第02話 太陽暦
第01節 街づくり・人づくり(承前)〔2/4〕
(注:難しい話が続きます。第01節は全部飛ばして第05話から始まる第02節「飛竜事件」から読み始めても、不都合はありません)
「アディ、助けて!」
ネオハティス官庁内にある、俺の執務室(町長就任は逃れることが出来たけど、行政相談役なる身分を無理やり押し付けられた。実際開拓事業や測量事業、街道整備や浮舟橋の現実的な計画など、俺が陣頭指揮を執る必要のあることも多いうえ、町の財政が【ラザーランド商会】に頼りきりとなっている現状を考えると、どう足掻いても逃げることは出来なかったのだ)に、農政改革担当のサリアが悲鳴を上げて飛び込んできた。
けど、その表情に切羽詰まった様子はなく、また危機感を帯びる気配もない為、緊急性も物理的な危険もない、と解釈した。
「どうした、急に。ジャイ○ンにイジメられたのか?」
「あたしはのび○君じゃない!
じゃなくて、アディの助けが必要なのよ」
「具体的に。」
「端的に言うと、今の暦じゃ農産物の前年比較が出来ない。なんとかして」
「んじゃ、太陽暦を導入しようか」
「……そんな、簡単なことなの?」
「簡単じゃないよ。
だけど、暫く前に計算も終わったし、太陽暦導入に必須の二つも今はクリアしているし」
「計算? それに必須の二つって?」
取り敢えずサリアをソファに座らせ、ちょうど執務室に来ていたサーラにお茶を淹れてもらった。
「その前におさらいだ。
何故今の暦じゃ前年比較が出来ない?」
「月暦だと閏月の影響もあって、同じ月の同じ日でも、太陽暦に比べて最大20日以上ずれるから」
太陰暦での一年は、354日。太陽暦より単純計算で11日少ない。つまり、大凡3年で1ヶ月季節がずれることになる。それを調整する為に閏月を挿入するのだ。閏月が挿入された年の一年は、384日。太陽暦より19日多くなる。
にもかかわらず、これまでそれは生活に影響がなかった。何故か。
「この世界では、時間の単位は昼と夜、1日と月が一巡り、それで事足りた。
年の区切りだって、実は年齢をカウントする為に便宜上設けているようなものなんだ。
それでいながら『誕生日』という概念が無いのは、例えば『夏の二の月の13日目』って言っても、それが夏至の5日前の時もあれば夏至の10日後のこともある。
だから生まれた日に、既に1歳とし、以降正月が来る度にひとつ歳を取るという形で計算するんだ。
だけど、その単位だけでは生活が成り立たない職種の人もいる。
お百姓さんたちだ。
だから、彼らの為に、春分、夏至、秋分、冬至という、四節気が導入されているんだ」
太陰暦の最大のメリットは、夜空を見上げれば日がわかる、という点にある。つまり、民に一定の教養が無くても、彼らにとって必要な時間単位を認識出来るのである。
「けど、お百姓さん――世界の根幹を成す職業だけど――の為の四節気と、民の為の月暦、更に政治的な意味合いも併せ持つ『正月』。
この三つを矛盾なく和合させる為に、太陰暦――太陰太陽暦――という暦法が成立したんだ。
この太陰暦、けど実際は閏月を加味して平均を取ると、一年が365.24223日になる。
太陽暦の平均は365.2425日で、現実の太陽年は365.242189日だとすると、実は太陰暦の方が正確な暦を示していることになる」
「そんな端数はどうでも良いわ。平均じゃなく、単年比較で10日も20日もずれるってことの方が問題だもの。
……っていうか、この世界の原始的な観測機器で、どうやって小数点以下5桁だの6桁だのまで計算出来たの?」
「厳密には、観測したんじゃない。記録の結果が、俺の知っている暦法と一致した、と言うべきだ」
その暦法の名は、「天保暦」。正しくは「天保壬寅元暦」という。日本で、天保15年1月1日(西暦1844年2月18日)から明治5年12月2日(1872年12月31日)まで使用されていた暦法である。
「入間氏のスマホに、旧暦換算アプリがあったんで、計算が楽に済んだ。
過去十数年間の閏月の挿入パターンから太陽暦に換算すると、今年は1875年と同じ暦を刻んでいる。ちなみに今日は、1875年6月16日になる」
「1875年……明治維新の後、よね」
「明治8年、だな。
だから、カナン暦705年の冬の三の月の5日目を、新しい暦の1月1日に指定して、1876年はちょうど閏年だから2月は29日までにする。
後はグレゴリオ暦で一年を回せば、単年比較は容易になるだろう。
春分は3月20日前後、夏至は6月21日頃、秋分は9月23日前後、冬至は12月21日頃だ。細かい計算式はあるけど、それは後回しでも問題はないと思うしね」
「それで、必須の二つっていうのは何?」
「識字と印刷。
太陽暦は、夜空を眺めても今日の日付はわからない。今日の日付を知る為には、カレンダーが読めなければならないんだ。
カレンダーを読む為には文字が読めなきゃならないし、市民全員がカレンダーを目にする為には、印刷技術が必要になる。……ま、版画でも良いんだけどね」
「そっか。確かに二つとも、クリア出来たのはつい最近よね。
だけど、ちょっと引っかかるわね。
何でそこまで同じなのかな?」
「暦の流用が出来るということは、この世界と地球の間に天文学的な差異はない、ってことだ。
この惑星の自転速度も、公転速度も、公転距離も。月の公転速度も、公転距離も。
それだけじゃない。地軸傾斜角も、この惑星自体の大きさと質量、月の大きさと質量、更に太陽の大きさと質量も、全く同じと考えて良い」
「そこまで何もかも同じって、考えられるモノなの?」
「昔は、どれだけ条件が同じでも、星座が違う以上ここは地球やその平行世界ではないと思っていた」
世界の差異を確認する一番簡単な方法は、「差異はない」と仮定して物理法則を検証してみることだ。そこで既知の法則と違う答えが得られたら、その法則については「違う」ということが証明出来る。しかし、その「違い」は今のところ、魔法関係しか見出せていない。
また中世の神秘学には、『星辰』という考え方がある。惑星の存在が理解出来ていなかったから、星座を横切る明るい星に運命的な意味があると解釈したのだ。だが、神秘学とは逆の解釈になるが『星辰』に意味があるのかもしれない。もし『星座が違う』ことが『世界の違い』を、地球との(並行宇宙論的な)『次元の距離』を示しているとしたら。
「この世界は正しく地球の平行世界で、でも星座が違う分だけ地球という“世界”と違っているんだ、と解釈出来るのかもしれない」
「……そろそろ頭が痛くなってきた。同じなのか違うのか、わかる言葉で説明して」
「難しいことを考える必要はない、ってことだ。
同じだっていうんなら、そのまま流用すれば良い。
違うっていうんなら、その違いを知れば良い。さしあたっては“魔法”、だな」
「だから、アディは魔法を研究していたのね」
だから、俺は魔法学者を目指している。
この世界を知る為に。
(2,962文字:2016/05/19初稿 2017/05/01投稿予約 2017/06/20 03:00掲載予定)
【注:「ジャイ○ン」「のび○君」は、〔藤子不二雄著『ドラえもん』小学館てんとう虫コミックス〕の登場人物です。
天保暦(太陰太陽暦)についての雑学は、国立天文台HP内暦計算室(http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/)並びにWikipedia「天保暦」の項(https://ja.wikipedia.org/wiki/天保暦)を参照しております】
・ ここでは「カナン暦705年がグレゴリオ暦1875年とほぼ同じ暦を刻んでいる」と述べておりますが、太陽太陰暦と太陽暦はおおよそ19年で大体等しくなり、219年で丸一日ずれるといわれておりますから、グレゴリオ暦1875年以外にも一致する暦周期はあります。
・ 二十四節気・七十二候というものが、中国・殷周王朝時代から伝わっています。これは百姓の為に生まれたモノであり、太陽暦の無かった時代に生まれたモノなのに、太陽暦との誤差は一日前後しかないことを考えると、お百姓さんは数千年前から「世界」を知っていたという、何よりの証なのかもしれません。




