第29話 アプアラ、動く
第07節 囚われの姫と白馬の騎士(後篇)〔1/7〕
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此度のドレイク軍カナリア侵攻に際し、ボルド市評議会は戦わず静観することを選んだ。
では、ドレイク王国と所縁の深い、他の国はどうしたのであろうか?
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カナン暦707年秋の二の月の三日目(新暦2年10月9日)。
ビジア独立自治領の領都オークフォレストに、意外な客が訪れた。
アプアラ王国国王、リクハルド・カトゥカその人である。
しかし彼は、領主たるユーリを無視して、まずはその妻であるミリアに声をかけた。
「賢者姫にはご機嫌麗しく。
伯子殿下も健やかなご様子、お慶び申し上げます。
そして、王配……ではなく領主殿もお変わりないようで」
「一応この領の主は私なのだが。
若輩とはいえあまり軽んじられたら面白くはありませんね」
「私にとって、『ビジア領主』を侮る理由など百も思い付きますが、
『ドレイク王の義妹御』にして『賢者姫』である女性を侮る理由は、一つも見出せません。
ビジアの今日があるのは、賢者姫の叡智とその人脈あってのモノ。そのことがわかっていないとは言わせませんよ、ビジア領主ユーリ・ハーディ卿」
この数年、この領を守る為に奔走していたのは一体誰だ。
言葉にしなかった本音と共に、一種の蔑みの色が見えた。
けれどそれに対して反論したのは、他でもない領主夫人であった。
「でしたら私を領主夫人に据えた、ユーリ様の慧眼を評価してくださっても良いのではありませんか、リクハルド陛下。
陛下は貧民街出身・孤児院育ちの侍女どころか、伯爵家の庶子であっても市井に下り冒険者となった相手なら、声をかける価値もないと判断なさったのでしょう?
なら陛下は生まれや立場で相手を評価する、何処にでもいる平均的な貴族でしかなかった、ということではありませんか」
「確かにその通りだ。
ビジア領主ユーリ・ハーディ卿、貴卿に対する無礼な振舞い、撤回して謝罪しよう」
「否、仰る通り、私は領主としても『賢者姫』の夫としても、まだまだ未熟ですからね。仕方がありませんよ。
今も、義兄さんが戦地に在るのに、出来ることを見つけ出せないでいる。
ここで恩の一つでも返しておきたいところなのに、気持ちが急いて、思考が空回りする。
情けないモノですよ」
「なら、ちょうど良いかもしれないな。
アプアラは、出兵を決めた。
ビジアにも、協力を要請したい」
アプアラが、動く。
『賢人戦争』『アプアラ独立戦争』『十日間戦争』と、最近のアプアラはビジアから見たら連戦連敗だが、それは相手が悪かったとしか言いようがない。
『賢人戦争』と『十日間戦争』はともに、彼の『剣聖殺し』が実質的に軍配を振るっていた。あのチート軍師相手の戦績は、戦力評価の対象にすべきではなかろう。一方『アプアラ独立戦争(第一次)』に於いては、リーフ王国相手に二年近く戦い続けたということを考えれば、最終的に敗北の憂き目を見たとしても、それだけを理由にその戦闘能力を脆弱と断ずることは出来ない。
「は? それはどういうことですか?」
「ドレイク軍がカナリア公国を荒らしまわっているうちに、ロージス地方を切り取る。
ドレイク軍の強みである神速の用兵は、敵地占領を全く考えないことにより成立している。
なら今ロージスに兵を出せば、純粋な戦闘力より治安維持戦力で占領出来る、ということになる」
「それは即ち、義兄さんが荒らして放置した土地を掠め奪る、ということですか?」
「そういうことだ」
「そんな、火事場泥棒みたいな真似をして、恥ずかしくないのですか?」
「感情に任せて吠え掛かる前に、隣の賢者姫にアプアラの此度のロージスへの派兵の大局的な意義を問うてみたらどうだ?」
カトゥカ卿は、賢者姫を評価している。
あの、ベルナンド辺境伯家の鬼子が、その思考法の全てを伝えたと謂われる賢者姫。軍事的な才能は然程でもないが、その一方で現場にあってさえ「官僚的に軍を差配する」ことが出来る視野の広さを持っている。なら、気付く筈だ。
「旦那様。
今アプアラが、ドレイクの背中を狙う理由はありません。
仮にそのような悪辣なことを考えているのだとしても、そこに侍る有翼騎士様が、それを見逃す筈もありません。
ならそれは、ドレイクの利にもなることです。
そして、今アプアラがロージスを占領することで、ドレイクにとってどのようなメリットが生じるのか。完全支配地ならともかく、昨日今日ようやく占領出来た程度の、治安維持も儘ならない土地など、ドレイクにとっては価値がありません。
また、ローズヴェルト王国はメーダラ領の治安回復に手一杯で、ロージス地方に派兵する余力はありません。
そう考えていくと、アプアラが出兵する理由は一つ。
混乱に乗じて漁夫の利を得ようとする、リングダッド王国に対する牽制。
そういうことですね?」
「館に在りながら世界を見る。それこそが、彼の王より与えられた『眼』という訳ですね。
仰る通り、リングダッドが蠢動を始めました。
これさえドレイク王の策略のうちなのかもしれませんが、――」
「――けれど、ここは恩返しの押し売り時。そういうことですね?」
「そう考えます」
ミリアの分析を聞き、リクハルド王の考えを理解し、ユーリもまた決断を下す。
「そういうことならわかりました。
ビジアからも二千、兵を出しましょう。
『フェルマール最弱』と嘲られた兵ながら、同時に二つの戦をドレイク王と共に戦い、彼の王の戦い方を肌身で知る者たちです。
今やそこらの兵には負けることはないでしょう」
「頼もしい限りだな。補給はドレイクの有翼騎士団が協力してくれるという話だ」
「構わないのですか? その分前線が手薄になるのでは」
疑問を、リクハルド王の傍らに侍る有翼騎士に問うたところ。
「前線へも、本国から直接物資を輸送している訳ではありません。
ロージス地方の、敵から発見され難い場所に集積地を作り、そこを中継点として前線に輸送しています。
なら、輸送先がもう一つ増えたところで、それほど手間が増えるという訳ではありませんよ」
「では、準備が整い次第出発することにしましょう」
こうして、アプアラ・ビジア連合軍も、ロージス地方に派兵することになったのである。
(2,861文字:2016/09/27初稿 2017/09/30投稿予約 2017/11/13 03:00掲載 2017/11/13誤字修正)
・ 「鬼子」とは、「親に似ていない子」という意味の他、「異端児」という意味があります。
・ 「輸送先がもう一つ増えたところで、それほど手間が増えるという訳ではありません」と現場の有翼騎士殿は仰っておりますが、補給計画を立てる後方では悪夢。用意する物資と補給ルートの設定並びにスケジューリングで、本国の主計官僚たちは徹夜を強いられていることでしょう。言い換えれば。「出来る」からこそ後方は大変なのですが。




