第32話 野戦築城
第07節 囚われの姫と白馬の騎士(後篇)〔4/7〕
リングダッド軍との遭遇戦の後、俺たちは場所を移して野戦築城を行った。
本来「野戦築城」とは、野戦陣地に於ける防衛戦を目論んで、防御施設を構築することを指す。しかし、ドレイク軍はそこらの物見台とは比較にならない高所から索敵する目を持っている。そして、ここで防衛戦など行うつもりもない。
では何故野戦築城をする? それは、このところ連戦となり夜もまともに就寝出来ない状況であった我が軍兵に、一時の休息を齎す為である。
偏見かも知れないが、疲労し、身体が不潔・不健康な状況にあって、ストレスが溜まり精神が荒むというのは、男性より女性の方が顕著であると思われる。
そして、一般の軍隊より女性比率の高い我が軍に於いて、その辺りのメンタルケアは死活問題になるのである。
浸かれる風呂(シャワーを浴びるだけではなく)。肉と新鮮野菜、それに果物を添えた温かい食事と山羊乳や果汁・喉湿し(蒸留酒)などの飲み物。清潔な寝具による休息。
それを提供出来る環境を整備する為に、野戦築城をするのである。
◇◆◇ ◆◇◆
「有り難うございます。まさかこんな戦場のど真ん中で、湯に浸かれるなんて、想像もしていませんでした」
湯上りのルーナ王女が、俺たちの陣屋に挨拶に来た。
「ちょうど良い機会だから、改めて教えていただけませんか?
陛下は私を、これからどうなさるおつもりかを」
「どうするつもりもありませんよ。自分にはその必要もありませんし」
「失礼ですけれど。
私は、陛下のそのお言葉を額面通りに信じるには、少々難儀な人生を送っているのです」
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ロージス地方がフェルマール領に編入され、ロージス辺境伯が置かれたのは、カナン暦681年のことである。
初代辺境伯自身、某貧乏男爵家の四男であり、騎士としてロージス地方を巡る戦争に参加し、その武勲から辺境伯に叙されたのである。
ロージス辺境伯は新興であり、譜代の貴族ではない。だからこそフェルマール王家としては、カナリア公国・リングダッド王国とのチョークポイントであるロージス領の領主との繋がりを強化する必要があったのだ。ちょうどその当時に生まれたルーナ王女が、その当時まだ生まれていなかったロージス辺境伯の嫡男の許に降嫁することが決まったのは、だから当然のことでもあった。
しかし、彼の大戦でルーナ王女の夫である伯子は未帰還(戦死)となり、二人の間に生まれた幼い息子は、カナリア公国の公子の手で(ルーナ王女の目前で)殺害された。
公子は、その血を継ぐ男子を孕ませようと王女を組み伏せたが、王女は自らの舌を噛み切り、これに抵抗した。直ぐに処置した為大事には至らなかったものの、「カナリア公家の血を引く子を産むくらいなら、自害する」という、ルーナ王女のその強硬な意思は誰の目にも明らかだった。その為公国は、当面軟禁することで、その想いが緩和することを待っていたのである。
そんな境遇だったからこそ、ルーナ王女はドレイク軍に自身の身柄を移された時、無条件で処遇を任せるような発言をしていた。カナリアでなければどうでも良い。ルシル達を保護してくれた礼も込めて、その身をドレイク王に預けよう。結果裏切られたとしても、それはそれで仕方がない。そんな、ある意味自暴自棄になっていた部分もあったのだ。
しかしここにきて、足手纏いに過ぎない自分たちを護衛する為の、ドレイク軍の労苦を目の当たりにした。その上浸かれるほどの大量の湯を使うことが出来、その厚遇から改めて期待を持ってしまった。その期待がいずれ裏切られる幻想なのか、それとも縋って構わないものなのか。それを直接ぶつけることにしたのであった。
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「私は、物心ついてから今日まで、ずっと他者の思惑のまま生かされておりました。
その私を解放してくださったドレイク王陛下だけがそのような思惑を持たないなど、どうして信じられましょう?」
ルーナ王女のその言葉を聞き、俺も自身の半生を話すことにした。
「俺は、フェルマール貴族の庶子として生まれ、実父と他の家族に疎まれて育ちました。
だから加護の儀式で精霊神の加護を得られなかったのを良い機会と思い、家を出て冒険者になったんです。
そんな出生ですから、フェルマールの貴族に良い印象はありませんし、フェルマールの王族に尊崇の念も持っておりません。
これは俺が騎士爵に叙された後も、変わることはありませんでした。
俺達が西大陸に行っている間に、フェルマールの滅亡を聞かされました。
そのときから俺の家族になった、ある一人の女性が、けれど俺に請うたのです。『自分の姉を助けてほしい』と。
彼女の姉を助け出すこと自体は、それほど難しいことだとは思いませんでした。しかし、その結果の追捕の手から逃れ切る為には、そしてその後も彼女の姉の生涯を守り抜くには、どうしても俺一人の手では足りません。『軍事力』が必要だったのです。
彼女の姉をどこかの町に匿うとしても、その町が属する国がカナリア公国との外交取引で彼女の姉を売ると決断したら、俺たちに出来ることは逃げ出すことだけだったでしょう。それに対抗する為には、『外交力』が必要だったのです。
それを傍で聞いていた俺の仲間が、その時に言いました。『軍事力と外交力を備える。それは国を造るってことだろう?』と。
俺が興した、『ドレイク王国』。
その始まりは、ルーナ王女。貴女が心穏やかに過ごせる場所、如何なる思惑にも翻弄されることのない国を造ることです。
俺にとっては、貴女が亡国の王女であるという身分に価値はありません。ルシルやシーナ、ムートやロッテの身分に価値が無いのと同じように。
けれど逆に、貴女はルシルたちの姉であるという、俺にとって何より尊き価値があるんです。
だから、貴女が心底からの笑顔でいられる暮らしが出来るのなら。
この国が誕生したのは間違いでなかったという、確かな証になるのです」
そして、如何なる軍事力を以てもまた外交力を以ても、ルーナ王女の平穏な生活を脅かすことが出来ないということを証明する為に、俺たちは今戦っている。
カナリア公国の力では、ドレイク王国を動かすことが出来ない事実を証する為に。
(2,797文字:2016/09/28初稿 2017/09/30投稿予約 2017/11/19 03:00掲載 2017/11/19一部表現を修正)
・ くだらないことですが。「出生」と「出生」は、基本的に同じ意味です。が、日本語として「出生」は「ある土地・境遇・家柄の生まれであること」を意味します。一方仏教用語で「出生」は、「生まれてから今までの、前半生の来し方」の意味です。法律用語としては、前者の意味で「出生」という読みを使われることもあるようですが、本作中では前者の意味の時は「出生」(ルビなし:「アディの出生はベルナンド辺境伯家」)、後者の意味の時は「出生」(ルビあり:「アディの出生は波瀾万丈」)と使い分けております。




