第38話 光の魔法
第07節 街づくり・人づくり〔3/8〕
実のところ。
旧ハティス市民に識字率の向上を強いたのは、二つの理由があった。
一つ目は、情報伝達速度。
俺とサリアは、「高度情報化社会」で生活した前世がある。
情報というのは、瞬時に千里を駆け、真実も誤報も虚報も垂れ流され、情報の受け手が取捨選択してその事実を再構築する。それが当たり前と思っていた前世がある。
だから、はっきり言って我慢ならないのだ。嵩が一万人に対して一つの情報を伝達する為に、スタッフ全員が、足が棒になるまで歩き回り、咽喉が枯れるまで喋り続け、それでも丸一日かかる(それでも終わらない場合もある)なんて。
だけど、取り敢えず皆がみな文字を読めるようになれば、情報の伝達など瓦版で事足りる。
前世日本のように、『識字率』という指標を使ったら限りなく100%に近くなる(文盲率は――知的障碍など特殊事例を除外したら――実数で「何人」と数えられる)から、識字率(文盲率)ではなく就学率/未就学率という指標を使うなどということまでは――現時点では――期待していない。けど、たかが一万人程度の人間に読み書きを教えるくらいなら、それほどの労は要しない。
なら手っ取り早く読み書きを覚えて貰えば良い。それが第一。
二つ目は、深刻な人材不足である。
町(市)の運営に関しては、旧ハティス市の幕僚(役人)がいるから、何とでもなる。
しかし、俺が考えている町造りには、それだけでは足りない。
大前提として市街地と農地、ともに測量検地して分析の土台とする。
測量する為には三角関数の知識が必須であり、三角関数を身に付ける為には二次方程式や平方根、三平方の定理や円周率といった知識を理解する必要がある。またそれらを理解する為には抑々四則計算が出来なければならず、そのレベルの算術の為には算用数字が必須になる(ローマ数字や漢数字で二次方程式の公式に当て嵌めた解法を行うことをイメージすればよく分かるだろう)。
そして測量技術を身に付ければ、魔法に依らずして『不帰の森』を踏破出来る(最終的には『不帰の森』を含めたブルゴの森の森全域を測量したいと思っている)。
知識を身に付けるだけで、魔法などの特殊技能に依らず最難関と謳われた迷宮を踏破出来る。ならそれを拒む理由がどれ程あるだろうか?
その意味では、魔法教育も同じである。
商人ギルドのように納得出来る理由も無く、さっさと彼らを見捨てて逃げた神殿関係者に対し、彼らは根強い不信感を持っている。その所為もあり、ボルドの精霊神殿に参拝しようと考えるハティス市民は、数えるほどしかいない。特に子供世代はほぼ零である。
だからこそ、“加護無し”となった彼らに対し、無属性魔法の『運動の理』を教えたい。『一つの物体』に限らず、『無数を一個の総体』と看做す【群体制御】。有形無形を問わず一つの集まりとしてそれを操作する【流体制御】。“目に見えない”ものでも“そこにある”、それを認識してそれに干渉する【気流制御】。そして出来る事なら『加速』=『加熱』、『減速』=『冷却』、『停止』=『凍結』の理まで理解出来るようになれば、最早無敵だろう。
神殿関係者=精霊神たちに見捨てられたというのなら、旧来の属性魔法では出来ない魔法を身に付ければ良い。『見返す』という考え方がさもしいと思う人もいるだろう。けど、一時の心の支えにはなる。見返すことが出来た後、自分の心をどこに置くかはその後考えれば良いのだから。
◇◆◇ ◆◇◆
ボルドの市中で、一人の子供が泣いていた。
手を引く親の着ている服を見れば、ビジアの領主夫人の意匠の服。ハティスの子だ。
「どうしましたか?」
「あ、アレ……じゃないわね、アドルフくん。
実はさっき、精霊神殿に参拝に行ったのですが、そこでボルドの子供たちに『加護無し』って言ってイジメられてしまったのです」
「あ~っ、成程。
なぁ坊や。キミは加護が無いってイジメられたのか?」
「アドルフくん、何を!」
いきなりな俺の言葉に、母親も血相を変えた。けど泣いている子供は返事も出来ない。
「そうか、可哀想だな。
加護を感じ取れない、この街の子供は」
「え?」
「坊やは感じないのか? 神様がキミに与えてくれている加護を」
言葉の意味がわからないのだろう。取り敢えず泣き止んだものの、きょとんとして俺の顔を見ている。
「わからないか。じゃぁ上を見てごらん?」
子供は、言われるままに上を見る。つられて母親も。
冬の三の月。
空気は冷たくも澄んでいて、空には雲一つない。空の上にあるのは、眩しく暖かい、太陽。
「太陽は、全てのものに加護を下さるんだ。
ボルドの子にも、ハティスの子にも。
子供にも、大人にも。
精霊神様たちだって例外じゃない。太陽の加護が無ければ、精霊神様たちだって生きてはいられないんだよ。
精霊神様の上にはアザレア神って神様がいるって教えているところもあるけど、善神や悪神だって、太陽の加護が無ければ生きていられない。
けどね、太陽は、本当に平等なんだ。
良い子にも、悪い子にも加護を与える。
人間にも、魔物にも加護を与える。
動物にも、植物にも加護を与える。
なら、あとは受け取る側次第だよ。
その加護を拒絶して、『自分には加護が無い』って泣くのも。
その加護を受け取って、『太陽有り難う』って笑うのも。
ほら、笑おうよ。
太陽が見ているよ?」
◆◇◆ ◇◆◇
この時のアドルフは、ただ子供を泣き止ませることしか考えていなかった。
だから、自分がその瞬間、この世界に新しい宗教を興してしまったことを自覚していなかった。
新しいハティスの町に、神殿を誘致しようという話は以前からあったが、この日以降それを語る人は減っていき、実際に移住を始めた頃には誰も口にしなくなった。
また、アドルフの教える無属性魔法は、『太陽の属性』と呼ばれ、後に『光属性』の魔法と呼ばれるようになる。
その一方で、アドルフが興す新たな国は。
精霊神を否定する国、『魔王』の治める国だとアザレア教会から名指しで非難されるようになるとは、だからこの時それを想像出来た者は一人としていなかった。
(2,734文字:2016/04/26初稿 2017/05/01投稿予約 2017/06/06 03:00掲載 2017/06/30誤記修正)
【注:「文盲」は差別用語・放送禁止用語に該当し、現在では「非識字者」と呼ぶそうです。本作に於いてはイメージし易いように、敢えて「文盲」という用語を使っています】
・ 難民たちに教育を強いた理由はもう一つありまして、それは彼らにさぼり癖を付けさせない為です。日々何もせず、施しを受けるだけになってしまったら、それこそぱよぱちレベルの「そうだ、難民しよう!」になってしまいますから。
・ 本当は、「悪い子」って、太陽の加護があることを自覚せず、または忘れ、或いはそれを蔑ろにする子のことなんですよね。
・ 「太陽が見ている」だと、微笑ましい。
「聖母が見ている」だと、百合ユリしい。
「家政婦が見ている」だと、後ろめたい。
「邪神が見ている」だと……「ああ!窓に!窓に!」




