第05話 綿雪とウグイス
第01節 雪解けを待ちながら〔5/5〕
「何か騒がしいわね」
翌朝。食堂で軽く食事をしていると、外でひっきりなしに行き来している官憲が目に入った。
「そうだな。何かあったのかな」
「おやお客さん、知らないのかい? 領主館に泥棒が入ったんだってさ?」
「へえ。そうなのですか。シラナカッタナ~」
「(……アディ、あんた――)」
「それで、女将さん。その泥棒は何を盗んでいったのですか?」
「その辺りはよくわからないけど、軍関係者も殺気立っているから、かなり貴重なものを根こそぎ、って感じじゃないのかい?」
「そうですか。俺はてっきり領主の若いお嬢さんの心でも盗んで行ったのかとも思ったんですがね」
「何を莫迦なことを言ってるんだい。領主館に若い姫様はいないよ。
それよりも、あんたたちは今日ウーラを出るんだろう?」
「その予定です」
「多分、出国審査はかなり厳しくなると思うから、気を付けて行くんだよ?」
「有り難うございます」
◇◆◇ ◆◇◆
「ねぇ、アディ。」
「何を聞きたいのかはわかるけど、せめて領境を抜けるまでは言わないで」
「……」
◇◆◇ ◆◇◆
そして領境。執拗なまでの所持品検査。俺の場合は「〔亜空間収納〕を持っていない」(嘘じゃない)で切り抜け、何とかアプアラ領を出ることが出来た。
とはいえ領主館と兵舎から盗み出された量を考えれば、個人が携行出来る量ではないとすぐにわかる。寧ろ商隊や、または正規の街道を使わずに山の中を行くような相手に対してこそ警戒し、空荷の商人などは不審者扱いされるのが関の山、という訳である。
「で、アディ。」
「何かな?」
「キリキリ白状しなさい。アンタが盗ったのね?」
「ミランダ警告はないの?」
「ない。アンタには弁護士を呼ぶ権利も黙秘する権利もありません。」
「そ、そんな!」
「で? とっとと吐きなさい。何を盗んだの?」
「取り敢えず糧秣と武具と軍馬、あとは書庫の蔵書かな?」
「書庫の蔵書……。確か、シャーウッドの図書館の蔵書も盗んでいなかった?」
「本は知識の宝箱。ある意味何より貴重な財宝ですから」
「全く。それはそうと、糧秣と武具と軍馬? それって……」
「少なくとも今すぐビジアに対して戦争を起こすことは、これで出来なくなった」
「え? じゃぁまた武器なんかを揃えて戦争する、ってこと?」
「あぁ。今回俺がやったことは、開戦を遅らせることは出来ても開戦を阻止することには繋がらないよ」
「意味がなかった、ってこと?」
「少なくとも時間が稼げる。今のビジアにとっては一秒が金貨一枚程度の価値があるからね」
◆◇◆ ◇◆◇
ビジアの領都、オークフォレスト。
その名の通り楢林の一角に、その街はあった。
歴史ある大領の領都のイメージとは似ても似つかぬ、田舎町の風景だが、それでも区画は綺麗に整理され、合理的な街作りであることがわかる。
領都入りした直後、アディとサリアは別行動をとることになった。
アディは商人ギルドで商人たちの動向を確認する。その一方で、サリアは冒険者ギルドでDE級依頼の内容を確認するようにとの指示を受けた。
DE級クエストは市民の為に発注される。その為その依頼数と依頼内容を見れば、大凡の市民の経済環境とその現況がわかるとアディは言っていたのだ。
DE級クエストで市民の様子がわかる、なんて考えたこともなかったな。
サリアは心の中で、独りごちる。
依頼数が多ければそれだけ街は活気があり、その内容が喫緊の課題でないものが多ければ、それだけ街は豊かであるということなのだ。
言われてみて依頼板を見直すと、成程ここは街の縮図だった。
たとえばいなくなったペットの捜索。困窮しているのであれば、依頼せずに自分で探すか諦めるだろう。
写本の依頼。これが図書館だの豪商だのの依頼ならわかるが、一般市民がこの依頼をするということは、それだけ市民の識字率が高く児童教育に対する意識も高いということ。
厠の掃除もそうだ。定期的に行うことで公衆衛生に高い意識を向け、それを冒険者に依頼することで事実上の雇用を創出している。
この小さな都市は、もしかしたら小さいからこそ今まで見たどの街よりも、全体的な文化レベルは高いのかもしれない。
そして、そうなると。
今サリアたちがオークフォレストに来ることになったきっかけ。難民が訴えた、生活が圧迫されているという現状。
それは明らかに、このクエスト・ボードから読み取れる市民の経済状態とは矛盾する。それは、それだけ貧富の差があるということだろうか?
気になって、ギルドを出て街並みを見てみることにした。
◆◇◆ ◇◆◇
どんな大きな街でも、或いはどれだけ開発が進んだ都市でも、貧民街を根絶することは出来ないのだろうか?
その一角は見るからに薄汚く、修繕などいつ行われたかわからないといった風情の街並みであった。
人々の眼差しに希望の光はなく、ただ今日を生きていることだけに汲々としていることが見て取れる。
けれど、不思議なことに、彼らの着る服はそれなりにキチンとしていた。顔を洗って髪を整えれば、すぐにでも街で働けるのではないか、という程度には。
サリア自身、スラムにはあまり縁がない。前世で「ガード下の段ボールハウスの住人」を見た程度だ。今生では幼少時代は普通の村娘だったし、少女時代は豪商の庇護のもと都市で暮らしていた。それから学院の寮に入り、アディと出会った。
だからスラムの住人というのは話でしか聞かない。けど、「身形のキチンとしたスラムの住民」というのは、かなり矛盾した存在なのではないだろうか?
そして、女一人でスラムに足を踏み入れるのに、止めに入った市民はいなかったし、今でさえ女一人の自分に襲い掛かろうとするスラムの住人はいない。仮に襲い掛かってきても身を守る程度のことは出来るけど。こんなことってあるのだろうか?
更に歩を進めると。
◆◇◆ ◇◆◇
唄が聞こえた。
このスラムのイメージからは想像もつかない、鶯のような綺麗な歌声が。
サリアが歌声に惹かれて進み行くと、そこには簡素な(けれど上質の生地で作られた)服を着た、サリアと同年代の女性が、侍女らしき女性たちとともに炊き出しを行っていた。
◇◆◇ ◆◇◆
「降ってきたな……」
天からは綿雪が降り、白い街並みを更に白く染めている。
春の二の月。太陽暦に照らせば(先日春分を迎えたので)3月の下旬、ということになる。
だけど雪解けは遠く、しかし雪が融けたら戦が始まる。
この街を散策する俺の耳にはまだ、春告鳥の鳴き声は聞こえない。
(2,882文字:2016/02/11初稿 2017/03/01投稿予約 2017/04/01 03:00掲載 2018/05/11誤字修正)
【注:「領主の若いお嬢さんの心でも盗んで行ったのかとも思ったんですがね」という台詞は、〔モンキー・パンチ原作(宮崎駿監督)アニメ映画『ルパン三世 カリオストロの城』〕のラストシーンで銭形警部がクラリス姫に言った台詞、「奴はとんでもないモノを盗んでいきました。貴女の心です」のオマージュです。
「ミランダ警告」とは、アメリカ合衆国憲法修正第5条に基づいて行われるもので、1966年連邦最高裁判決に於いて定義され、同事件の被告人の名を採ってそう呼ばれています。なお日本では逮捕時に弁護士を呼ぶ権利がある旨等の告知を、取り調べ時に黙秘権がある旨等の告知を行うことが、刑事訴訟法(昭和二十三年七月十日法律第百三十一号)の第203条第1項と第198条第2項にそれぞれ定められています(平成28年2月11日現在)。
綿雪は冬の、ウグイスは春の季語です】
・ 宿のおばちゃん曰く、「領主館に若い姫様はいないよ」。実は、若くない出戻り姫はいたりして。




