第07話 領主と妻、そして商人
第02節 傭兵騎士と賢者姫〔2/8〕
「……知ってた。
っていうか、流石にそろそろウザいよ、アンタの義妹自慢」
「良いだろうが。妹を力いっぱい甘やかすのは、兄の義務だ」
「シスコンキモいタヒね。
ま、一目でわかったしね」
「え?」
「ちょっと待ってね」
サリアはそう言うといきなり立ち上がり、食堂の客たちに向かって問いかけた。
「ねぇ皆さん。この街で、貧民街の真ん中で炊き出しを始める聖女様と言ったら、誰のことを指しますか?」
「賢者姫に決まってる!」
「そうだ、俺たちの誇り、伯爵家の至宝。
この街は裕福じゃないかもしれないけれど、この街の住民はどこの民より豊かな心でいられるのは、伯爵夫人のおかげだ!」
「へへ~ん、俺の服は姫様の意匠だぜ!」
「なっ! お前どこでそれを手に入れた!」
「知り合いの商人を拝み倒して、そこから領主館出入りの仕立屋を紹介してもらって、その仕立屋経由で作ってもらったんだ。高かったんだけどな」
「なんて羨ましい奴。俺にもその仕立屋を紹介しろ!」
「やだね~~~」
傍で聞いているだけで、賢者姫の人気の高さが窺える。
難民の愚痴とどちらが信憑性が高いかなど、最早考えるまでもないだろう。
「で、兄ちゃん、嬢ちゃん。
あんたらは賢者姫にお会いしたのか?」
「俺はまだ。だけどこいつはスラムで会ったそうだ。なあ?」
「ええ。炊き出しをしている人を見つけて手伝いに行ったら、その人が賢者姫だったわ」
「へぇ、手伝いに行ったのか」
「色々勉強になったわ」
その後、俺とサリア(正確には俺はおまけ)は、街の人たちから次々に杯を勧められた。サリアが賢者姫の炊き出しを手伝ったことが、街の人たちから好意的に受け入れられたようだった。
◆◇◆ ◇◆◇
翌朝。
「……今日の予定は、以上です。
それから、ボルドの【ラザーランド商会】の会頭を名乗る人物が面会を求めておりますが」
ビジア領主館。
朝餉の最中、ビジア伯ユーリ・ハーディは、家宰の報告を聞いていた。
「【ラザーランド商会】、か。
ボルドの新興商会主とわざわざ会う理由はないが、興味はあるな。
抑々【ラザーランド商会】とは、どのような商いをしている店なんだ?」
「はい、基本的には特定の契約を結んだ海運商人の荷揚げの仲介ですね。
独特の商品としては、石鹸と、あとは壊血病の予防薬があります。
その他はお抱え鍛冶師の打った刀剣等の小売りです。
お館様が興味を持つような商会とはとても思えませんが」
「石鹸、というのは、わざわざその商会が扱うような品なのか?」
「一つは液体石鹸。これは西大陸では普通に使われているもののようですが、【ラザーランド商会】はそれを他の商会より三割近く廉く卸しております。
もう一つは固体石鹸。彼らは『ソーダ石鹸』と呼んでおりますが、従来の石鹸より臭わず、肌が荒れず、且つよく汚れが落ちると評判であります」
「フム。それから壊血病の予防薬、とは?」
「これに関しては、正体不明です。一説には何らかの魔法が付与されたものだと言われております。
二年ほど前からパスカグーラの船主ギルドを中心に、柑橘系の果物が壊血病の予防に効果があるという話がありました。実際、そのおかげで壊血病発症者が0になったという船主も少なくなかったとか。
しかし、果物の長期保存は難しいです。干物や漬物にして保存するという方法もありますが、それで壊血病予防効果が薄れるのではないか、という話もありまして、打つ手がないというのが海運業者たちの本音だったようです。
ところが、この予防薬というものは、冷暗所に保存しておくことで一年でも二年でも持つと謂われており、その間予防効果が変わらないのだそうです。
一日一粒を目安とされておりますが、一日二日口にしなかったからといって発病するものでもない、と」
「成程。どちらも他では入手出来ない商品ということか」
「御意。ですが同時に、どちらも我が領で必要になるとは思えません」
「その商会主が、わざわざ私に面会を求める。
特定の誰かに会う為の出汁にしている、とも考えられるが――」
「旦那様。
それはおにぃちゃんに対する侮辱ですよ。
おにぃちゃんは、そんな公私混同をする人じゃありません」
「ミリアーヌ。
お前が『おにぃちゃん』と言ってしまったら、仮に『彼』が公私混同しなくても、こちらがそうしていることになるんじゃないか?」
「おにぃちゃんはそんな人じゃないから大丈夫です。
もし私が人前でそんな呼び方をしたら、おにぃちゃんは絶対私を叱ります」
「……やっぱり気に喰わないな。会うのを止めよう」
「あなた!」
「冗談だよ。寧ろちゃんと会ってみたい。
我が領の誇る『賢者姫』の師匠たるに値する人物なのか」
「御存分に検分を。
多分、想像を絶することになると思いますから」
◇◆◇ ◆◇◆
俺たちがビジア領都オークフォレストに到着して二日目。
早朝のうちに領主館には面会の申請をしておいたのだが、当日の午後に時間を割いてもらえるとは思わなかった。これはサリアとミリアのおかげと思った方が良いだろう。
そのまま応接室まで通されると、明らかに領主とわかる30代の男性の傍らに、美しく成長したミリアの姿があった。
「はじめてお目にかかります、ボルド市に籍を置く【ラザーランド商会】の会頭、アドルフと申します」
「私がビジア領主ユーリ・ハーディだ。それで、ボルドの交易商人が北の果てのビジアで何の用か?」
「勿論、商売の話で御座います。
が、同時に私は領主様に幾つか無理難題をお願いしたい立場でありますので、その前に恩の押し売りが出来たらと思っております」
「恩の押し売り? 何を考えているのかは知らないが、自分からそれを言うか? 否それ以前に、我が領は其方の商会と取引をするとは一言も言っていないが?」
常識的に考えて、今日初めて会った商人と領の単位で取引をしようと考える領主は、その時点で失格だろう。初対面で取引をするとなれば、当然誰かの紹介状がある筈だが、誰の紹介だったとしても、自ら検分することなく大口取引をするのは無防備・無思慮と誹られても否定出来ない。
そして俺の場合、事実上領主夫人の紹介で今ここにいる。つまり領主様の言葉は、「ミリアに恥を搔かせるなよ」という意味だ。
「わかっております。取引が成立するか否かを含めた詳細は、
雪融けとともに始まるアプアラ領との戦争が終わった後とすべきでしょうから」
(2,902文字:2016/02/14初稿 2017/03/01投稿予約 2017/04/05 03:00掲載 2017/04/06衍字修正)
【注:『タヒね』というのは「死」を忌み語(というか禁止ワード)としたことから生まれたネットスラングで、正しくは「タヒ」を半角カタカナで表記します。表記言語ですから、実際の会話で使われる(そのように発音される)ことは本来有り得ないでしょう】
・ 商会の名称を聞いただけで「新興」と答える。つまり、既に【ラザーランド商会】の会頭についての調べは付いているということです。その後の問答はあくまでも、領主の知っている情報の再確認。
・ ビタミンCは水溶性なので、ドライフルーツにすると大半のビタミンCは流失してしまうそうです。一方、一時期「ビタミンCは熱に弱い」という説が流布しておりましたが、最近の研究では加熱で破壊されるビタミンCはごく微量でしかなく、結果砂糖で煮詰めた飴にはビタミンCがほぼ全量保存されるようです。もっとも、知識としてそういった事実を知っているのは、この世界にはアディだけですが。
・ 飴には事実上賞味期限はありませんが、溶解と凝固を繰り返す環境(つまり暑い所に放置したことがある場合)では成分が変質する可能性がありますから、食さないことをお勧めします。
・ 全く関係ない裏設定:ビジア領の初代領主は「ティム・ハーディ」と言いますが、「ハーディ」家というのは実は、ハティスの街を拓いた一族で、「ティム」はハティス初代町長の名前でもあります(ちなみにその初代「ティム」さんの奥方の名前が「ハティ」)。つまり、ビジア領初代領主は、正しくは「ティム・ハーディII世」。ハティスの最後の町長であった「ケイン・エルルーサ=ハティス男爵」の「エルルーサ」家はハーディ家の分家(ハティスのハーディ本家は既に断絶している)。そういう縁で、ミリアはビジア領に奉公に出ることになったのです。




