第28話 戦後始末
第05節 小麦戦争 Round-2〔6/6〕
カナン暦706年秋、メーダラ領で起こった『小麦事件』(後年『小麦戦争』の最終幕として認知される)。これが【ラザーランド商会】が計画的に引き起こしたということを知るのは、同盟四領の首脳陣のみである。だが、だからこそ彼等は慄いた。事実上一人の商人が、一領を荒廃させたのだから。
「けど、そんなに警戒する必要は無いんですよ?」
「確かに、三領による経済封鎖が無ければお前の手法もこれ程の効果が無かっただろう。
だが、同じやり方で町の一つや二つ、消し飛ばすことが出来るだろう」
「えぇ、確かに。だけど、それには簡単な対処法もあります」
「どうすれば良い?」
「俺のやり方でメーダラ領が壊滅したのは、収穫物全量を対象にした青田買いを行ったからです。なら、商人ギルドを介して、青田買いの対象とする穀物は、最大でも収穫量の半分まで、と規定すれば良い」
「成程、収穫物の実物が手元に残れば、最悪の事態を免れる、か。
だが、全ての商人がその規定に従うとは限らないんじゃないか?」
「メーダラ領で起こった『小麦事件』の顛末を知り、その対処法として発令した商人ギルドの規定を無視する商人がいるのなら、その商人は間違いなくその土地に対して悪意を持っているということになります。ならあとは、行政なりギルドなりがその商人を個別に監視し場合によっては制裁すれば良いってことでしょう」
「……そういうことか」
「後は年貢も、半租半銭(半分を収穫物で、もう半分を金銭で)という形にするとか、或いは全量金銭納付とするとかにすれば、収穫物の全てを商人に持ち去られるということも無くなるでしょう。
本音を言えば、領内の全ての農地に対して検地をし、平年の標準収穫高を算出し、それを基準に出来不出来を評価した上で、他地区との比較で外的要因を割り出して適正年貢率を計算し直すのがベターですけどね」
「……どういうことだ?」
「なにも問題が無ければこの程度の収穫を見込める。そういう数字を計算し、それを標準収穫高とします。
次いで、実際の収穫量が標準収穫高より下回っていた場合、他地区の状況も確認する。他地区でも同じ程度下回っているのなら、それは気象などの外的要因の所為だと推察出来ます。けど他地区より収穫率が低いのなら、それはその地区の農民が努力を怠っていたか、肥料をケチっていたか、或いは農法を間違っていたか、っていうことになります。
その上で、実際の収穫量が標準収穫量を上回り且つ他地区より収穫率が高いというのなら、報奨として徴収した年貢の一部を返納するなり現金で報いるなりすれば、農民のモチベーションアップに繋がるでしょう」
実際、小麦事件を引き起こした俺の青田買い、その最大の爆弾は「サボっても収入が保証される」という一点である。だからこそ領地経営に於いては、他地区より収穫率が低ければペナルティを、高ければ報奨を、とし、競争の概念を取り入れてモチベーションを維持させることを考えるべきなのだ。
「だけど、実際それが出来るのは今のところビジアとネオハティスだけです。それに、他領の徴税システムに口を出す権限も俺にはありません。ならあとは凶作に備えて領主の方で穀物を備蓄しておいた方が良いというくらいでしょう」
「それは、確かにそうだな。今度の一件で痛感したよ」
「そして領主の備蓄は、それ自体が今回のような事件を未然に防ぐ要因にもなります」
「……それはどういうことだ?」
「俺がやったような青田買い。今回のように一領を壊滅させることが目的だ、というのではないのなら、商人にとって目的は一つだけです。
つまり、一定価格で穀物を仕入れることが出来るのなら、凶作や有事など穀物が値上がりした時に売却して利ザヤを稼ぐことが出来る。今までは、経験則で『今なら安い』と確信出来たときに仕入れ、それより市価が高騰したら売り時だと認識していました。けど、仕入れ価格が固定されれば、市価がそれより高くなれば、間違いなく売り時なのです。
けど、市場で価格が高騰した時に、領主が備蓄を市場で売却すれば市価は落ち着くし、逆に暴落した時に、領主が市場で購入して備蓄に回せば市価は持ち直す。領主は利ザヤ稼ぎも出来るけど、それ以上に市場価格の乱高下を抑制出来れば、商人が投機で儲けられる幅も小さくなるんです」
これが、政府による市場介入の効用。殆どの投機家よりも、たとえ小なりと雖も政府の予算の方が動かせる金額が大きい。その為政府が市場介入を行えば、投機家にとっては自分の儲けの全てが溶かされてしまうから、嬉しくはない。しかし一般市民、一般消費者にとっては、価格変動が最小限に収まるのだから、デメリットは小さいのだ。
「俺がやったことの、一番の問題は。
穀物それ自体を、一種の“金貨”と看做した為替取引が出来るんだ、ということを見せてしまったことです。
今後、頭の良い商人たちが、手を変え品を変え、似たような先物取引の手法を考え出すでしょう。それに対して領主側が後手を打ち続ければ、メーダラ領のように一領が壊滅することもあり得ます。
今回、商人ギルドが早々にメーダラ金貨の換金を制限したでしょう?
あぁいう風に、行政サイドで取引を抑制する必要があるんです」
金融商品それ自体は、この世界ではあまり知られていない。しかし、実際には『金貨』と『信用通貨』の為替という形で、商人ギルドはそれを活用した蓄財を行っている。寧ろ、「金融商品を扱えるのは商人ギルドだけ」という思い込みを破壊した、と解釈することも出来るのだ。
これから、商取引に関して戦国時代が来る、と言えるかもしれない。商人たちが知恵を絞って(今までのような実体のある取引に限らず、実体の無い)信用取引を行うようになり、その発想を持てない商人とは桁違いに大きな資金を運用するようになるかもしれない。
けれど同時に行政側も坐してそれを見送る訳でもないだろう。ある取引に於いては行政が主導してそれを行い、またある取引に於いては莫大な予算を武器にそれを捻じ伏せ蹂躙する。
それは全体経済を拡大させる。バブル経済を引き起こす可能性もあるだろうが、その規模まで到達するには百年はかかるだろう。なら、前世チートでその処方箋を用意しておけば、最悪を避けることも出来る筈。
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後に『小麦戦争』と称されることになる、この戦争。
戦場となったメーダラ領を、ローズヴェルト公国が併合し、終結した。
ローズヴェルト公国はメーダラ領を併合後、『ローズヴェルト王国』を号し、旧フェルマール中央部・北西部に支配権を拡大して行くことになる。
しかし、旧フェルマール王都・フェルマリアの住民に対しては、苛烈な政策を強いて旧主の無念を晴らしたともいう。
なお、その件について王家の生き残りである姉弟妹は、一切コメントをしなかった。
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(2,952文字:2016/03/25初稿 2017/04/01投稿予約 2017/05/17 03:00掲載予定)
・ (第19話後書の続き)『小麦戦争』に於いては、兵糧攻め、通商破壊、流通封鎖(貿易妨害)、敵資産の取り込み、といった「経済戦争」の要素の全てを戦略的に組み立てて実行していました。そういった「経済戦争というデザイン」が、史上初だったのです。
・ 現代日本の農協による「青田買い」の指針としては、青田買い(契約取引)の対象作物は幾つかに限定(有機米とか、産直野菜とか)し、原価計算をしっかり行い、且つ全量取引をしない、契約不履行(未達)時の対応をあらかじめ定める、等(熊本農協資料より)が前提となっているようです。逆に言えば、それが出来なければ業者の良いようにされてしまうから。
・ 「努力をすればより豊かになる」「努力しなくても最低限度の収入が保証される」この二つが両立するとき、後者を選ぶ人が如何に多いことか。
・ 本節『小麦戦争』で【ラザーランド商会】がとった政策。同じようなことが戦後日本でもありました。悪名高き「減反政策」(生産調整政策)。作物を作らなければ補助金を出す、という、国の基を崩す愚策。勿論『小麦戦争』がたった2年で成果を出したのは、流石にファンタジーですが。




