第09話 脱退
第03節 建国〔1/3〕
新暦元年10月16日(カナン暦706年秋の二の月の晦日)。
半年近くの間続いた旱も、先月久方ぶりの雨を迎えたことで収束を見せ、水涸れしかかったボルド河も何とか基準水位にまで戻った。
ネオハティス町も取水制限を解除して、早々に日常に回帰している。
また水涸れにより浮舟橋も全て引き上げたのだが、そのついでに橋舟の改修も行った。
それは、橋の上に幅広のトロッコの軌条を敷設し、船をトロッコの上に乗せて運ぶ、ということにしたのである。
なお、ボルド河の遡上(オークフォレスト市まで)は曳舟道を使う予定だったが、『トロッコ』という新技術が実用化されたことで、寧ろ末摘花の里まで軌条を敷いて、川船もトロッコで運ぶ方が効率的だということが明らかになった。
で、俺はというと。
この半年余り(というか、『竜の山』から戻って以降の約一年間)、殆どが事務仕事に追われていた。『竜の谷』にある、鍛冶師ギルドの工房を視察したり、軍の訓練に参加したり、アリの巣穴に潜ったりと相応に動き回ってはいるが、町の外に出れたのは、オークフォレストでミリアの出産に立ち会った時くらいのものだった。
この時代の産褥死の確率は高く、また死産の確率も高い(だからこそ、難民生活の中で出産し、母子ともに無事だったセラさんは市民の希望となったのだ)。だから俺とサリア、そしてシェイラはオークフォレストに向かい、俺たちの持つ前世知識で出産を助けることになったのである(ちなみに、サリアは前世に於いて、実姉の出産に立ち会っていた。諸般の事情で自宅出産だったらしい)。
当然のことながら、男の俺は出産に直接立ち会う訳にはいかない。それでも、蒸留酒を更に三度蒸留して殺菌用アルコールを用意したり、大量のお湯を沸かしたりすることは出来る。分娩室の外でも、出来ることは多いのだから。
そして室内のサリアに、出産直後のミリアと赤子に対して〔解毒魔法〕と〔回復魔法〕をかけさせた。新生児が破傷風菌に侵される危険は、平成日本であってもかなり高いのだから。
それはともかく。
この半年間の旱魃で、作物に甚大な被害が生じていた。
ビジア伯爵領にもサリアの実験農園があるが、その実験農園の他サリアが農法指導をした農園は、四圃式の導入とともに畑地灌漑も行っていた為、作物被害を最小限に食い止めることが出来たようだ(それでも対前年比80%程度の収穫高にしかならなかったようだが)。
一方ほぼつきっきりで作物を見回ることが出来たネオハティスの農地は、収穫高対前年比90%超。この異常気象下では、かなりの高効率ということが出来る。
が、余所の土地はそうはいかない。ボルドやローズヴェルトなどでは70%を下回り、更にはメーダラでは30%以下、という史上最悪規模の凶作となったのであった。
しかも。メーダラ領は、【ラザーランド商会】をはじめとするボルドの商人が青田買いで領内の穀物を根こそぎ買い漁っていた為(そしてメーダラ領の商人も、目先の利益の為積極的にボルドの商人たちに売りつけていた為)、備蓄もまた底をついていた。
ちなみに。【ラザーランド商会】の財布は、かなり厳しいところまで来ていた。もしメーダラ領の崩壊があと一年先になれば、ボルド市なりネオハティス行政府なりから追加の借金を考える必要があっただろう。
それらの事を踏まえると。あの〔摩訶鉢特摩〕は、真竜だけでなくメーダラ領にも痛撃を与えたことになる。
そして【ラザーランド商会】は、凶作で不足している穀物をローズヴェルト公国などに高値で売却することで、ボルド市からの借金を(利息込みで)全額完済することが出来たのである。
そしてこの頃。気の早い(と謂うか機を見るに敏な)メーダラ領民は、難民となってボルド市で列を作っていたのであった。
そんな時期。
俺は、ボルド市の評議長の許を訪れたのである。
◇◆◇ ◆◇◆
「アドルフ殿。用事があると聞いたが……、
と、尋ねるまでもないな。いよいよ、か?」
「ああ。今年の冬の一の月の17日目。
ネオハティスで、ドレイク王国の建国を宣言する」
俺は今、ボルド市の評議会に籍を置いている。もしこのまま建国すると、ボルド市はドレイク王国の属国になってしまうことになる。
だから、評議員を辞任する必要があるのである。
「色々世話になったな。
ドレイク王国とは、これからも良好な関係を築いて行きたいと思っておるよ」
「こちらこそ。名を伏せざるを得なかった俺が、ここで地歩を築けたのは、間違いなく市の行政府のお陰だ。これからも色々面倒を掛けると思うが、宜しくお願いしたい」
「何でも言いなさい、出来る限り力になろう。まだメーダラ領の一件も、完全に解決した訳ではないしな」
「その件で、二つほど。
メーダラ領からの難民は、必要なら問答無用でネオハティスに送ってくれても構わない。
ネオハティスはこの秋、充分な収穫量を確保出来ている。【ラザーランド商会】の備蓄を放出しなかったとしても、あと一万や二万の人口を養えるだけの穀物があるからな」
「今更、その程度では驚くには値しないな。だがわかった。その時は遠慮なく頼らせてもらおう」
「もう一つ。
うちにいる、主計官僚見習いの少年からの、召喚状だ」
「主計官僚見習いからの? それは一体?」
「取り敢えず、読んでくれ」
そして、その書状を開き、目を通したところ。
「……これは!」
「そう。彼は、ムートは、フェルマール王国でただ一人生き残った王子として、旧領主たちを召喚する。
ムートは、フェルマールの王族としての、最後の務めを果たすという」
「殿下が、王族としての最後の……。
しかも、その日付は、冬の一の月の17日目。ということは――」
「つまり、そういうことだ。ただの茶番かもしれないけどね。
だが、フェルマール王国は既に亡い。だから、そんな召喚状なんぞ無視しても、誰も咎めはしないだろう」
「否、当然のことながら、列席させていただく。
殿下を通じて、王族の方々には詫びねばならないからな」
「ムートも含めてだが、皆もう新しい生き方を見つけている。だから、こんなのはただの儀式だ」
「なら余計、だな」
「意外と頑固だな。だからこそあの動乱の最中、都市を守り抜けたのか?」
「誉め言葉と受け取っておこう。
どうやら儂らとキミとの関係は、今後も永く続くようだからな」
そうして俺は、この日。
冒険者としての資格と、商人としての資格を喪失した。
なお【ラザーランド商会】の会頭はラザーランド船長に委ね、ボルドの邸館も船長に譲ることになった。船長も、住民としての籍はネオハティスに置いているが、やはり商港に近い場所に家があった方が便が良いからである。
(2,943文字:2016/09/04初稿 2016/12/14第二稿 2017/07/31投稿予約 2017/09/26 07:00掲載予定)
・ ネオハティスは、異常気象下にもかかわらず収穫高が多いです。単位面積当たり発芽率は他の地方の3倍近く。発芽した麦の収穫率は他の地方の3割増。前者は、開拓時に開墾された土の深さが他の地方と比較にならないほど深かった為、麦が発芽し易い土壌となっていました。後者は、畑地灌漑と防除作業のお陰です。
なお、〔資料 中世ヨーロッパ風ファンタジー 麦について〕(n7099x)によれば、中世初期は1haあたり100kgの種を蒔いて300kgを収穫していたそうです。これが、農具の開発、肥料(有機/化学)と三圃式/四圃式農法による土壌改善、畑地灌漑、品種改良(選種/改良品種)、そして機械農業による均一植種などの結果、現在の麦は100kgの種を蒔いて3tの収穫(変態日本農家は4tに達しているところもあるとか)なのだそうです。ちなみに、この当時のネオハティスは、前年(旧暦705年)時点で700kg程度の収穫量(他地方は400~500kg)です。四圃式の成果が出れば1tを超え、更にスライム硝石から化学肥料を作れば1.5t~2tくらいは望めるでしょう。
・ ムートからの召喚状は、遠方の領主にはかなり早くに出しています。ビジア伯には、ミリアの子供の様子を見に行った時に渡しています。ボルド市長は最後になりました。




