第24話 竜の食卓
第05節 龍を探して(後篇)〔2/7〕
蟻鬼の外骨格や槍は、素材として良い値が付く。そして熱水で茹で殺した為、その大半は外傷が全くない、「状態最良」となっている。
が、そういった実利的な問題よりも、心理的な問題で、今はこの蟻どもに関わり合いたくない。帰りに余裕があったら回収しようと考え、今はこの場を離れることにする。
否、そういった情動的な部分を棚上げすれば、蟻鬼の外骨格も槍も、回収する価値はある。槍だけ見ても、万を超える数の、同一規格。兵装と考えればこれで一軍が賄える(今のネオハティスの全人口を賄える数が揃うのだから)。だがそうすると、時間が致命的に足りない。今日一日かけて素材回収をしたとして、どれだけ拾える?
なら竜の鱗同様、後日人手を伴い時間をかけて回収する方が、絶対に効率的だ。
竜の鱗の楯を持ち、蟻の外骨格の鎧を着て、蟻の槍を持つ軍隊。……イメージするだけで、凶悪だ。
そんな、将来のネオハティスの軍装に想いを馳せながら、俺たちはその場を離れた。休みたかったが、それ以上にその場を離れたかった。そして『竜の食卓』はもうすぐだということもわかっていたから、取り敢えずそこまで行ってしまおうということになったのである。
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それから歩くこと、程なく(時刻にしたら、10時過ぎ頃だろうか?)、いきなり空気が変わった。
「なっ、何?」
「風が和らいだ。それに気温が上がっている。気圧も異常だ」
スマホのセンサーアプリを起動して、幾つかのデータを確認する。
気温17度C、気圧1,003hPa、標高87.6m。
どのデータも有り得ない。また、コンパスアプリも先程確認した時は針路324度(北西微北方向)だった筈なのに、今は進路332度(北北西方向)である。それほど大きく進路変更したつもりもないということは。
「ここから先の空間が閉鎖されている、ってことね」
「サリア、台詞を奪うなよ」
「失礼しました、魔王陛下w」
「……草生やすな」
……全く。昨夜のことは異世界にでも放り投げたくなる。というか、あの時に言ったことを文字に起こしたら、軽く一ヶ月くらい引き籠れる自信があるな。
ともかく。
この『竜の食卓』の環境が調整されていることは、もう間違いない。
暦は冬、太陽暦でももうすぐ11月。緯度は大凡北緯50度程度で、標高は840mくらい(最後に確認した時の気圧高度からの概算)。
にもかかわらず中緯度地方海面高度と同程度の気温・気圧を示すのは、必然的に異常値と言える。そしてセンサーに異常が無いのなら、異常なのは空間の方。
つまり、迷宮『竜の食卓』に、遂に突入したということだ。
事前に準備した、風除け・防寒装備は全て無駄だったことになる。が、まぁ良い。逆より遥かにマシだろうし、『竜の食卓』全域の環境が整備されている訳ではない可能性もある。
寧ろここからダンジョン本番、と考えると、野営一つとっても油断は出来ない。というよりも、先程の蟻鬼との戦いで魔力を消耗し過ぎている。
油断しないように、しかし委縮し過ぎないように、そして無理し過ぎないように、歩を進めることにしよう。
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この『竜の食卓』、上空から観察した時のその大きさは、長径20km、短径5kmの、楕円に近い方形を形作っていた。この大きさは、東京都では八王子市より一回り大きく奥多摩町とほぼ同程度。或いは、岐阜県大垣市や三重県伊勢市、沖縄県宮古島市が同じくらいの大きさということになる。
しかし、ダンジョンとして空間拡張されているのなら、それより遥かに大きい可能性がある。そしてそこに生息する、『龍』が餌とする為に飼育して自然繁殖したと思われる魔物。おそらくそれは、俺たちが事前に想像した以上の数になるだろう。
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空間が歪んでいるのなら、測量しないで大丈夫なのか?
その疑問は尤もだ。しかし、今は必要ない。
将来は測量しなければならないが、今は取り敢えず『竜の山』を目指すことが先だ。そしてこれだけ見通しが良く、且つあれほど巨大な目標を見落とす心配がない以上、細かな測量など考える意味がない。
それに、これだけ広大な面積を測量するのなら、これまでのような10m単位の測量では気が狂う。せめて100m乃至は500m単位の測量をする必要があるだろう。だが、それも現状では技術的に不可能である。
これまで、異世界チートを利用した技術開発に於いて、ガラス製品の開発を後回しにしていた。その結果、レンズの開発の為の研究に着手することさえ出来ていないのである。
この世界、まだ真球を作る技術はない。なら均一な曲線を描く凸レンズ(または凹レンズ)の製造は職人の勘に頼るしかなく、その為にはガラス職人を一から育てる必要がある。
そう考えると、レンズの製作にはおそらくかなりの時間を要するだろう。
閑話休題。
レンズが作れなければ、望遠鏡の類もまた作れない。そして、光学距離計(『不帰の森』で使ったような“なんちゃって”レンジファインダーではなく、観測距離が1kmを超えるようなもの)を作ることも出来ないので、『竜の食卓』の測量は後回しにする。
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そして俺たちは、『竜の山』を目指して歩き出す。とは言っても、『竜の山』それ自体に登るつもりはない。流石にそれには装備も経験も足りなすぎる。
しかし、問題の『龍』そのものはこの『竜の食卓』まで下りて来る筈だから、それと遭遇することを考えれば良い。とはいえ目標なく歩いても仕方がないから、取り敢えず『竜の山』を目指す、というのが本音なのだ。
防寒や風除けに気を使わなくていいということは、俺やシェイラにとっては使える魔法が増えるということ。まずは〔音響探査〕で、地層確認。予想通り、土の層はそれほど厚くはないようだ。なら、地下からの襲撃はあまり考えなくて良いだろう。
続いて、〔空間音響探査〕による索敵。索敵対象は、地上遠方と空中がメイン。地下は現状警戒対象からは切り離すことで、心理的な圧迫感を和らげる。人間誰しも、「見えない場所」に不安を感じる。そして、地中などはこの場合その最たるものだ。しかし、「地中からの攻撃があったとしても、それから対処すれば大丈夫」と考えるだけで、かなりの余裕が生まれる。
それ以上に怖いのが、空中からの襲撃。目的の『龍』は間違いなく空からくるだろうし、それ以外にも飛竜や有翼獅子などもいるだろう。
地上もこの広さなら、巨獣がいてもおかしくはないし、魔豹のような草原に特化した足の速い魔獣が出てきたら、目視してからでは手遅れになる可能性もある。
周辺警戒は厳にしつつ、いつもの迷宮探索よりは大股で、俺たちは歩き始める。
(3,000文字:2016/07/20初稿 2017/06/30投稿予約 2017/08/03 03:00掲載予定)
【注:「北西微北」は32方位(羅針方位)の読み方で、北西と北北西の中間の方角です。
「w」はネットスラングで、笑っていることの表現です。なお当然ながら発音しません。また「w」は、複数重ねる表現「wwwww」が、芝生が生えている様子に見えるところから、「草」とも言われます。
『竜の食卓』の面積の比較に使った市町村の面積は、国土交通省国土地理院「全国都道府県地市区町村別面積調」(http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO-title.htm)に拠ります】




