第30話 彼の世界の流儀
第06節 不帰の森〔2/7〕
「この杭の、正式な名称は『測量杭』という。
空間は歪んでいても、地面が動く訳じゃないから、地面にこの杭を打ち込んで、現在位置の基準にするんだ。
出来れば森全体に打ち込みたいけど、流石に数が足りないからね。自分たちの進路とその周囲に打ち込んでいくつもりだ」
取り出した『民族精気抹殺杭』ならぬ『測量杭』を見せながら、『不帰の森』攻略の方法を説明した。実のところ、平成日本で使われる測量技術も、基本的には高1レベルの三角関数でしかない。当然『レーザー測距機』や『GPS発信機』などの高度精密機器を使わなければ相応の誤差は生じるが、それで測量出来ない訳ではない。
「まず、基準になる場所に杭を打つ。
そこから進行方向に10m行ったところに、次の杭を打つ。
そしてその二本の杭から左右60度の角度で、同じく10mの地点にそれぞれ杭を打つ。
これで、正三角形が二つ出来上がる。
後は、この正三角形を作り続けることで、正確な距離と大きさを測れる。
勿論、植生などで必ずしも正三角形の頂点に位置する場所に杭を打てるとは限らない。その辺りは臨機応変に、ってことになるけど、全ての杭を打った場所などは、全部記録していくんだ。出来れば、それで出来た正三角形の内側に樹が何本あるかまで記録出来れば尚善」
「でも、空間が歪んでいるんでしょう? そんなところで三角測量しても、信頼出来る数値が出せるの?」
「歪んでいるのなら、その歪みを測定すれば良いんだよ、サリア。彼の世界の測量技術は、それが出来るだけのものを持っているんだから」
☆★☆ ★☆★
一辺が10mの正三角形を作った場合、それぞれの内角は全て60度になる。
けど、一辺10mなのに、内角の一つが60度にならなかったら?
或いは、内角は全部60度なのに、辺の一つが10mにならなかったら?
莫迦モン、そいつがル○ンだ!
……ぢゃなく、そこの空間が歪んでいるということだ。
たとえて言えば、北緯0度(赤道上)・東経0度、北緯0度・東経90度、北緯90度(北極点)の三ヶ所を結べば、一辺の長さが同じ正三角形になる(地球の形状は真球ではないので、厳密にいうと正三角形にはならない)が、内角はそれぞれ90度である。
これは、三角関数そのものが二次元平面上(これは「ユークリッド平面」と呼ばれる)を前提にした公式であり、三次元の球体表面上に描かれた三角形は初めから想定していないからなのだ。
けれど、一辺数km程度までであれば、惑星表面の丸みなどは誤差として計上するまでもないということになる。
にもかかわらず、たった10m程度の長さで誤差として切り捨てることさえ出来ないほど数値がずれていたら? 正しくそこの空間が歪んでいる証左である。
空間が歪んでいることを前提として、その歪みさえ測定しようと試みるのなら、歪みのない通常空間で正確な数値を測定出来る道具が必要になる。
その為、幾つかの道具を自作した。
一つは、光学距離計。といっても平成日本で使われているような視差式の高精度なものではなく、観測基準位置から10cm離れた場所に極細ワイヤーで罫線を引き、10m先の対象棒(中間1mの長さの部分が赤く塗られている)の頭と先の位置に罫線が重なるようにすれば、距離10mを測定出来るというものだ。
これと、長さ10mの綱で、光学測量による10mと物理距離の10mの差を測定する。
もう一つは、水平器。これは透明な瓶にオイルを満たし、そこに一滴水を入れて密封したものだ。水平位置にあれば、水滴は右にも左にも寄らず真ん中に来る。なお入間氏の遺品であるスマホにも電子水平器アプリが常駐している為、これも併用する。
そして、方位磁針。これは当然ながら、電子コンパスの方が手作りコンパスより信頼性が高く、一方で磁場による干渉はどちらも同じように受けることから、割り切ってスマホアプリの電子コンパスに頼ることにした。
分度器。こちらも、スマホの電子コンパスアプリに刻まれている方位角を書き写すことで簡単な分度器とした。これは磁場干渉によりコンパスの機能が停止した時に備えてのものである。
数理上の数値と観測上の数値。これにずれが生じた場合、計算誤差や観測誤差を排すれば、あとは空間歪曲値のみが残る。つまり、どれだけ空間が歪んでいても、それを数理的に解明してしまえば、ただの陸続きの土地でしかなくなるのだ。
なら、魔法など怯るるに足りぬ。ラノベの名言を借りるなら、「地球を舐めるな、魔法!」ということだ。
★☆★ ☆★☆
「このやり方の場合、重要なのは正確な計測と記録。これだけだ。
その一方で曲がりなりにも迷宮だからな。現れる野獣は全部魔獣と考えるべきだろう。
そこで、旅団を二班に分ける。そしてそれぞれに測量担当と防衛担当を配する。
測量担当は俺とサリア、それにシンディとサーラにも来てもらう。
防衛担当はルビーとシェイラだ。
そして、スノーは――」
「ごめんなさい。私は今回の探索に同行出来ないわ。
評議会の方と色々打ち合わせなければならないから」
「うん、俺としてもそっちをお願いしたい。仲間外れにしているようで心苦しけど」
「そんなことないわよ。けど、あとで色々話を聞かせてね」
「土産話を用意しておこう。
それからリリス、ちゃんとこの邸館を守るように」
「心配するでない御屋形様よ。自宅警備は妾の十八番ぞ」
◇◆◇ ◆◇◆
探索メンバーと留守番メンバーが決定し、その他についてを打ち合わせる。
探索は、最長でも一ヶ月。20日過ぎても森妖精の集落に辿り着けないようなら切り上げて帰還する。
探索中、メーダラ領が動いた場合、難民たちがボルドに到着した場合、評議会からの呼び出しがあった場合。それぞれの対応を事前に取り決める。
「ちょっとこれを見てくれ」
取り出したタブレットPCには、上空から撮影した不帰の森を上空から写した写真が表示されていた。
「これが不帰の森。南北大凡12km、東西は……どこまでが迷宮の領域かはわからないけど、多分直径12kmの円形、或いは短径12kmの楕円形がこのダンジョンの形だと思う」
「どうしてそうわかるの?」
「空間が歪んでいるというのなら、どこかにその中心がある筈だ。その中心が一ヶ所なら円形、二ヶ所なら楕円形、ということだ。
その中心は、一ヶ所は間違いなくダンジョンコア。ならもし別の中心があるのなら、そちらはダンジョンマスターだろうな。
そしてその両者が離れた位置にいることは考え難いから、直径2kmの円形空間、と結論付けて良いと思う。
なら、『不帰の森』の端はこのあたり、だからこのあたりを上陸地点にして、ここに始点となる基準杭を打ち込む」
そして、俺たちは森を目指す。
(2,983文字:2016/04/08初稿 2017/04/01投稿予約 2017/05/21 03:00掲載予定)
【注:「莫迦モン、そいつがル○ンだ!」は、〔モンキー・パンチ原作(宮崎駿監督)アニメ映画『ルパン三世 カリオストロの城』〕での銭形警部のセリフが原典です。
「地球をナメんな、ファンタジー」というのは、〔ヤマグチノボル著『ゼロの使い魔 14』メディアファクトリーMF文庫J〕の主人公平賀才人の台詞が原典です】
・ 現実的には、地球の丸みだの空間の歪みだのを持ち出さなくても、それが水平平面でない以上、数理的な誤差は必ず生じます。例えば、10mのロープで距離を測っても、標高差が2mあれば、水平距離は9.7980mになるのです。ではこの時、水平距離が9.6mになっていたら? 単純計算で垂直方向に0.8m分の空間の歪みがあるということになります。
・ 今話を書く為に改めて調べたのですが、現在(平成28年度)では三角関数を高1で学ぶのですね。筆者の時代は中学時代に学びました。
・ ちなみに、『ロードス島戦記』の「帰らずの森」や『スレイヤーズ!』の異界黙示録の在処のような、地面さえ存在しない異空間の場合、測量は全く無意味です。




