第08話 鐘の音
第02節 飛竜事件〔4/7〕
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飛竜。空を舞う、亜竜の一種である。
高く、速く、遠くまで飛び、竜種に共通する火炎吐息を吐く。またその鱗は鉄剣を弾く程の硬さと有り得ない程の軽さを併せ持つ。
大空を自在に駆けるワイバーンに勝つ為には、ワイバーンが自由に飛ぶことが出来ない環境で戦うより他はない、と謂われている。
また、世間一般で“竜”と言う場合、基本的にワイバーンを指し、最高級魔物素材である『竜鱗』『竜革』『竜爪』などは、いずれもワイバーンのモノである。
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冗談じゃない。
森の中でワイバーンと遭遇する。
これは、勝てる勝てないというよりも、「死ななきゃ安いと思え」と言われるレベルの問題よ。銅札だろうが白金札だろうが、この状況では変わらないわ。
何せ、こちらからの攻撃が届かない高みから、向こうは一方的に攻撃してくる上に、こちらは背を向けたら吐息で丸焼きにされるにもかかわらず、向こうはいつでも離脱することが出来るんだもの。実際、ワイバーンと遭遇して生き延びられた冒険者は、「無事逃げられた」というよりもワイバーンの気紛れで殺されなかっただけ、というのが殆ど。
しかも、このワイバーンはこちらをしっかり視認している。
「逃げろ!」
叫んだのは誰だったのか。
けれど、この叫びが呼び水になったかのように、ワイバーンは蹂躙を開始した。
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ここから数分間の出来事は、主観にしろ客観にしろ、正確に描写出来るとは思えない。
だから、後日提出された報告書の内容を抜粋する(傍点報告者)。
《 ――最初にワイバーンは、ブレスを吐いた。それに2人、巻き込まれたことを確認した。他にも何人か余波で焼かれたのを目撃している。
ブレスを吐き終えた後、ワイバーンは無傷の私たちをめがけて急降下してきた。
いつも使っている剣と、予備の剣の二本を盾にして、その爪撃をあしらったつもりだったが、剣は二本とも脆くも砕け、私も後方に弾き飛ばされた。
二度目のブレス。走り去ろうとしていた測量士さんの背に、それは命中した。
「ドラゴンは三度ブレスを吐く」。どこかで聞いた言葉だが、その言葉だけが頼りだった。
最後のブレスをやり過ごせば、私たちが逃げられる可能性は高くなる。
だが地に降りたワイバーンは、その爪で、牙で、或いは尾の先で、一人ひとりを傷付けていった。
もしかしたら、誰も逃げられないように、全員の足を狙ったのかもしれない。
そう思ったのは、私は恐怖で腰が抜け、立ち上がることが出来なかったおかげか、最後まで追撃が無かったからである。実際足は無事だったのだが。
ワイバーンは、再び宙を舞った。そして上空から、三度目のブレスを吐いた。狙いは、私だった。
けど、そのブレスは私に命中しなかった。リーダーが私を突き飛ばしてくれたから。動かない足を無理矢理動かして、飛び込んできてくれたから。
次に見たリーダーの姿は、両膝から下が無く、全身真黒く焼け爛れていた。
「逃げろ、シーナ王女。生きて、そしていつか王国の再興を」。
それがリーダーの遺言だった。
不思議と、動かなかった足が動いた。だから走った。何も考えず、ただ我武者羅に。 》
カレンは、水晶花の群生のある泉の畔で気絶しているところを、他の冒険者によって発見された。
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リーダーは、あたしの素性を知ってた。
ならおそらく、他の皆も。
だからあたしに「生きろ」と言ったのね。
けど。
冒険者として町で生きていくうちに、気付いたことがあるの。
国が滅びようと、王の首が曝されようと、民は変わらず生きているわ。
王が必要だというのなら、領主が王を名乗り。
貴族が必要だというのなら、商人が貴族を名乗り。
国が滅びる前と後で、民の暮らしは大して変わっていないのよ。
おそらく敵国に支配された町でも、それは同じだと思うわ。街ごと焼かれ、逃げ落ちた一部の民のような例外を除いて。
なら、国の名前にこだわる意味は、どれだけあるのかしら?
「フェルマール」という名が喪われても、誰も困らないというのなら。それを取り戻したいと考えるのは、王家の独善に過ぎないんじゃないかしら?
だとしたら。
カナリア公国に囚われているルーナ姉さまを助けて、そして。
あたしたちはどこかの町の片隅で、静かに生活する方が良いのかもしれない。
ルシル姉さまはセレストグロウン騎士爵が護っているという。
見た目に反して強かなムートは、ロッテを守ってどこかで呑気に暮らしていると信じよう。
皆ともう会えないのは寂しいけれど、ルーナ姉さまを助けたら、あとは国のことは忘れよう。
【造反者】の皆の気持ちを裏切ることになるかもしれない。もう一緒にいてくれなくなるかもしれない。それでも良い。
あたしひとりででも、ルーナ姉さまを助けて、それから普通の庶民として暮らすことにしよう。
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飛竜出現。
この報を聞いた時、ハティスのギルマスは「何故よりにもよってこんな時に」と頭を抱えたい気持ちになった。
アディ・シェイラ・サリアの三人は、ロージス地方へ出張。
ルビーはローズヴェルト公国に。
スノーはボルドから動くことが出来ず。
【R.A.S】は『不帰の森』に。
ネオハティスの主力というべき冒険者たちは、その悉くが町を離れていたのだ。
そして、一人生存が確認された【造反者】のメンバー・カレン。彼女がシーナ王女だということは、彼女と面識のあったボルドのギルマスが書状で教えてくれた。
彼女の無事を喜ぶ半面、死んでいたら面倒事も無くなったのにと思う気持ちも、オードリーの中に僅かながらも存在する。
ともかく。
ワイバーンの存在が確認された以上、森の測量は一時中断せざるを得ない。いつ上空からワイバーンが襲ってくるかわからない状況で測量を続けるなど、ただの自殺行為だ。
オードリーはギルマスとして、現在測量に出ている全ての測量士とその護衛の冒険者に町への帰還を命じ、冒険者たちに対空迎撃戦の準備をするよう指示する。
幾ら天空の王者とはいえ、完全に迎撃態勢を整えたこの町を陥せるとは思えない。下水網が完備されているこの町は、一般市民は地下を通じて脱出し、防衛戦力は敵航空戦力の機動力を奪いながら迎撃する、という防衛計画が最初から存在しているのだ。そして民が無事ならば、瓦礫の址に再び新しい町を築くことも、難しいことではないだろう。
今出来る事は、町の守りを固めること。
そして騒動ばかり起こす、この町の英雄の帰還を待つこと。
ネオハティスの町並みは、まだ完成と呼ぶには程遠い。
にもかかわらず緊急事態発生を告げる半鐘が鳴らされ、町は緊張に包まれることになった。
(2,989文字:2016/05/23初稿 2017/06/01投稿予約 2017/07/02 03:00掲載予定)
【注:「しなやす(死な安)」とは、PS用ソフト『GUILTY GEAR』のプレイヤーが発言した内容が原典のネットスラング、だと謂われていますが、筆者は当該ゲームをプレイしたことが無いのでよくわかりません】
・ 作中、ワイバーンはドラゴンの亜種という位置付けですが、神話・伝説上では両者の差はない(ヴィーヴルと呼ぶか、リンドブルグと呼ぶか、といった程度の違い)というのが実情のようです。両者が区別されるのは紋章学に於いてですが、それさえ黎明期は区別が無かったとか。
・ オードリーは、【R.A.S】を「ネオハティスの主力というべき冒険者たち」に含めていますが、【R.A.S】は戦闘力というよりも政治的な意味で「主力」に数えられます。町に何があっても逃げ出さないという点で信頼出来る、というか、行政の意を酌んだ作戦行動・戦術行為を執ってくれるパーティ、という意味で。
・ ボルドの冒険者ギルドのギルドマスターは、幼いルシル・シーナ両王女と面識がありました。ただ、シーナは本当に幼かったので、そのことを憶えていません。ギルマスは「ルシル王女の所在を嗅ぎ回っている冒険者がいる」という話を聞いて、こっそり確認をしたところ、それがカレンだったと気付いたという訳です。ただ、この時点でギルマスは、スノーにこのことを伝えられていません。
・ 対空戦闘を想定して設計されている都市は、この時代ネオハティス町しかありません。とはいえ上空にいる敵に対する攻撃手段には限りがありますから、高空にいるうちは耐え忍び、襲撃しようと急降下して来た時、背の高い建物を自壊させて押し潰し(ついでに網などで自由を奪い)、再び空に舞い上がれないようにする、というのが基本戦術になります。
・ タイトルの「鐘の音」は、弔いの鐘のことであり、緊急事態発生を告げる半鐘のことでもあります。




