第41話 鍛冶師たちの見る夢
第07節 街づくり・人づくり〔6/8〕
実を言うと。
ハティスの鍛冶師たちは、最後の最後まで開拓地に移住しなかった。
原因は、俺の邸館の高炉・転炉の存在であった。
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この時代の製鉄は、低温で固体のまま鉄鉱石(酸化鉄)から鉄に還元される。
そして魔法(鍛冶師ギルド固有の儀式魔法である〔神鉄炉〕)を使い、還元された鉄を改めて融解させ鋳造する技術が確立していたので、高温還元の必要性に気が付いていなかった。
しかし、低温還元製鉄の場合、いちいち炉を壊さないと鉄を取り出すことが出来ない上、不純物の排出も不完全になる。また銑鉄・鋼鉄・錬鉄の差別化にも大変な労を求められていた。
連続して機械的に製鉄を行える高炉製鉄や含有炭素量の調整で鉄の性質を変える転炉は、だから彼らにとって神秘の技術だったのである。
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問:新ハティスに高炉・転炉を建設する予定はあるか?
答:現状は無い。製鉄需要はうちの高炉・転炉で充分賄える。
うちが抱えている鉄鉱山は、本来ハティス市が保有していたものだ。しかし『リリスの不思議な迷宮』を経由して採掘している以上、ハティス市鍛冶師ギルドに開放することは出来ない。
ネオハティス近郊で鉄鉱山を発見し、且つ俺が空間転移(歪曲・接続)魔法を使えるようになった時、ネオハティスの鉄鉱山と旧ハティスの鉄鉱山を繋ぐことは選択肢に含まれよう。そしてネオハティスで自前の鉄鉱山を抱えるようになったら、ネオハティスで自前の高炉・転炉を建設することも吝かではない。
が、現在はまだ時期尚早だろう。
とはいえ高炉に接続する熱風炉は、〔加熱〕の魔法で運転している。そして〔加熱〕は、ネオハティスの火属性並びに無属性の魔法を使うものには基本全員使用出来るようにと目論んでいる。
だから将来の高炉建設に備え、ハティスの鍛冶師たちは設備と運用の技術を学んでいるのである。ついでに幾つかの合金知識も研鑽していた。
うちにとっても採掘や鍛造・鋳造の手が増えるのは有り難いことだし、その技術もシンディに優るとも劣らない者たちばかりだから、邪魔になるなんていうことはあり得ない。
その一方でネオハティスでは民生品の鉄需要が他の町より桁外れに多いので、生産量を増やしキロ単価を低減させるのは至上の命題でもある。
結果としてネオハティスが機能し始めるまでの数ヶ月間で、普通の町の数年分の需要に相当する量を製鉄・加工することになった。
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「……何故だ?」
「……何が?」
「俺たちはまだ、新天地に辿り着いていない。
身分はまだ、難民のままだ。
なのに何故、昔以上に忙しい?」
「鉄の本領は、大量生産にある。注文に応じて製鉄から始めるなんて古代のやり方では加速する文明の進歩について行ける訳がない。技術の歴史は鉄の歴史なんだからな」
「お前が一人で時代を動かしているんじゃないのか?」
「逆だ。魔法の所為で止まっていた時間を元に戻しているんだ。
確かに高炉は場違いな工芸品だろう。だけど義父さんたちは――俺のアドバイスがあったとはいえ――既にシュトゥック炉まで開発出来た。なら、そのまま発展させていっても原始的な高炉を開発し、製鉄と鉄工を分業出来る土壌が出来ていたんだ」
「だが、自分で開発するのとお前が使っているのを見て学ぶのでは、その意味はまるで違う」
「確かにその手で生み出すことこそが最上だ。だけど、その目で見て学ぶことだって、言うほど劣っている訳じゃない。
義父さんたちだって弟子に同じことを言うんじゃないのか? 最初は取り敢えず、目で見て盗めって。
炭焼き窯の時だってそうだったろう? 俺は知識を伝えたけど、義父さんらはそれを正しく吸収消化した。もう俺の薄っぺらい知識じゃぁ口を挟めないよ。
大切なのは、目で見て盗み、それを壊し、そして独自の技術に昇華させることだ。
それを遠い国の言葉で、『守破離』っていうんだ」
「『守破離』か。成程。良くわかった」
邸館の高炉は、現段階で一つの都市を賄う一般的な製鉄量の10倍強の生産能力がある。
木炭の供給能力がこの辺りで限界なのでこれ以上を求めることは出来ないが、ビジアからの生木の購入とネオハティス開拓の際(文字通り)根こそぎ伐採した木々、更にブルゴの森の間伐・枝打ちで生じる木材などで木炭の供給量が増えることから、ネオハティスに高炉を建設すれば邸館の高炉の更に数倍の製鉄能力を見込める筈だ。
そしてそれだけ見込んでも、まだ鉄鉱石採掘量の方が多いのだから、それを生産に回しても問題は生じない。
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鍛冶師ギルドが最後までボルド市に残ったのは、製鉄の技術を学ぶ為だけではない。
今後のネオハティスに必須の、ある技術を研究し、実用化させる必要があったからである。
一つは、凸版印刷。
もう一つは、造幣局の建設である。
ネオハティスの住民は、そもそも難民だった訳だから、私有財産など殆ど持たない。だから当面の生活費は貸し与えるつもりだが、金銭を貸し与えるより証書にし、その証書をそのまま貨幣として流通出来る方が後々有効だろうと考えたのである。
ある程度の量の紙幣が流通出来るようになったら、次は債券を発行し、紙幣流通量をコントロールする。
その為には、偽造されない紙幣を製造する必要がある。
参考になるのは、商人ギルドの為替だろう。
入間史郎が織り込んだアイディアのおかげで、為替の偽造はとても難しくなっている。が、実は俺の知識とシンディの技術力なら、あの程度なら偽造出来ない訳ではない。
なら、偽造不可能な紙幣を造幣する必要があるのだ。
で、選んだのは、魔石を砕いて染料にする、ということだ。
鉱石を砕いて染料にするのは、別段特殊な技術ではない。が、魔石を砕いて染料に、ということを考えた人は、どうやら今までいなかったようだ(魔石の利用価値が高すぎて、染料にするというと「勿体ない」と感じるというのが実情のようだ)。
しかし、魔石を一定の魔力波動で染めてから砕き、染料にすれば、そのインクから魔力を検知出来る。しかも一般の魔石を砕いて染料を作っても、それだけでは基本無色の染料なのだ。前世の紫外線感光インクのように、特定の魔力を当てたときだけ反応する。紙幣の偽造防止にこれ以上の策は、おそらくないだろう。
そして、凸版印刷。
版画は既にある以上、金属で活字を作り、それを組み合わせて版画のように刷る凸版印刷は、識字率を高めた以上その用途は無限大だ。当然紙幣の印刷にも適用出来る。
それ自体に(金貨のような鉱物資源的)価値は無く、しかし絶対の信頼で換金価値を持つ貨幣。それが出来れば、間違いなく経済的な革命がおこるだろう。
(2,950文字:2016/05/10初稿 2017/05/01投稿予約 2017/06/12 03:00掲載予定)
【注:『守破離』に関しては、筆者の別コンテンツ〔どうということはないはなし〕「その二 ……守破離?」(http://ncode.syosetu.com/n0420dd/2/)でも語っていますので、ご一読願います。
以下製鉄炉並びに鉄の歴史は、浅井照明様のHP『鉄の歴史』(http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/section4I/kuiper_section4I.htm)を参照しております】
・ 本文中で「(ハティスの鍛冶師たちは)その技術もシンディに優るとも劣らない者たちばかり」と言っていますが。ヒヒイロカネの加工でシンディに優る鍛冶師はこの世界には最早存在しませんし、合金加工もまたシンディ以上の技術者はいません(一部青銅等の加工技術は例外。一万年近い青銅加工の経験蓄積の正当な末裔の技術に、シンディのような若者が及ぶ筈がない)。更に通常の鉄製品であっても、シンディ以上の技術を持つ鍛冶師は、五人といないでしょう。
・ シュトゥック炉は、レン炉(たたら製鉄炉)と高炉の中間的な位置にあり、高炉開発(15世紀)の途上で生まれた製鉄炉です。但し中国では紀元前5世紀には高炉による製鉄を行っていたという記録もあります。ちなみに鉄の鋳造は、西洋では14世紀後半以降になって実用が可能になりましたが、中国では紀元前6世紀には既に日常で使用されていました。




