第35話 終戦
第07節 囚われの姫と白馬の騎士(後篇)〔7/7〕
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新暦2年11月18日。
シュトラスブルグ内ドレイク・アプアラ連合本陣に、カナリア軍司令部より「停戦趣意書」が届けられた。
当然のことながら、カナリア軍司令部には、ドレイク王国やアプアラ王国に対し停戦や講和を求める権限はない。それが出来るのは、公王かその権限を委譲された全権大使だけなのだ。
だから、「趣意書」。「停戦したいと思うが、その趣旨に同意してもらえるだろうか?」という、「伺い書」でしかない。カナリア公王の胸先三寸で、幾らでも覆る、それは書面であった。
しかし。ドレイク王はそれで充分と判断した。
その日のうちに、カナリア軍総司令に任じられた将軍を(当然非武装を条件に)シュトラスブルグ内に招き入れ、カナリア軍撤兵の手順と条件、撤兵に際しドレイク軍からカナリア軍に譲渡する糧秣の量(当然後で代金を請求するが)、そしてカナリア公王を講和の為にシュトラスブルグに招くこととその期限を定めることとなった。
11月19日。
カナリア軍、撤兵。
そして、ドレイク・アプアラ両軍も、(ロージス領の治安維持の為の必要最小限の戦力と行政官僚などを除いて)順次撤兵することになった。
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この戦争は、後に『呑龍戦争』或いは『十文字戦争』と呼ばれるようになる。
『呑龍戦争』は、文字通り「龍が好き勝手暴れた戦争」という意味で、『十文字戦争』は。
フェルマールの王女ルーナの処遇を巡って争ったドレイク王国とカナリア公国、そして漁夫の利を得ようと派兵したアプアラ王国とリングダッド王国が、ロージス領で十文字に交差した戦争だ、という意味である。
しかしその内実は、ドレイク対カナリア(ルーナ王女奪還戦争)、アプアラ対カナリア(ロージス侵攻)、カナリア対リングダッド(ロージス領有問題への干渉)、といった三つの戦争だったと主張する研究家も多い。
殆どの史書は、カナリア公国の敗北でこの戦争が終わったと記述している(その場合は『呑竜戦争』と表記される)が、最も多くの犠牲者を出し、最も多くの賠償金を支払うことになったのは、リングダッド王国であった。
カナリア公国は、『呑龍戦争』敗戦のツケの多くを、リングダッドに押し付けたのだと謂われる。
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此度の戦争で、カナリア軍の戦死者は2,000人を少し超えた程度だった(しかもその半数以上はシュトラスブルグ市郊外でのリングダッド軍との決戦に際しての死者である)。
これは、カナリア公国建国以来の数多の戦争の中で、最も少ない戦死者数でもあった。
しかし、ドレイク軍との戦争の内実は、完敗としか言いようがない。
ドレイク軍の30倍の戦力を擁しながら、公都カノゥス内にまでドレイク軍の侵入を許し、ルーナ王女を奪取され、更にロージス領まで失陥したのだ。
そしてドレイク軍は、その戦略目標たるルーナ王女の奪還を果たしたのち、速やかに兵を退いた。
その動きは、明らかに戦後を見据えてのモノだった。
身も蓋もない話だが、戦争を行う場合、自国に一定数の戦死者が生じてくれた方が、行政府としては有り難い。
ましてや負け戦なら、その敗戦の不満を隣人や家族を殺害した敵国に向けることが出来るのだから。
しかし、直接交戦した部隊の戦死者の割合が10人に1人未満であれば、戦死したのは寧ろ「運が悪かった」という思いの方が勝ってしまう。加えて敵軍の兵士に治療してもらった負傷兵がいる以上、その思いはより強くなるだろう。
そうなると、敗戦の結果生活が苦しくなるのなら、その不満は全て公王、政府に向くことになる。
だからこそ、カナリア公国行政府は、対ドレイク戦争、対アプアラ戦争と切り離し、対リングダッド戦争を語るのである。この一連の戦争に於いて、カナリア公国が勝ち誇れる、唯一の戦争を。
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リングダッド王国にとっては、ロージス地方は鬼門になりつつある。
先のメーダラ領問題(『小麦戦争』)に於いては、ここロージスで、有史以来二度目となる星の落下の直撃を受けた。死傷した将兵の数は大したことはないが、それでも数年前のスイザリア王国モビレア市に星が落ちたときと比較され、「他国の戦争に介入しようとしたから、精霊神が天罰を降したのだ」という認識が市民に浸透していた。
否、星が落ちたのは巡り合わせが悪かっただけであり、神意ではない。その証拠に我々は、未だ精霊神の加護を失っていないではないか。
そう主張して、民意を落ち着かせた、その矢先。
『竜の山』に星が落ちた。
このことで、誰が犠牲になったのか? 調べた結果。
……「ドレイク王国」が誕生した。
リングダッド王国(スイザリア=リングダッド二重王国)にとっては、星が落ちると小さくない被害が出、そして市民の気持ちが王家から離れて行った。
しかし、ドレイク王国にとっては、星が落ちた後冒険者がフェルマールの王子から王権を委譲され、王になり、国を興すことが出来た。
これではまるで、スイザリア=リングダッド二重王国は神の怒りに触れた王国で、ドレイク王国は神に選ばれた王国だ、ということではないか!
そんな評価、許される筈もない。
だから、此度のドレイク王国とカナリア公国の戦争に乗じて、ロージス地方に出兵することを決めた。
その結果。
主力部隊が領都シュトラスブルグを攻めあぐねている間に、ドレイク軍があっさりシュトラスブルグを占領し、同じく派兵してきたアプアラ軍を招き入れた。
カナリア軍はドレイク軍と一定の協定を結び、リングダッド軍主力部隊と正面から激突してこれを打ち破った。
そしてリングダッド軍の後続部隊は、いつの間にやらドレイク軍により壊滅させられていた。
まるで、兵を損する為に、そして「リングダッドが悪でドレイクが正義」という図式を成立させる為に、彼らは出兵したような印象さえ受ける始末であった。
生存兵が国内に帰還した直後、カナリア公国より講和条約の締結が要求された。つまり、「敗北を認め、賠償金を支払え」という訳だ。
カナリア軍は、ドレイク軍相手に敗戦を重ねたとはいえ、戦死者の数は少ないという。なら、場合によっては続け様にリングダッド相手に戦端を開く余裕が残っている可能性もある。
一方で、今回の戦争で痛手を被ったリングダッドにとって、これ以上の外征を行う余裕はない。なら、多少の賠償金を支払ってでも、戦争を終わらせた方が再起の余地が残る。
これにより、リングダッド王もまた、講和の為にシュトラスブルグを訪れることになるのであった。
(2,808文字:2016/10/06初稿 2017/09/30投稿予約 2017/11/25 03:00掲載予定)
・ なお、リングダッド軍の戦死者数は3,000を僅かに超えた程度。実はカナリア軍の被害総数と比べて然程大きい訳ではありません。またカナリアは、かなりの量の糧秣をドレイク軍に「通商破壊」の名目で収奪されていますから、暫く戦争出来る余力はないのですが、リングダッドがそれを知るのは講和条約締結後の話です。




