第43話 末摘花
第07節 街づくり・人づくり〔8/8〕
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カナン暦705年春の三の月。
ハティス市民の大半が新ハティスへの移住を済ませ、あとは鍛冶師ギルドの連中が(高炉への未練を断ち切って)河を渡れば完了する、という時期。
ボルド市中のアディの邸館では、ネオハティスの運営方針についての協議が行われていた。
参加者はアディ達旅団【緋色の刃】とラザーランド船長(というよりも【ラザーランド商会】の一同、というべきか?)、旧ハティス市の幹部(アディにとっては「孤児院関係者」と冒険者ギルド、鍛冶師ギルドの面々)、そしてスノーの弟妹であるムートとロッテ(この二人はおまけ。スノーと離れたくないようだったので一緒に連れてきた)。
ネオハティスは基本四圃式農法による農園と林業で経済を回すのが前提だが、同時にビジア領オークフォレストとボルド市を繋ぐ内陸水路の中継地として運用するというのがアディの構想であった。
この場合、オークフォレストからボルドまでは(これまで陸路で五日程度かかっていたものが)二日(ネオハティスまで一日、荷を揚げ橋を渡ってボルドに搬入するのに更に一日)、逆にボルドからオークフォレストまでもネオハティス経由だと四日程と、短縮出来る。
これまでもオークフォレストからボルドまで、河の流れに載せて荷を送ることはしていた。しかし、ブルゴの森(『不帰の森』の東に広がる大樹海)に道を作るということが発想自体出来なかった為、片道便にしかならず商業的に活用出来たとは言えなかったのだ。ちなみに川の南岸に沿った道が現在の街道だが、途中岩山がありそれを迂回するルートを通っている為、曳舟道としては使えないのだ。
そして、ボルド河に架ける橋を浮き橋とし、且つそれが自走可能な船で構成するということはつまり、万一ボルド市との関係が悪化した場合には、河を堀に見立てて防衛することも考えられるということである。その場合もオークフォレストへの道が開かれていれば、ネオハティスが孤立することもない。
これは逆に、ビジア領との関係が悪化した場合も同じである。オークフォレストへの道を封鎖しても、ネオハティスが孤立することの無いように、というのが複数の道を建設する理由なのだから。
つまり、発展と防衛、双方の視点からこの構想は合理的であるということが出来る。
しかし、それに加えてもう一つ新たに町を造る。その発想の大きさに、集った一同驚愕の眼をアディに向けたのである。
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「抑々ビジア領主ユーリが想定した、ハティス市民の開拓村は、オークフォレストの対岸だ。ボルドの対岸に作ったのは、俺がユーリの保障を拡大解釈したからに過ぎない。
そして、町を二つ作ってはならないとは言われていないしね」
「それこそこじつけだと思うけど。
抑々今回の開拓村に関しては、免税特権とか幾つかの特権を勝ち取っているんだから、それを二つも三つもの村に適用させようとしたら、流石のビジア伯爵も怒るんじゃない?」
「ま、サリアの言う通りだな。
だから、オークフォレストの対岸に作る町には、ちゃんとビジアに税を納める必要があるだろう」
「つまり、町は作るけどお前の町とはしない、ということか?」
六つの主権の話を思い出したのか、ルビーが興味深そうに聞いてきた。
「そう。徴税権を放棄する。つまり、俺の荘園ではなく、ビジア領内に置く俺の租借地、ってことになるだろうな」
「だとしたら、開拓費用お前持ちで、ビジアが一方的に得をすることになると思うが?」
「そんなことにはならないよ。
だから、オークフォレストの対岸に作る町にはある特産品を考えている」
「それは?」
「オークフォレストに自生しているのを見つけてね。
末摘花を栽培する」
「……末摘花って、顔の不自由な女性のことだっけ?」
「平安時代は、赤ら顔は不美人の象徴だったからね。
『末摘花』という名称は、紅花の雅称のことだよ」
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紅花。
平成日本に於いては山形県の県花に指定されている。
茎や葉は食用、茶や飼料としても利用され、生花は観賞用、干し花は薬用・嗜好品として茶や酒に、更に染料・着色料として染物や化粧用品(口紅という名称の由来でもある)、食材の着色(食紅)にも使われる。
その種子は絞って油を採れるが、紅花油は食用・薬用・燃料用、墨にも使え、当然石鹸の製造にも役立てる。そして絞り粕は肥料にも飼料にも使えるという、万能に近い植物なのである。
高温乾燥地帯を原産とする花であり、山形県はその植生北限に近い為、山形県ではこの花を育てる為に多くの工夫をしている。
なお、「末摘花」が不美人の象徴というのは、「赤い花」と「赤い鼻」の掛詞である。
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オークフォレストの対岸で、大規模な末摘花の農園を作る。
その染料はビジアの織物産業に有用だし、紅花油は【ラザーランド商会】の石鹸に使える。また豊富な食用油は料理の幅を広げることも出来る。そして栄養価の高い飼料を確保出来れば、馬などの生産・育成拠点としても活用出来るだろう。
これに加えてブルゴ街道(仮名)の北側の中継点としての商業価値を合わせれば、単独での発展も夢ではない。
「経済っていうのは、取引相手がいて初めて意味が出る。
ビジアとの取引を考えたら、ビジアが痩せ細ったらネオハティスは干乾びる。
だからネオハティスの為に、ビジアに新しい産業を勃興させるんだ」
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スノーの姉ルーナ王女は、現在カナリア公国で幽閉されているというから、王女救出の為にはアプアラ領を貫徹し(つまりリーフ王国を降し)、カナリア公国に侵攻する必要がある。
その戦力は、今はまだ俺たちのもとにはない。
加えてメーダラ領との抗争は、まだ終わりが見えない。
現状は軍事衝突を回避する方向で経済封鎖を行っているが、いつ武力行使することになっても不思議ではないだろう。
そして、ラザーランド船長との約束もある。
彼が世界周回航海に出れるよう、スノーたちフェルマールの旧王族姉弟妹が穏やかに暮らせるような国を作る為。
俺は持ち得るズルを全て使うことにしよう。
(2,684文字:第六章完:2016/05/17初稿 2017/05/01投稿予約 2017/06/16 03:00掲載予定)
【注:『末摘花は顔の不自由な女性のこと』『平安時代は、赤ら顔は不美人の象徴』これらは〔紫式部著『源氏物語』第六帖「末摘花」〕を原典としております。
紅花に関する蘊蓄は、山形大学「紅花の歴史資料館」HP(http://www2.lib.yamagata-u.ac.jp/benibana/)から引用しております】




