第34話 シュトラスブルグ防衛戦
第07節 囚われの姫と白馬の騎士(後篇)〔6/7〕
朝、目を醒ましたら。
自分たちが守るべき都市は既に陥落しており、市壁に敵軍の旗が翻り、上官は敵に拘束され、自分たちの周りでは武器を構えた敵兵が囲んでいたら。
そんな、カナリア兵の心境を推察しながら、俺たちはシュトラスブルグ市の占領政策を進めていた。
市壁に貼り付き、眼下のリングダッド軍の相手をするのは、アプアラ軍(正確には「アプアラ・ビジア連合軍」)。
ドレイク軍は、市中でカナリア軍の武装解除と撤退の為の打ち合わせ、そして負傷兵の治療と、軍官民問わず全ての住民に対して食料の炊き出し。
補給が途絶えて約一ヶ月。余裕のある商館や富豪などの所にはまだ食材が残っているだろうけれど、生鮮食品を口に出来なくなって久しい筈。それをルーナ王女の名で市民に配給した。また、アプアラ軍が連れてきた行政官僚に物資の配分に関する差配を任せ、王女自身は市中と救護院の慰問で歩き詰め。ただでさえ人気の高かった王女は、悲劇の王女としてどこに行っても市民たちの歓迎を得られているようだ。
一方、救護院。物資不足により碌な治療を受けられなかった負傷兵(その傷の大半は「三方ヶ原の戦い」でドレイク軍の与えたモノだけど、この際そんなことはどうでも良い)だが、ここでは敵味方を問わず治療を行った。
所謂転生勇者が「戦争が終われば敵も味方もない」と嘯くのとは質が違う。単純に純然たる戦略だ。
ドレイク軍はカナリア軍兵の治療を行う余裕さえあると見せつける為と、「恩人に弓引けるのか?」という相手の良心に訴える作戦。あとは対民衆の「ドレイク軍は敵兵さえ治療する、善良な軍隊です」という宣伝工作。
どちらにしても、完治まで看護出来る訳ではないのだから、一定の治療を済ませたところで放り出さざるを得ない。その場合、重傷の兵も無傷または軽傷のカナリア軍兵と一緒に扱われる、ということだ。しかし、カナリア軍にとってもここは戦地。動けるのなら、戦えると看做し、戦力に数えるだろう。すると、「ドレイク軍は戦地でここまでのことをやってくれたのに、カナリア軍はそのあと何もしてくれなかった」ということになり兼ねない。
治療したカナリア兵は、結果的に「埋伏の毒」となるのである。
◇◆◇ ◆◇◆
カナリア軍シュトラスブルグ防衛隊とドレイク・アプアラ連合軍との間に、合計四日間の休戦を含む幾つかの協定が結ばれた。
一、まずは三日間の休戦。この間シュトラスブルグにいるカナリア兵は、治療と休息に専念する。
二、三日目の夜。リングダッド軍が布陣している方角と反対側に面する門を開き、カナリア軍の撤退を認める。その際、武具は返却する(但し軍馬は返却する武具には含めない)。また、ドレイク軍はカナリア軍へ三日分の食糧を分け与える。
三、カナリア軍の市外への撤退後丸一日は、連合軍はカナリア軍に対して攻撃をしない。
四、シュトラスブルグ防衛隊は、カナリア本国帰還後または本隊との合流後、ドレイク・アプアラ両王連名の親書を本国に届ける。
これが、その協定の中核となる四項目である。勿論その他にも細かい規定などがあるが、その辺りの枝葉の話はどうでも良い。
そして、これも善意に見せかけた猛毒である。
一番目の協定で、三日間。前述の「埋伏の毒」をカナリア本軍に疑わせるに足りる状況を作り出している。
二番目の協定は、武具と食糧を返却するものの、最低限。そしてそれらがあるのだから、休戦期間が明けたら戦闘に参加しない訳にはいかない。更に、彼等には伝えていないもののカナリアからの増援がシュトラスブルグに向かっている。その増援は、シュトラスブルグの備蓄を当てにしているだろう。
三番目の協定で、連合軍側はカナリア軍と戦闘しないと約しているが、リングダッド軍とは休戦協定を結んでいない。つまり、リングダッド軍とはすぐにでも戦闘が始まる惧れがあるのだ。
最後の四番目。これは勿論、終戦とロージス領のアプアラ編入の承認を求めるものである。つまり、わかり易く言えば「負けを認めろ」と要求しているのだ。が、これもリングダッドの名は入っていない。現場では、本国がどう判断するかわからない以上、当面はリングダッドのみを相手にし、連合軍とは本国からの回答待ち、とするだろう。回答次第ではまた泥沼の戦闘が継続されることになるが、さて?
◆◇◆ ◇◆◇
新暦2年11月8日。
ドレイク軍特務部隊による、対リングダッド攻撃が開始。
「魔力銃一型改」“ドラグノフ”を使用した、精密狙撃戦である。
彼我の距離、ホンの150m。一部の狙撃手達は勿論のこと、特務に属する多くの兵たちにとっては必中距離。平均命中率は70%を超える。それが中級司令官と伝令兵を集中的に狙い撃ったのだから、堪らない。最高司令官に万一のことがあっても、すぐに次位がその席を埋める。しかし中級司令官は上級職ほど重要視されていない為、職権委譲のシステムが整っていないのだ。まして伝令兵をや。
これにより、リングダッド軍は秩序だった攻撃を出来なくなった。
11月9日夕刻。
協定に従って、カナリア軍はシュトラスブルグから撤退を始めた。
市の南側にはリングダッド軍が布陣していた為、北側からの撤退であった。
11月10日。
カナリア軍の増援部隊がシュトラスブルグに到着し、撤退した防衛隊と合流した。
これにより、シュトラスブルグ市内にはドレイク軍二千、アプアラ軍六千。
市外南方にリングダッド軍一万二千、市外北方にカナリア軍一万九千が、それぞれ布陣する形になったのである。
11月11日。
ドレイク軍、撤兵開始。
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流石に全軍一斉に、という訳にはいかないが、まずは負傷兵、次いで予備隊、歩兵部隊、の順に撤退を開始した。
撤退の方法は簡単、有翼獅子に同乗させてもらって、である。
その為一日に百人くらいずつしか撤兵出来ないが、一足先に帰れると思えば順番待ちも苦にならないだろう。
ちなみに、特務部隊と近衛隊は最後まで居残りが決まっている。
そして、有翼騎士団は、シュトラスブルグに戻ってくるときリングダッド軍陣地上空を通過し、攻城兵器や糧秣備蓄の上にダイナマイトやS式焼夷弾を投下した。また、本国から12.7mmの弾丸の追加を持ってきてくれた為、特務の狙撃兵も弾丸の残りを気にする必要がなくなった。他にも、アプアラ軍用の矢の補充などもあった。
有翼騎士団は本国にいるドレイク軍人の家族からの手紙も届けてくれており、軍では急速に終戦ムードが高まっていったのである。
◆◇◆ ◇◆◇
11月16日。
カナリア軍とリングダッド軍、シュトラスブルグ近郊の平原で、正面から激突。
指揮系統が寸断されたリングダッド軍では、数に勝るカナリア軍に抗する余地もなく、日没前に決着が付いたのである。
(2,944文字:2016/09/30初稿 2017/09/30投稿予約 2017/11/23 03:00掲載予定)




