第03話 視察行
第01節 雪解けを待ちながら〔3/5〕
「という訳で、ビジア領に視察に行くことにした。」
その日の夕餉の時間。俺は皆を前にそう宣言した。
「……って、いきなりね。『という訳』ってどういう訳よ?」
「スノーも聞いていると思うけど、今ビジア領からの難民の流入が多い。
救護院の手伝いをしているサリアからの話だと、税率を上げたり色々やっているようだ」
サリアがうんうんと頷く。
「で、今日ボルドの評議長とも話したんだけど、結論として、それは戦争準備としか思えない」
「え? どういうこと?」
「言葉通りだよ、サリア。
重税を課すのは兵糧と軍資金の確保。おまけに戦争が始まったら物資の流通が止まるからね、それの事前準備の側面もあるだろう」
「それってつまり、領民の為?」
「そうとも言える」
「じゃぁ何故領主たちはそれを言わないの? 言えば難民たちに誤解されることもなかったのに」
「その代わり、言えばアプアラ領――おそらくビジア領が仮想敵と目している相手だ――にも伝わる。それが開戦のきっかけになってしまうかもしれない」
「あ……」
「民の為を思っているから、民に告げることが出来ない。統治者の立場ではそんなこと幾らでもあるんだよ」
「だが、逆の可能性もある訳だな」
「その通りだ、ルビー。
領主の享楽の為に税を重くしている可能性もあるし、戦争準備だったとしても逆にビジアの方から侵略するつもりなのかもしれない。全部机上の推論だ。
だからこそ、現地に視察に行く必要がある」
「いやちょっと待て、そこでどうしてお前が視察をする必要がある? そんなことは行政官僚の仕事だろう?」
「【ラザーランド商会】としては、戦場は稼ぎ場だ。
それ以前に、シンディやアナたちといった非戦闘員の安全の確保の為には、戦争を避けられるのならそうすべきだし、それが出来ないのならなるべく遠くで終わらせるように手を打つべきだ。
どちらも出来ないのなら、邸館を引き払って逃げる支度をする必要もあるしね。
だからこそ情報が必要なんだ」
「そういうことか、納得した。
では準備をした方が良いのかな?」
「否、今回は速度優先で行ってくるから、俺と、そうだな、サリア。二人で行く」
「え? あたし?」
「そ。抑々のきっかけはサリアの聞いた噂話だしね。それに賢者姫と呼び名も高い伯爵夫人の正体も気になる。
スピード優先となるとシェイラが最速だし、騎馬術でならルビーが一番だけど、色々な因縁を考えるとサリアしかいないんだ。
嫌か?」
「……嫌、じゃない。わかった、ちゃんと見てくる」
「ねぇ、アディ。賢者姫って……」
「俺の想像に間違いがなければ、俺の自慢の天才少女だと思うよ」
シンディの予想を、笑って肯定して見せた。
「だからシンディ。今のうちから用意してほしいものがある」
そう言って、一枚の資料を渡した。
「これって!」
「憶えてる?」
「忘れられる訳ないじゃない。でも……」
「防衛戦には有効だ。逆に侵攻戦には不向き。だから、もし俺たちの想像が間違っているのなら、無用の長物になるだろうな」
「けど正しければすぐにでも必要になる、か。わかった。数は?」
「取り敢えず本体の部品は二万セット欲しい。矢弾は十万本」
「桁が違うわね。でも……」
「最終組み立ては向こうでやる。だから金属部分だけで良い」
「それなら、何とか。
他の作業を中断してでも仕上げるわ」
「……何を作るの?」
「弩だよ。
接舷移乗戦で使う為には相応に習熟する必要があるけど、拠点防衛戦でなら細かい射撃技術は求められない。それこそ女子供でも扱える」
「でも、それって……」
「そ。女子供にも『敵を殺せ』って言うってこと。自分と家族と故郷の為に、ね」
「……厳しいね」
「でも、巡り廻って自分の為だ。その辺りは覚悟を決めてもらうさ」
「覚悟、か」
サリアがこの世界で生きるにあたって見据えるべきキーワード。
だけど、命がかかった場面で覚悟を決めるのは、誰でも出来る。出来なきゃ死ぬだけだし。
◇◆◇ ◆◇◆
準備そのものに、大して時間を要しない。旅に必要なものは〔無限収納〕に入っている。
商人ギルドで、サリア用の【ラザーランド商会】の従業員としての旅券の手配をすることも難しいことじゃない。
一日で必要な準備を終え、話が出た翌々日には俺たちは馬上の人となった。
◇◆◇ ◆◇◆
「ねぇアディ。アディは賢者姫の正体に予想がついているって話だけど……」
「以前話したことがあったろ? 俺と同じ〔無限収納〕を持つに至った針子の少女。
それが多分、賢者姫だ」
「どうしてそう言えるの?」
「彼女にメートル法を教えたのは俺だし。多視点的なものの見方を教えたのも俺だ。そして問題を独自に発見する能力もある。
教育の価値を過小評価しているこの世界に有って、彼女の持つ知識と思考法はそこらの貴族の追従を許す程度じゃない。
彼女は、本物の天才だよ。
俺達みたいなズルじゃない。
無から有を生み出す智慧を持っている」
「手放しね。ちょっと妬けるかも」
「知識を活かせるのも、一つの才能だよ。
言ったろ? 『記録し、比較し、分析し、検証する。そういう数学的知識が農民たちになかったから、四圃式農法は失敗した』って。
つまり、賢者姫のおかげでビジア領に四圃式農法を受け入れる土壌が出来つつあるってことだ。
ならサリアの知識を活かせる場所、とも言えるよ?」
「それも、考えているって訳?」
「クローバーはもともと寒冷地の植物だしね。難しく考えなくても自生しているだろう。
後は大豆もあるかもしれない。
つまり――」
「味噌と醤油!」
「良く出来ました。灌漑技術が未熟だと、稲作はちょっと難しいかもしれないし、抑々種籾が手に入らないだろうけどね」
「それでも和食の可能性が……」
「そういう訳で、まずビジア領主の信頼を勝ち取る。次いで領の脅威を払拭する。そして農地指導の口実で四圃式農法を導入し、大豆の栽培を始める」
「何か、一方的に自分の為だね」
「それこそ、『為さぬ善より為す偽善』だろ? 自分の為にやっていることでも、結局は相手の為になるのなら、積極的に為すべきじゃないか?」
「確かにね。食料自給率が上がって喜ぶのは、寧ろ地元の人たちだし」
「そ。重税が苦しいのは、生きていくのが辛くなるから。
その税率でも充分生きていけるのなら、それはそれで普通のことだ。
そして減税しても以前より税収が増えるのなら、領主側も減税を考える。
結果余剰作物が増えれば、それを輸出に回して現金収入になる。
農地改革が上手くいけば、誰もが益することになるんだ」
ビジア領での俺たちの行動計画を練りながら馬を走らせるのであった。
(2,932文字:2016/02/08初稿 2017/01/31投稿予約 2017/03/28 03:00掲載予定)
・ ノーフォーク農法で使われるのは、大麦と小麦と根菜とクローバー、と言われていますが、必要なのは「クローバー」に限定されていません。正しくは「マメ科の植物」。つまり、大豆で代用出来ます。
・ ここで、「大豆があれば味噌と醤油を作れる」と二人は考えていますが、種麹が手に入りませんから、不可能だということを失念してます。




