第20話 彼らの旅路
第04節 小麦戦争 Round-1〔2/4〕
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彼らは皆、一様に疲れていた。
ハティスの街を離れた時。彼らは、この旅路が困難なものになることを予想していた。
しかし、現実は想像を遥かに上回っていた。
ハティスを出た時の一団の人数は、8,223名。
この全員が、最後まで共に旅をする予定だった訳ではない。近隣の町村に住む縁者たちを頼るつもりだった人たちもいれば、別の都市に住む知り合いの伝手で移住を目論む職人たちもいた。
けれど他の町村も、結局はハティスと同じであり、一団に合流を希望する人たちの人数は、一団から離れて独自の道を歩む人の数を上回っていた。
一団から、最初に離れたのは、商人ギルドの幹部たちであった。
彼らに言わせれば、一団に同行するより先行して、先々の町の商人ギルドで物資の調達や旅費の工面をした方が良いと考えた訳だが、残された身にとってみれば恰も見捨てられたかのように思えてしまっても仕方がないだろう。
次に離れたのは、神殿(魔術師ギルド)関係者。
奇跡はなく、ただ苦難のみが続くこの旅路。一団の不満は彼らを率いる幹部たちと、何の救いにもならない講釈を垂れながら偉そうに無駄飯を喰らっている神殿関係者に集中したのである。
神殿関係者は、各々尤もらしい言い訳を口にして一団から離れたが、事実は単に逃げただけだということは、誰もが理解していた。
けれど、離れることが出来るのは、身ひとつで暮らしていける職人や技術者だけ。旅に出ることが許されない低ランクの商人や商会の従業員は、一団を離れて単身商いが出来るか、と問われても首を横に振らざるを得ないし、農民たちにしたら尚のこと。狩人だって、獲物を狩ることは出来てもそれを解体する場所も無ければ卸す先も無い。それ以前にその辺りの鳥獣の生態を知らなければ、罠を仕掛けることも出来ないのだ。
どこかに身を落ち着けて、そこで新たな生活を構築する必要がある。だからそれまでは、“寄らば大樹の陰”と、一団と共に旅をすることを選ぶのである。
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彼らはまず、北を目指した。
旧領都ベルナンドを通り過ぎ、王都フェルマリアへ。
勿論、フェルマリアでならハティス(をはじめとする南部諸町村)の難民たちの全員を受け入れてもらえる、と考えていた訳ではない。しかし、王都に着きさえすれば、(おそらく数百人単位のグループに分けられることになるだろうが)他の貴族領の町村に移住の許可が下りる、と考えていた。
場合によっては貴族領内の未開拓地域の開拓任務に就かされるかもしれない。それでも取り敢えず腰を据えることが出来るだけでも、彼らにとっては幸いであろう。
ところが、王都を目前にして彼らの耳に飛び込んできたニュースは、王都での暴動騒ぎと王城の炎上であった。
主人を失い(正しくは彼ら自身の手で排し)、無秩序が支配する王都に9,000人を超えた難民が訪れたら。想像するだけで凄まじい混乱が起こることがわかる。
結論として、彼らは進路を変更した。
彼らが選んだ次の目的地は、ローズヴェルト伯爵領。王国譜代の貴族であり、最も安定した領地を持つと謂われ、また先頃の戦いでも王都侵攻を目論んだカナリア公国軍を撃退したという話も聞こえていた為、もしかしたら、とそう思ったのだ。
実のところ、難民団の財布はもう心許なかった。
ちょっとした都市の人口より多いこの難民団の為に物資を提供する余裕のある領地・町村は少なく、幾許かの援助は得られたものの、旅を続けるには非常に苦しい。
難民たちの個人財産を供出してもらい、難民団を率いる領主夫人の、恩人と呼べる人物の個人の口座からも資金を引き出し、それを使って物資を入手していたくらいであった。
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けれど、ローズヴェルト伯爵も、彼らの受け入れを拒絶した。
受け入れるには数が多すぎ、そのひとり一人の身元の確認が出来る状況でない以上、受け入れる事での不利益の方が大きかったのである。
ローズヴェルト領にも未開拓地はあるものの、そこはリングダッド王国との境界に当たる。開拓せず国境を未画定としていることで、無為な衝突を避けているのだ。難民団を未開拓地に向かわせたら、漸く取り敢えずの落ち着きを見せ始めた国際情勢にまた火が点いてしまう。だからこそ、ローズヴェルト伯は彼らを受け入れることが出来なかったのである。
とはいえ、即日領を退出しろ、とまでは言わなかった。
年が明けるまでの滞留。それを認められたのだ。
一時的とはいえ、身を休める時間が出来たのは、難民たちにとって望外の僥倖であった。
そんな折。彼らにとって希望の萌芽となる二つの吉報が舞い込んできた。
一つは、領主夫人の出産。
こんな旅の空。満足な食事も約束出来ないどころか夜寝るところにも困る日々の中、それでも夫人のお腹の中で逞しく育っていった赤子が、無事生まれることが出来た。それも男の子。「ハティス男爵家は断絶しない」。それは、彼らにとって朗報以外の何物でもなかった。
もう一つは、ある託。
領主夫人の恩人の口座から資金を引き出した時、商人ギルドの職員からそのメッセージを受け取ることが出来た。
『旅の無事を祈る』。短い、ただそれだけの言葉とともに、彼らは孤立している訳ではないという事実を知ったのである。
だから彼らは。
春になり、ローズヴェルト領を出なければならない時期が来た時、迷わず北を目指した。
まずはボルド市へ。次いでビジア領へ。
そこで領主と交渉をして、その北の未開拓地を提供してもらう。
そこに、新たな『ハティスの街』を建設しよう。
そう考えたのだった。
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ローズヴェルト領を出て、隣接するメーダラ伯爵領に入った時。
けど彼らの今までの旅程ではあり得ない厚遇を受けた。
メーダラ伯爵もまた、残念なことに彼らを受け入れる余地はないと明言した。
しかし、領内滞在中とその後、少なくともボルド市までの旅程は、伯爵の名のもとに保証すると約束してくれた。実際、護衛まで出してくれたのである。もう、感謝の言葉しかなかった。
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しかし、と言おうかやはり、と言おうか。
ボルド市も、彼らの受け入れを拒絶した。
ところが。
この直後。ある商会の名義で彼らに対して書状が届けられた。
その内容は、
《 ビジア領主と協議をし、開拓予定地を確保することが出来た。
暫くは生活それ自体が厳しいことになると思うが、短くとも来年の雪が融けるまでの期間、貴方たちの生活は当商会が保証する。
また、ビジア領主夫人とビジア領民が貴方たちの着る物を寄附してくれている。気兼ねなく受け取ってほしい。 》
というモノだった。
その商会は、【セラの孤児院】と称していた。
(2,905文字:2016/03/05初稿 2017/04/01投稿予約 2017/05/01 03:00掲載予定)
・ ハティス難民団は、ローズヴェルト領やメーダラ領では受け入れてもらえませんでしたが、幾許かの資金・物資の援助は受けることが出来ました(他にも越境に必要な手形も)。同時に合計千人近い難民(ハティス難民団とは別口で両領に来た人たち)を押し付けられもしましたが。
 




