第16話 領主様の帰還
第04節 新時代の戦争〔5/7〕
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アプアラ領主、リクハルド・カトゥカ卿。
フェルマール王国崩壊の引鉄を引いた、赦されざる大悪人。
そう言われているが、彼は昔から二心を持ってフェルマール王家に膝を折っていた訳ではなかった。寧ろ若い頃は、武人気質の忠義の領主、と評価されていたのである。
彼に訪れた転機は、今から10年ほど前。
アプアラと並び称される、ベルナンド辺境伯の領軍の兵数が、粉飾されているという噂を聞き付けたときであった。
当時のカトゥカ卿は不惑に程遠い30代。それだけに同僚の不正が赦せなかった。
しかし。当時のフェルマール王は、カトゥカ卿の告発を一笑に付した。それどころか嗜めさえしたのだ、「不確かな噂話で同僚を貶めるようなことをするな」と。
なら、確たる証拠があれば良い。そう思って独自に調査を行い、その証拠を掴んだ。が、国王はやはり一顧だにせず、逆に同僚の腹を探るような卑しい真似をしたと叱責してきたのだ。
国王に対する忠義が失望に変わったのは、この時だった。
その数年後。『毒戦争』が起こった。それは彼の危惧が現実になった瞬間だった。
国を守る盾が、盾として機能しない。
通常であれば、これは国を揺るがす大事件に発展した筈であった。
しかし。『氷雪の神子』と謳われたルシル王女殿下の活躍で、マキア王国軍は撃退された。
国中がこの勝利に沸いたが、カトゥカ卿は、この戦争の趨勢を決める活躍をした少年冒険者が、嘗て調査した時の資料の片隅に記載された少年であったことに気付いていた。
ベルナンド辺境伯の庶子、アレク。
追跡調査で、家を出て冒険者になったことまでは知っていた。しかし、そこで彼に対する調査を打ち切っていたことを、卿は心底後悔した。ベルナンド辺境伯家が彼を除籍したというのなら、カトゥカ家の養子にでもしておけば、と。
カトゥカ卿は、彼の叙任式には列席出来なかった。
しかし、彼と接触を取る機会を探していたのだ。
それも、すぐに潰えた。
『氷雪の神子』ルシル王女とともに、西大陸のキャメロン騎士王国へ留学する、というのだ。
この、ベルナンド辺境伯の不正が明るみに出て、それこそそれを他山之石として国内の貴族たちの綱紀粛正をする機会の筈だ。その結果空位となる領主貴族の座に、セレストグロウン騎士爵を陞爵させて据えることさえ出来た筈。
しかし、国王は彼を、国外に放逐した。恰も手に負えない麒麟児を、手の届かないところに追いやるかの如く。
国王に対する失望が、絶望に変わり、そして諦念に変わったのは、この時だった。
そして正しくこの頃、嘗てベルナンド辺境伯の調査を行う為に構築した情報網が、周辺四ヶ国が時機を合わせてフェルマールに侵攻する計画を立てていることを察知した。
この情報を活かせば、フェルマールを守り抜くことも出来たであろう。
しかし、国王がこの情報を活かせるとはとても思えなかった。
そして、この当時のカトゥカ卿はもう、この情報をフェルマールの為に活かしたいとは思わなくなっていたのだ。
アプアラ領内の、リーフ王国の間者に接触し、内応と引き換えにリーフ王国内での領の安堵を求めたのは、それからすぐであった。
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ところが。
アプアラの内応は、しかし想定していた程の効果を発揮し得なかった。
元凶は、隣領ビジアの領主夫人。
貧民街出身・孤児院育ち、侍女の立場から見染められた、『賢者姫』。彼女の打ち立てた無抵抗主義は、フェルマールにとっては大規模な『誘引の計』を組み立てる第一手となった。そして、フェルマール奥深くに進出した侵略軍と離反を表明したフェルマール領主貴族たちを、自滅に追いやる成果を上げた。侵略軍の一翼たるリーフ軍もほぼ成果なく引き上げざるを得ず、相対的にアプアラの内応も無視に近い扱いを受けざるを得なくなったのだ。
このままでは、リーフ国内に於いてもアプアラ領を守り抜くことが難しくなる。
その為、ビジアを抜き、ボルドまで攻め盗ることで、リーフ国内での発言力の強化を目論んだ。
が、これも失敗した。
出陣の直前、領主館に侵入者があり、糧秣と軍馬を喪うことになった。
何とか物資を再調達し、客将マーシャル卿に別動隊を任せてビジアを攻めたところ、本隊は賢者姫の采配で足止めを喰らい、マーシャル卿は『賢者姫の兄』の手で討ち取られた。
……その『賢者姫の兄』の正体が、ベルナンド辺境伯の庶子であることを知ったとき、カトゥカ卿は運命の皮肉に笑いが止まらなくなったものだ。
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「つまり、私は其方の父の所業ゆえに王国を見限り、そして私の策略は全て其方と其方の義妹御によって阻止された、という訳だ」
俺とシェイラは、リーフ王国の更に北の辺境地にある、アプアラ伯の移封先と称される館を訪れていた。
当然のことのように見張りのリーフ兵はいたが、彼らは自分の身に何が起こったのか自覚する前に、地面の上から首のない自分の胴体を見上げることになった。
「つくづく後悔しているよ。
其方が冒険者となったとき、何故すぐに其方と接触しなかったのか、とね。
うちの娘は其方より多少年上だが、それでも婿に取ることが出来ていたら、もしかしたら違った結果になったのかもしれなかったのに」
「俺が冒険者になったばかりの頃は、何でも出来ると自惚れた、何処にでもいる只のガキでしたよ。
でも孤児院と関わるようになって、この娘と出会って、その他多くの出会いがあって、結果今の俺がいるんです。
そして、今の俺だからこそ、今の貴方に手を差し伸べることが出来る」
「……私のことを、恨んでいないのか?」
「恨んでいるかと問われると、ちょっと微妙ですね。
ただ、『最悪の裏切り者』である貴方のことを、赦すつもりはありません」
「赦さないのなら、私はこのままこの地で朽ちていく方が良いのではないか?」
「否。赦せないから、俺は、俺たちは、生涯貴方のことをこき使います。この先永きに亘って、アプアラ領をリーフとカナリア・リングダッドに対する盾として利用し、使い潰します」
「私がもう二度と其方たちを裏切らない、と、どうやって信じる?」
「信じません。
だから、うちの騎士を数名、アプアラに駐在させます。
不穏な動きがあればすぐに察知出来るように。貴方が何をしようと、即座に対処出来るように」
「良いだろう。体良く其方らに使われるとしよう。
だが、くれぐれも油断するなよ?
其方が油断すれば、いつでも私は、其方の脇腹に刃を突き立てることが出来るのだからな」
(2,983文字:2016/09/07初稿 2017/08/31投稿予約 2017/10/10 07:00掲載予定)
【注:「不惑に程遠い30代」は、論語『子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。』の「四十にして惑わず」を原典としています】
・ フェルマール戦争当時、侵略軍の戦略はビジアをはじめとする領主たちに無条件降伏を強いることでした。そうすれば、絶対に降伏しない幾つかの都市は武力で攻略せざるを得ないものの、それほど時間を掛けずにフェルマール王都に辿り着けたでしょうから。それに対しフェルマール側は、正規軍並びに常設領軍全軍を国境線に配備出来れば、撃退出来た筈です。また各領バラバラに防衛戦を行ったとしても、領軍全てを死兵と化して(ハティス市のように)防衛戦を挑んだなら、最終的には撃退することが出来たでしょう。後者の場合国内の犠牲者がどれほどになったかは不明ですが。
フェルマール各領は連携した防衛線を構築出来ませんでしたが、「無条件降伏」して侵略軍の門下に下るのではなく、「中立を宣言しての無抵抗」だった為、侵略軍はこれらの領地との間に服従交渉の場を持つよりも、進軍を優先し王都を攻略することを選択したのです。
そして戦線が伸びきったとき、その後背には「無条件降伏」した領地と「中立宣言」をした領地、そして進路上になかったが故に交戦しなかった領地が点在し、身動きが取れなくなってしまったのです。
・ ここまで来たから言えることですが、フェルマール王国滅亡に於ける、最大の戦犯はローズヴェルト伯爵でしょう。もしローズヴェルト伯爵の立場にカトゥカ卿がいたら、状況を整えて、国王が日和見出来ない形でベルナンド辺境伯を処断させていたと思われます。当然ながら、カトゥカ卿なら当時のルシル王女の婚約者(マキア第三王子)の身辺調査もしたでしょうし、その挙句『300年の毒』を突き止めることも出来たと思われます。勿論、これらは全て後知恵ですが。
・ カトゥカ卿は、アレクが西大陸に向かった経緯を知りません。が、ルシルが「自分の意思でアレクを選んだ」と思っていること自体が間違いで、誘導された結果であり、王は初めからそれを予定していた(つまりカトゥカ卿の考えが正しい)という可能性もあります。真実は最早闇の中ですが。
・ カトゥカ卿の令嬢(第六章第05話で話題になった「出戻り姫」)は、シンディより年上です。つまり既にみそj




