第01話 ネオハティスの市政
第01節 街づくり・人づくり(承前)〔1/4〕
(注:難しい話が続きます。第01節は全部飛ばして第05話から始まる第02節「飛竜事件」から読み始めても、不都合はありません)
◆◇◆ ◇◆◇
カナン暦705年夏の二の月。
ネオハティスへの移住も基本的に完了し、おっかなびっくりながらも町の経済が動き始めた。
旧来の街との最も大きな違いは、硬貨ではなく紙幣で取引をする点であろう。
硬貨の額面金額は、基本的に「貴金属としての価値」より高く設定される(でなければ鋳潰した方が価値が出ることになる)。その為『金貨』といっても純金ではなく、幾つかの卑金属との合金で鋳造し、配合割合などを機密に指定するのが通常である。それはそのまま大きさと重量で真贋鑑定出来るということにも繋がる。
ところが、重量は他の卑金属で調整出来る。結果として贋金が流通する危険が生じ、結局贋造防止の為に表面の彫金を精密にし、技術コストをかけるという本末転倒な現象が発生するのである。
対して紙幣は、通常贋作が容易である。特にこの時代、紙の種類がそれほど多くないことから、あとはインクと図案等を模写出来れば、もう贋造紙幣の完成になる。
それを恐れて商人ギルドは、為替に複数の符牒を織り込み、贋造を難しくしているのだ。これは公表されていない事実ではあるが、商人ギルドの中でも符牒の全てを知る職員はなく、複数の真贋鑑定人がそれぞれ自分の担当する符牒を確認し、全員が問題なしと確認することでその為替が本物だと証明するという方法を取っている。
一方ネオハティスのイェン紙幣(1イェンは銅貨1枚。金貨1枚は10,000イェン。言うまでもなく、由来は『円』)。これは特定の魔力で染めた魔石を砕いたものを染料として使用している(勿論通常のインクも使用しているが)。そしてその魔石に反応させる為の呪文は、ネオハティスの住民並びに商人ギルドに公開してある。ネオハティス市民は子供でさえイェン紙幣の真贋鑑定が出来、偽造紙幣の流通が出来ないようにしているのである(このインクを偽造する為には、魔力波動を再現する必要があり、現在の魔法知識・技術ではそれは不可能)。結果兌換(額面と等価の貴金属等との交換)の裏付けさえあれば、下手な金貨より余程信頼性が高いのである。
フェルマールの金貨鋳造所が作業を停止し(王国崩壊時に贋造のリスクを回避する為に、鋳造所職員たちの手で破却されている)、フェルマール金貨の流通量がこれ以上増えず、各領地が鋳造する品質の悪い金貨が市場を席巻している現状、イェン紙幣に興味を持つ商人も少なくないようだ。
◆◇◆ ◇◆◇
ところで。ネオハティスの町長(ネオハティスは、立地的には「落」、行政区分的には「街」なのだが、旧ハティス市の新生であるという点から、民は皆自身を指して『市民』と呼ぶ。その為市民の長が「町長」という、訳のわからない関係が成立しているのだ)には、セラフ・エルルーサ=ハティス男爵夫人が事実上就いている。中には名実ともにアドルフの町なのだから、アドルフが町長になるべきだと主張した人もいたが、「ハティスの町長はエルルーサ家の者が就くべきだ」という意見がより多くを占めた為、男爵夫人が町長となった。但し、「自分はあくまで町長代理。うちの息子がそれなりの歳になったら正式に町長にする」とは、男爵夫人の弁。
ネオハティスの行政官僚は、旧ハティスの行政官僚が引き継いでいる。しかし、難民時代資金難だった為市民の個人財産さえも供出した筈なのに、官僚たちはたくさんのフェルマール金貨を所持していた。通貨が硬貨から紙幣に移行し且つ経済は基本的に【ラザーランド商会】を経由しなければ外部と取引出来ないという現状により、彼らの不正蓄財が表面化することになったのである。他にも旧「ハティス難民団」または新ハティス市民(入植希望者)の中に、犯罪等に関わり真っ当ならざる方法で蓄財していた者も一定数紛れ込んでいたが、ネオハティスでは前提として流通しない硬貨を所持しているという事実が過去の犯罪歴を証していると判断され、庁舎のブラックリストにその名前が記載されることになる。
ちなみに。男爵夫人が男爵家に嫁ぐ前は、孤児院を経営していたことは誰もが知っていることである。そして現在のハティスは、『孤児と未亡人の連合政権』ともいうべき状況にあり、つまり「町全体が孤児院みたいなもの」と夫人は喝破した。その為町を挙げて子供たちを養育する義務があるとし、また家業生業の枠を超えて様々な職業知識と技術を教育する方針を表明したのである。
これはアドルフの「市民全員に等しく教育を」という思想とも合致し(寧ろ「アディの思想に影響を受けた男爵夫人がそう発言した」と言う人もいる)、官僚の子も商人の子も、鍛冶師の子も百姓の子も、皆等しく文字を習い、計算を覚え、鉄の打ち方や畑の耕し方、馬の乗り方や剣の使い方等、多岐に亘る勉強をすることになった。
現在のネオハティスの子供たちにとって人気の職業は、『炭焼き職人』と『測量士』だ。どちらも体力や体格、素養や素質に左右されず、前者は技術と経験、後者は知識と根気で成果を上げることが出来る。逆に言えば貧民や孤児であっても一流職人並みの収入を得ることも夢ではないということだ。逆に人気のない百姓などの後継者が減ることは町の死活問題。町は【ラザーランド商会】と協議して、この問題に対処するのだという。
測量事業は、残念ながら遅々とした進みでしかないのが現状だ。『不帰の森』方面は当然のこととして、ブルゴの森全域に於いて、獣の魔獣化率が尋常じゃない。寧ろ森の中で魔獣化していない獣は、市民たちと共に持ち込まれた家畜・家禽等だけなのでは? と言われるくらい(その一部も既に魔獣化しだしているが)。
魔獣相手では通常の猟師は相手にならず(罠猟では逆に危険)、その為冒険者の出番となるのだが、冒険者とていきなり魔獣と戦えるほど強くなれる訳でもない。
それらの事情からネオハティスの冒険者ギルドでは、木札から鉄札への昇格の為にはボルド(またはオークフォレスト)の冒険者ギルドの所轄内で、一定数の野獣(ウサギやキツネ、シカやオオカミ等)の討伐依頼を受注し完了認定を受けることを条件として附されることになった。鉄札への昇格に際し、他のギルドでは試験等を必要としないのだが、野獣とさえ戦ったことのない木札冒険者がブルゴの森で魔獣討伐を行うのは危険すぎるからである。
◆◇◆ ◇◆◇
そんなこんなで新しい町が、慌ただしくもそれが日常になり始めた頃。
ネオハティス官庁にある行政相談役兼【ラザーランド商会】会頭執務室に、農業改革を担当するサリアが駆け込んできた。
「アディ、助けて!」
(2,889文字:2016/05/19初稿 2017/05/01投稿予約 2017/06/18 03:00掲載予定)
【注:『孤児と未亡人の連合政権』という表現は、〔田中芳樹著『銀河英雄伝説 9 回天篇』TOKUMA NOVELS〕を原典としております。
「百姓」は放送禁止用語に該当しますが、作中に於いては純粋に「農業従事者」を意味する名称として使用しております。万一不快に思われる方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。ちなみに「百姓」とは、その語源は「百の姓(職業)」のことであり(即ち特定の職業を指した言葉ではなかった)、時代が下って「百女生を知る者」の意味に代わりましたが、「ドン百姓」という表現が生まれるまでは、侮蔑とは真逆の意味を持つ言葉だったのです。
なお「孤児院」も放送禁止用語で、正しくは「児童養護施設」とすべきなのだそうです。こちらは世界観の維持の為にこれからも「孤児院」と表記します】
・ 流通通貨の切り替えに伴い不正蓄財を焙り出す方法は、近年(2009年)北朝鮮政府も試みています(成功したとは言いませんが)。不正蓄財していた人はその分の旧通貨を気軽に交換することが出来ない為、最終的にその分の旧通貨だけが残るのです。
・ 官僚その他役人や指導職にある人たちの不正蓄財に関しては、(ブラックリスト入りしていても)処罰はされておりません。「蓄財の正統性を論じるより、市民生活向上の為に何をしたかを評価するべき」という町長代理の裁定の結果です。けれども難民時代皆が苦しんでおり、だからこそ自分の持つ先祖伝来の宝物さえ供出した市民たちに対し、財産を供出せず隠し持っていた官僚たちは、暫く針の筵に座ることになりますが。
ただでさえネオハティスは全分野に於いて人材難である為、贈収賄や多少の横領、その他品行不良程度の理由で職を追われることは有り得ません。「有能な悪人」と「無能な善人」のどちらかであれば、有能な悪人の方が当然のこととして優遇されるのです。勿論、「有能な善人」が育ってくればリストラの対象になりますが。
・ ついでに。フェルマール国王は、典型的な「善人」でした(無能か有能かは敢えて論じませんが)。しかしその取り巻きは悉くが「無能な善人」だった結果、政府全体がお花畑となり、隣国の侵攻準備にも国内貴族の離反にも気付かなかったのです。




