し、結果フェルマールを揺るがした大罪の家。
アドルフ王にとって、ベルナンド辺境伯がフェルマール貴族の象徴であったのであれば。その元締めであるフェルマール王家など信頼する価値もないだろう。
けど。彼は守ってくれた。国を、民を、そして王子と王女たちを。最後には、自分を。
「そんなことよりルーナ姉さま。これからのことを考えましょうよ」
沈みそうになる雰囲気に水を差し、明るく方向転換したのは、ロッテであった。
「ムート兄さまはアドルフ陛下の下で文官になる勉強をしています」
「陛下は戦時平時問わず主計官僚の価値の大きさを事あるごとに説いておりましたけど、此度の戦争でその重要性を思い知りましたからね。もう陛下お一人に苦労を押し付けるようなことはしません」
「カレン姉さまは有角騎士団の団長を目指すんですよね」
「えぇ。これまではフェルマールの王女としての旗印だけで先頭に立たされてきたけれど、軍を率いる将としても、剣を振るう騎士としても、どちらもルビーに一歩も二歩も劣るから。それでもルビーと並び立てるだけの将軍足り得れば、陛下の戦略にも幅が出るわ」
「私は機織りと針仕事の勉強をしています。今は『紅花の里』と仮称されているボルゴの森の東の新町で、衣服に関わる仕事をしたいと思っております。
そしてスノー姉さまは、この国の王妃様になるのです」
「……ムートが、この国はフェルマールの王権を託した国だ、って大々的に宣伝しちゃったから、それならフェルマールの王女が嫁ぐのが筋かな、って」
「あら? 姉さま、それが理由なのですか?
でしたら私もフェルマールの王女ですから、私が陛下に嫁いでも構わないのですよ?
それに姉さまは今『スノー』を名乗っておいでです。周知のこととはいえ、建前上はフェルマールのルシル王女とは別人、ってことになっているじゃないですか。
ならちゃんとフェルマール第四王女の身分のままでこの街に住む、私の方が相応しい、ってことになると思いますが?」
「――っ! ロッテ! でも、あの、そうかもしれないけど、だけど……」
「はいはい。今更取り繕わなくても良いです。勿論私のは冗談ですから。
あ、でも今のこの国は男性が少ないですから、私も陛下の胤を戴いて子を産むのは、選択肢としてはアリですね」
「ロッテ!」
「……という訳で、俺たちの身の振り方は大体決まっています。
でも、ルーナ姉さま。姉さまは焦って答えを出す必要は、無いんです」
ルシルとロッテがじゃれている傍らで、ムートが告げた。
「姉さまに役割を押し付けるつもりはありません。
けど、姉さまがこの街で、何か生き甲斐を見つけることが出来れば良い、と俺たちだけじゃなく町中の、国中の民が望んでいます」
生き甲斐。王家と辺境伯を繋ぐ絆としてではなく、併合した新領土の民を『国民』として帰属させる為の象徴としてでもなく。父王に命じられたからではなく、義父に望まれたからでもなく。ただの一人の女として、やりたいこと、すべきことを見つける。
それは何て自由で、そして何て難しいことなのだろうか。
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ルーナ王女(後に与えられた爵位は「女侯爵」)。
『呑龍戦争』後、ネオハティスに落ち着き、そこで生涯を過ごすことになる。
初等学校と高等学校の両方で礼法を指導し、後進の育成に努めた。
再婚はせず、子供も持たなかったが、街の子らからは「姫先生」と慕われていた。
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(2,712文字《2020年07月以降の文字数カウントルールで再カウント》:2016/11/09初稿 2017/11/02投稿予約 2017/12/03 03:00掲載 2021/03/25脱字修正)
【注:「絨毯の騎士」とは、戦場で剣を振るうことよりも、夜会で贅を誇り女を口説くことに執心する、中世末期の騎士に対する蔑称です】
・ カレンは呑龍戦争に出征しており、戦地でルーナ王女と再会しています。ゆっくり話す時間は取れなかったようですが。
・ この世界では、魔法が意思伝達を媒介します。その為、何語で話しても会話出来ます。言い換えると。アディが「SuE-Tsumu-Hana-no-Sato」と発音しても、或いは「Beni-Bana-no-Sato」と発音しても、他の人たちの耳には「Saflor-burg」と聞こえるのです(何故ドイツ語?)。が、「末摘花の里」という「言葉」を知るサリアの耳には、「SuE-Tsumu-Hana-no-Sato」と聞こえます。
・ 第37話で語ったように、ロッテが後に『織姫』と呼ばれるようになるのなら。ロッテにとっての『彦星』は一体誰なのでしょうか? 残念ながら、それを作中で語ることはありません。




