第07話 「読み書き算盤」と「国語算数理科社会」
第02節 国家の建設〔3/4〕
(注:第01節と第02節は、会議室を舞台に進行します。退屈かもしれませんが、ご了承願います)
民衆が、貴族から権力を簒奪するのではなく、貴族が爵位を維持する意味を無くし、平民でも国政に携われるようになる、その結果としての無血の権力移譲。
その種子を蒔くことが、俺の国造りの基礎。
そして、その為に重要になることは、当然教育である。
「俺たちが前世に生きていた国の、歴史的な標語に『読み書き算盤』というのがある。町民は誰でも、文字を読め、また文字が書け、そして計算が出来る。それが当たり前とするという標語だ。
これは、俺たちが前世に生きていた時代より、更に四百年ほど前に言われていた言葉なんだ」
「四百年前、か。それは凄いな。アディたちの前世の世界では、それほど学問が進んでいたのか?」
「否。二百年ほど前、外国から来た役人が、国民が――貧民でさえ――普通に瓦版で情報の伝達を行い、最下級の労働者が――それも女子でさえ――休日に友人と文を交わし、更に田舎の農民でさえ首都の方角と王都の方角、そして聖地の方角を知っていたということで驚いたという記述もある。ちなみにその当時、あの国は文明的には後進国に分類されていたけど、先進国での識字率は25%程度しかなかったんだ。
そしてあの国の文字は、表音文字が約百字、表意文字が一般に使われているものだけで二千を超えている。だから、百年ほど前にあの国が戦争に負けた時、あまりに多くあまりに複雑な言語の所為で、一般市民が国の思惑を間違って理解していたのが原因だと占領軍が考えた。けど、調査の結果平民の識字率は約98%。敗戦と識字率は無関係だと証明されたんだ」
「……なんか、アディ君が『変』な理由がわかったような気がする」
「オードリーさん。それ、あながち間違いじゃありません。
一般市民にまで学問が広がっているってことは、一般市民も手軽に学ぶことが出来るってことでもあるんです。それどころか、一般市民は『受け取る』だけじゃなく『発信する』ことも出来るようになる。
サリアも自分で作った物語を人に提供したりしていたんだろう?」
「ええ、そうね」
「俺が以前、大衆娯楽小説を読んでその当時の風俗を分析していたように、あの国の人たちの中にはサリアの書いた物語で新しく風物を知った人だっていただろう。
逆に、教えられた内容に反論することも出来る。少なくとも教育の分野に於いては、上意下達が絶対じゃない、ってことなんだ。
だから。学問が自由だということは、色々なことが自由に出来る。
あの国で作られる物語で、頻繁に悪役として登場するのは、あの国の行政の長だ。それでいながらその物語の作者は国の滅びを願っているという訳でもない。
他にも、神を悪役に仕立てたり、悪神の側から見た世界を描いたりする物語だってある。
その善悪じゃなく、その多様性が、人に色々な視点を教えるんだ」
「行政の長や神様の悪口を平民が口にする? 何でそんなことが出来るの?」
「それはねカレン。それが『自由』ってことなんだ。
『悪意を認めない』んじゃなく、『悪意を持つことを認め、赦す』。それがあの国の考え方。他国の国主を愚弄することは非礼・無礼と言われながら、自国の国主を愚弄することは赦される。そんな不思議の国でもあったけどね」
「でもそれが、アディ君の理想とする教育で、アディ君の理想とする市民の姿、なんだね」
「そうです、セラさん。
そして、時代が下って俺たちが前世に生きていた頃。
『読み書き算盤』は、別の標語に取って代わられました。それは、『国語算数理科社会』っていうんです」
「こくご……って、どういうことだ?」
「国語、は文字の読み書きと文章の読解です。
算数、は計算。
理科、は世界を知ること。
社会、は人の営み。歴史と政治、そして経済です」
「それが、初等教育の内容なのか」
「そう。この世界では貴族だけが学ぶ内容を、誰もが当たり前の知識として学ぶんです」
ちなみに、日本の初等教育(正しくは中等教育)の標語の中には「集英社のリボン」というのもある。「集会・英語・社会・理科・保健」の頭文字だというが、これは単なる余談として。
「けど、それだけじゃありません。体育――体を動かし、鍛え、そして水難に備えて水練する――、芸術――音楽や絵画等に親しむことで感性を鍛える――、そして給食。
学校で、昼食を出すんです。それにより、貧困家庭であっても最低一食は充分な滋養のある食事が出来るようになります。そのついでに偏食――好き嫌い――の矯正も出来るでしょう。
子供にとって学校は、一日の大半を過ごす生活空間です。だから、知識だけではなく生活習慣まで教育することで、次世代の国民を育成するんです」
「……初等教育で、そこまで広範多岐に学ばせることなど、考えたこともなかったわね」
「それは、今のこの大陸の国家にとって、下手に庶民に学問を与えたら、様々な不都合が生じますから。
国民は、国家の家畜たれ。
平民は、信仰の奴隷たれ。
統治者や宗教家にとって、こうであってくれれば一番気が楽なんです。学がない相手なら、疑わずに飲み込んでくれますから。
けど、人類は思考することを宿命付けられています。だから、権力者がどれだけ学問を制限しても、結果は同じ事なんです。ただその時が来るのが10年後か100年後か1,000年後かの違いがあるだけで。
だから、俺の国では学問を規制しない。どころか積極的に勉強してもらう。
限られた貴族だけが知識を有するんじゃなく、国民全部が充分な知識を有している。
そうあることを望むから」
初等教育で教えるのは、読み書きと基礎算術。それから、自然科学の基礎。
神話(某邪神の出自に関わる20世紀の創作神話は当然論外。だけど「太陽神」と「竜神」の創作神話は語り継ぎたい)と世界史の概要、そして『燃素論的四大精霊論』の導入部分。
運動と剣術・格闘術の基礎。馬をはじめとする動物との触れ合いと、農業や鍛冶の基礎知識。施設を作って水泳も取り入れたい。
当然、給食制度は採用して食育(つまり栄養学の基礎)も。
そして、貴族教育の初歩として、礼儀作法と立ち居振舞い。
教えることは多く、体系的に且つ子供たちの興味を惹きながらというのはカリキュラムの作成自体が一大事業になるだろうが、それが出来れば。
俺の国は、日本のように世界に冠たる知識国となるだろう。
(2,755文字:2016/09/02初稿 2017/07/31投稿予約 2017/09/22 07:00掲載予定)
【注:日本の識字率の高さに纏わるエピソードは、「日本の世界一ドットコム」様のサイト内コンテンツ『世界が驚嘆した識字率世界一の日本』(http://www.nipponnosekaiichi.com/mind_culture/literacy_rate.html)を参照しております。
学校給食による食育については、〔青野婦佐子著『今月の給食献立』女子栄養大学「栄養と料理」昭和26年第17巻第6号〕を参照しております。なお小中学校の給食は、教育指導要領・特別活動の中の学級活動に位置付けられています。ちなみに、給食制度が導入された戦後間もない頃と、飽食の現在では、「給食」の価値・地位が変化しているのも宜なるかな】
・ 『読み書き算盤』が「四百年前」というのはフカしています。実際は江戸時代中期以降ですので、精々二百五十~三百年前といったところでしょう。
・ 日本語に於ける漢字の数は、当用漢字1,850字、常用漢字2,136字(当用漢字含む)、人名漢字862字(常用漢字含まず)、その他旧字・異体字を含めると10万に達するそうです(平成28年09月02日現在)。
・ イギリス・ロンドンには、「スピーカーズ・コーナー」と呼ばれる場所があります。ここでは、誰でも、どのような内容であっても演説する事が出来るのですが、演説してはいけない禁忌が二つあります。それは、「王室批判」と「政府転覆」。その意味でのタブーのない、日本の同人誌(Web小説含む)は、自由主義の精髄なのかもしれません。
・ 「集英社のリボン」は、昭和の超マイナーな小ネタです。知っている人がいたらその方が恐ろしい。
・ この世界に「外国語」はありません。魔法が言語伝達の仲介をする為に、言葉は必然的に統一されてしまっているのです。




