第01話 噂話
第01節 雪解けを待ちながら〔1/5〕
カナン暦704年の新春早朝。
俺は樵となって無心に樹と格闘していた。
前世で間伐は冬季の仕事と聞いていた。しかし林道の整備もされていないこの世界、冬場の樵仕事は想像を絶する。山林は雪で埋まり、現場に辿り着くことさえ難しく、辿り着いても足場は雪と泥でぐずぐずになっている。また樹皮の表面に氷が貼り付き常時より樹が伐り難くなっている上に、樹上からの落雪と(場合によっては)斜面の下方への雪崩の誘発の危険がある、たとえ伐採出来てもそれを運べないなど、伐採に不向きな条件は幾らでもあるからである。
しかし俺の場合はその辺りは何とでもなった。
まず、眼前の雪を無属性魔法Lv.5【分子操作】派生02a.〔加熱〕で融かして道を作り、ついでにその気化冷却で道脇の雪を凍らせて雪崩などが起きないように補強する。そして露出した土(泥)は同派生03.〔石化〕で焼いて固める。
伐採予定の樹の下に着いたら、Lv.4【気流操作】派生03.〔気弾〕で樹上の雪を粗方吹き飛ばした後、と同派生05.〔乾燥〕で樹を乾燥させるついでに雪も融かす。
〔乾燥〕は〔加熱〕と気圧操作(減圧)を併用する魔法である。これにより気温を下げることなく(状況によっては上げることもある)気圧だけを下げると、100度Cに達しなくても水は沸騰し蒸発する。これで雪と樹皮に貼り付いた氷を融かし、また樹の一部を乾燥させてから神聖鉄製の鉞を入れると、面白いように樹が伐れる。
そして伐り倒した樹はすぐに〔無限収納〕に入れて持ち帰る。
邸館に戻ったら樹を取り出し、改めて〔乾燥〕で予備乾燥させる。本当は時間をかけて乾燥させた方が良質の薪になるのだが、その為には2年以上の時間がかかる。だから魔法で予備乾燥させたうえで改めて割り(樹皮に包まれたままだと乾燥し難い)、仕上げを自然乾燥に任せれば、凡そ3ヶ月程度で理想的な薪が出来上がるのだ。
とはいえ高炉が稼働した現在、俺が伐採し窯で焼く炭など正直焼け石に水。これまで貯めていた炭は、実に10日足らずで使い果たした(当初、半月くらいは持つと思っていたのだが)。勿論それを対価として地方の街の年間需要相当の量を製鉄することが出来たが。
ボルド市に提供した炭焼き窯の設計図に基づいて作られた窯が稼働するまでまだ暫くはかかる。それまで、高炉で製鉄した鉄は出し惜しみすることになった。
◇◆◇ ◆◇◆
春の二の月。
俺とルビーは銅札の冒険者へと昇格した。
一方サリアとスノーは昇格試験の受験を拒否し、鉄札に留まった。
殺人が出来るのが立派な人間の証明、の筈がない。放浪民でも難民でもなく他の町や領に移動する許可を得る最も簡単な方法は、銅札冒険者になることなのは確かだが、商人ランクB以上の隊商の従業員であれば、市民権を確保したうえで旅券を入手することが出来る。ならわざわざ冒険者として銅札を求めなくても、二人を【ラザーランド商会】の従業員として登録すれば、いつでも他の町に行けるということだ。
サリアはあれから、冒険者としての依頼としてではなく、寧ろクエストの無い日無い時間帯はいつも救護院の手伝いをするようになった。
聞いてみたところ、「しない善よりする偽善」、とどこかで聞いた台詞を返してきた。真実相手の為を思うのなら、相手の自立を促す行為こそが求められるのかもしれないが、自分自身の行為だけを論じた時、文字通り偽善を貫くのもまた立派な生き方だろうと思う。
そんなある日。サリアは救護院の難民たちの噂話を雑談として披露した。
「最近、ビジア領の賢者姫の評判が悪いみたいよ」
「難民政策もそうだけど、領民の生活がどんどん圧迫されて、領に住むより他領に移住した方が良いっていう人が増えているんだって」
「役人の横暴が目立って、それも賢者姫の政策だっていう話だから、これまでの人気取り政策が終わったんじゃないか、って皆話してる」
「そもそも『賢者姫』って謂われているけど、出身は貧民街だから、これまでのは結局のところ世間知らずの浅知恵が偶然良い方向に作用していただけだったんだろう、って」
「所詮スラム出身の小娘が領地経営に口出すこと自体が間違っていたんだろうっていうのが大方の意見らしいわ」
「サリア。『知り合いの知り合いが言ったこと』とか、『皆そう言っている』とか、その言葉の信憑性って考えたことはあるか?」
「言いたいことはわかるけど。それでも大多数の人がそう言っているのなら、それは一つの真実じゃない?」
「日本の『今昔物語』に、『九百九拾九匹の鼻欠猿』という話がある。
そこにいる1,000匹の猿のうち999匹は鼻が無かったんだけど、その999匹は、鼻がある1匹を異形だと言って嘲笑った、っていう話なんだ。
『皆』っていうのがその場にいる人たちっていう意味なら、その人たちが自分たちの現状を正当化する為に『賢者姫』を悪罵しているっていう可能性もあるよ。
彼らは難民だろう? つまり生まれ故郷を捨てて逃げて来たんだ。
生まれ故郷が戦禍で燃え尽きたというのなら同情の余地があるけど、ビジア領は上手く戦禍を避けられた。
にもかかわらずビジア領出身の難民がいるってことは、どういうことか? って考える必要があるんだ」
「確かにそうかもしれないけれど、だからといってそれが嘘だとも思えないわ」
「そういう時は、まず話の内容の事実だけを切り取ってみるんだ。
その話で客観的な事実って言えるのは、『領民の生活が圧迫されている』っていうことだけだ。
だとしたら、何故そうなのか? と考える必要がある」
「賢者姫の所為じゃなく、っていう意味?」
「それも可能性の一つ。でも他の理由の可能性もある。
たとえば、領主が遠からず戦争が起きることを覚悟していて、その為に強硬手段を使ってでも領民を守る為の施策を採っているとかね」
『誠意を以て疑う』を座右の銘としている俺にとっては好意的過ぎる仮説かも知れない。けれど、負の仮説を難民経由でサリアが言ってくれているのなら、正の仮説を俺が口にするのは間違いではないだろう。
どちらにしても、ビジア領の現状に関して情報を集めなければいけないのは、おそらく間違いないだろうが。
(2,870文字:2016/02/06初稿 2017/01/31投稿予約 2017/03/24 03:00掲載予定)
【注:水の融点・沸点に関しては、Wikipedia「Phase diagram of water」(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/08/Phase_diagram_of_water.svg)を参照しております。
「しない善よりする偽善」というのは、ネット発のボランティア活動等に対する姿勢を表す言葉です。言葉が独り歩きして最早当初の意味が曖昧になっているというのもありますが、ここでは「自己満足の行為(偽善)でも、結果相手の助けになるのなら、自己満足を偽善と断じて行わない(しない善)より遥かにマシ」という意味で使っております。
『九百九拾九匹の鼻欠猿』は、『今昔物語 巻の五 第二十三話』からの引用です。なお、2016年01月09日の活動報告でもその話題に触れていますのでご一読願います。「欠」の字はこの字を代用していますが、正しくは「垂夬」を一字にしたもので「かけ」と読みます】




