番外篇4 ハティスの戦い その3 ハティス市開門交渉
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カラン村で思わぬ足止めを喰らい、スイザリア軍北部方面隊司令部の面々は、苛立ちを隠せないでいた。
当たり前のことだが、長期戦になればその分兵糧をはじめとする物資を大量に必要とし、その為に長大な輸送列を作らざるを得なくなる。が、完全支配地ならともかく、昨日今日征服したばかりの土地で長大な輸送隊が行き来するようなことになれば、ゲリラ化した敵兵に襲撃してくださいと言っているようなものだ。
だからこその、短期決戦。
道中の町村を無視し、占領だの支配だのを後回しにして進軍を優先させる。
後方に憂いを残すことになるが、しかし小規模部隊ならその場凌ぎの対応で充分。本隊は進軍を優先し、第一攻略目標であるベルナンド市を陥落し、そこを橋頭堡としてフェルマール王都フェルマリアを臨む。
それが、今回の戦略の基本方針だったのである。
ところが、通過するだけの予定だったカラン村で、それも相手にすることを考えもしなかった小鬼相手に3日も浪費させられた。これを屈辱と言わずして何という?
そして、そんな事情なだけに、ハティス市の通過は神速なるを要求することとなる。
が。
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「……なんだ、あれは?」
ハティス市。
その市門は鎖され、市壁の上にはフェルマール国旗、ハティス市旗、領主旗、そして見覚えのない貴族の家紋が彩られた旗幟(後に、「セレストグロウン騎士爵」の旗幟であることが判明した)などが翻っていた。
「ラーディン、否、ホルブ参謀。ハティス市は空城なのではなかったのか?」
「読み違ったようです。これは、どう見ても臨戦態勢ですね。
しかし、戦って勝てると思っているのでしょうか?」
「さて、どうかな。ただ自暴自棄になっているだけなのかもしれない。
ではホルブ参謀。どうすべきだと思う?」
「戦って勝つことは、難しくないと思います。
市壁で囲われているといっても、本格的な攻城戦に耐える構造であるようにも見えませんし。
が、向こうが勝てないことを見越して死兵にでもなられると、少々厄介です。
どうでしょう、戦後のハティスの自治権の保証などを条件に、開門を迫るのは?」
「やはりそれが一番のようだな。
よかろう、ホルブ参謀。
交渉は任せる」
「畏まりました」
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ラーディン・ホルブ参謀は、護衛の騎士を二人連れてハティス市門まで馬を進めた。
「我々はスイザリア軍北部方面隊だ。
我が軍の通過と補給に関し、貴市と交渉を求める!」
ホルブ参謀が門下で声を上げると、門の上から声が降ってきた。
「市長は交渉を受ける準備がある。
武装したままで構わないが、お三方のみ市中に入って欲しい」
門が僅かに開かれ、ホルブ参謀と騎士たちがハティス市に入市した。
市内は、戦の気配を感じているのか、静まり返っている。だからこそ、不気味だった。まるで、不死魔物が棲み付いた廃都カナンも斯くや、という、恰も無人の廃墟のような、しかし昨日までは確かに賑わっていたという生活臭も感じられる、不気味な静寂に包まれていたのである。
市門に程近い、おそらくは商人ギルドの建物と思われる場所に案内された。
「それで、スイザリアのかた。通過と補給をご所望とのことだが」
最初に声を発したのは、市長「ケイン・エルルーサ=ハティス男爵」だった。
「えぇ。ハティス市が単独で我が軍と戦闘をしても、勝てないことくらい自明の理と思われます。でしたら無駄に血を流す必要はないのでは?」
「確かに、無駄な血を流す必要はないだろうな。」
「でしたら、――」
「――だが、流れる血が必ずしも無駄になる、とは限るまい」
「……それは、どういう意味で?」
「人は何の為に生き、何の為に死ぬか、ということだ。
遠い国の言葉に、『虎は死して皮を残し、人は死して名を遺す』というのがあると聞く。我々の死が、我々の名を伝える人たちを生かすことに繋がるのなら、それは決して無駄とは言えまい」
「では、戦う、と?」
「言ったであろう、『我々の名を伝える人たちを生かすことに繋がるのなら』、と。
正直な話、今のフェルマール王家に多くの期待はしておらん。
なら、遺る人たちの為にどうすべきか。それは即答出来んよ。
そこで、だ。取り敢えず明日の朝まで、時間をくれぬだろうか?
使者殿には、我が街の精一杯の振る舞いを供したいと思う。
もし通過を認めることになるのなら、未来の友好の為に。
説得の甲斐なく矛を交えることになるのなら、最後の晩餐を共にするのも一興かと」
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ホルブ参謀は、この申し出を受けた。
市外の陣屋に交渉の顛末を話し、一日の猶予を取り付けた。
そして、その晩供された料理は、戦を目前とした地方都市のそれとしては有り得ないほど豪勢なものだった。この料理を見るだけでも、ハティス市がどれほど豊かなのかわかろうというものだ。
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ホルブ参謀は気付いていなかった。
市内に人の気配がしなかった理由を。
市門にセレストグロウン騎士爵の旗幟が翻っていた理由を。
それが騎士爵を頼り民を避難させた後、という意味だということを。
市長の言葉は自らの死に様を語っており、事実上の遺言であったことを。
その豪勢な晩餐は、文字通り「最後の晩餐」と看做し、市内の食料の多くを消費していたことを。
市内に残った市民は、生き残ることを考えていなかった為、晩餐に供した食料を除くと、既に約千人の残留市民の20日分に相当する食糧しか残されていなかったということを。
フライシャー将軍に、ハティス軍が死兵となる危険を語っていたにもかかわらず、彼らは既にその覚悟を決めていた、ということを。
後に、ホルブ参謀は語る。
この時、彼らの覚悟に気付いていれば、ハティス市との間で無為な戦闘を決断することなく、迂回して前進することを選んでいたのに、と。
そして、そのことこそがホルブ参謀の軍歴上、最大の失敗だったと記録されることになる。
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翌朝。
ホルブ参謀らは帰還しなかった。
市内に使者を送ったところ、「どうやら使者殿は酒に酔われたようで」とぬけぬけと言い放たれた。食事に薬を混ぜたであろうことは、まず間違いないことなのに。
昼前、まだ酩酊状態にあるラーディンたちを連れ戻し、全軍を戦闘展開させた。
この脆弱な都市は、我々との正面戦闘を望んでいると断じざるを得ないのだから。
そして太陽が天頂を通り過ぎ、傾き始めた頃。
騎士団に最初の突撃を命じ、騎士たちは黒ずんだ土の上をハティス市に向けて駆けるのであった。
(2,819文字:2017/01/02初稿 2017/01/31投稿予約 2017/03/14 03:00掲載予定)
【注:「虎は死して皮を残し、人は死して名を遺す」は、中国後梁時代の武将王彦章の言葉に由来します。原典では「豹は死して皮を留め、人は死して名を残す」だそうです】
・ 「約千人の残留市民の20日分に相当する食糧」。ハティスにとってこれは、30日分と想定しています。「どうせ日を追うごとに食事をする人数なんて減っていくんだから」とは、物資調達を担当した男の放言。




