番外篇4 ハティスの戦い その1 リュースデイル国境侵犯
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《 注:「番外篇3 町の食堂再建計画?(後篇)」は、2017年03月22日03時掲載予定です。 》
◇◆◇ ◇◆◇
カナン暦702年冬の二の月、某日。
私、テオドール・フライシャー将軍率いるスイザリア軍北部方面隊は、フェルマール王国との国境に当たる、リュースデイルの関を突破した。
「何とも、あっけないものですね。これが三百年の長きに亘って我が軍の侵攻を阻んできた関門かと思うと、悲しくなってきます」
側近のラーディン・ホルブ参謀が感慨に耽るのもわからなくもない。無抵抗で関を開けるような連中を脅威に思っていたと歴代の将軍たちが知ったら、寧ろ彼らは失望のあまり不死魔物になって甦ってくるかもしれない。
「だが、油断はするな。
関門の守備兵の長と国境の町の町長とは話が付いているが、領兵全員を懐柔している訳ではない。いつどこから矢が飛んでくるかわからないぞ」
「かしこまりました、フライシャー将軍」
けれど、それもまた杞憂だった。
リュースデイルの町では、町民たちが不安げな顔をして我が軍を見つめているものの、積極的に剣を抜こうとする者は一人としていない。
これが我が国だったら、どうだったろうか。
全ての民が侵略者を無為に受け入れるとは、どうしても考えられない。自分の家族を、故郷を守る為に剣を取りだす者は、少なからずいるだろう。
愛国心、というのとは違うかもしれない。
郷土愛、というのがおそらく近いに違いない。
自分たちの町を、戦場にしたくない。
自分たちの町を、我が物顔で跋扈する侵略者を認めない。
自分たちの町に、圧政者を受け入れたくない。
それが自然な想いの筈だ。
しかし、リュースデイルの民は自分たちから行動しようとはしない。
誰かが何とかしてくれる、と思っているのか。
二年前、我が国の副都モビレアに星が落ちた日のように。
汚職と悪徳で私腹を肥やす貴族たちの上に星が落ちて、モビレアの民が救われたように。リュースデイルの民は、侵略者の頭上に星が落ちて、自分たちを救い出してくれるとでも思っているのか。
しかし、モビレアでは冒険者ギルドに属する冒険者たちをはじめとして、多くの者が悪為す貴族たちと戦っていた。だからこそ善神は彼らに手を貸し、星を落として悪神の申し子たる貴族たちを粛清したのだ。
指を咥えて見ているだけの、リュースデイルの民とは違う。
自ら動こうとしない者たちに対し、善神は決して手を差し伸べることは無いのだから。
◇◆◇ ◇◆◇
リュースデイルの町で部隊を再編し、後続部隊の到着を待って進軍を再開した。
しかし道中の町村では、住民たちは既に疎開済みであり、軍が徴発するつもりだった食糧なども、全て持ち去られるか焼却されていた。
「南ベルナンド地方の領主は、去年の『毒戦争』の功績で就任したハティスの街の町長だそうだが、随分思い切ったことをするのだな」
「はい。古代カナン帝国時代の、シロー・ウィルマー卿の遺した資料の中にこのような戦略があった筈です。確か、『焦土作戦』と」
「成程、進軍経路一帯が焦土となっていたら、現地での徴発は出来ない。兵站は本国からの輸送に頼らざるを得ないから、莫大なコストと時間が掛かる、か」
ハティスの町長は、累代の官僚の家系であり、用兵には疎いと聞いていたが、なかなかどうして優秀な戦略家のようだ。
「では、ハティス卿はどのような戦略で我が軍に対すると思うか?」
しかし、我が側近たるホルブ参謀も負けてはいない。一軍の副官にしておくには惜しい知略の持ち主だ。
「おそらくは南ベルナンド地方全域を放棄して、ベルナンド市まで撤退しているものと思われます」
「何故?」
「南ベルナンドで防衛戦に使える要害は、リュースデイルのみであり、リュースデイルの関が陥ちた時を想定した二次防衛線を構築出来る地点が存在しません。
ハティスは交通の要衝ではありますが、防衛戦には向きませんからね。
それゆえ、ハティスを空城とし、無血による占領を許し、更に先鋒部隊がベルナンド市に到着した頃合いを見計らい、反撃に出るものと予想されます」
「成程。ではそれに対して、我が軍が採るべき戦略と戦術は?」
「大軍に区々たる用兵など必要ありません。ハティスを占領し、そのままベルナンド市に攻め上れば良いのです。
ベルナンド市に詰める領軍は、公称一万。そしてハティスの軍は民兵まで緊急徴募しても二千に届かないでしょう。
つまり、連中が別動隊を組織するのであれば、それだけベルナンド市の守りが薄くなるということです。そうならないように別動隊の数や質を調整するのであれば、我が軍はそんな別動隊如きに気を配る必要は無くなるでしょう」
「つまり、小手先の戦術に惑わされて軍を割ることの弊害の方が大きい、ということだな」
「仰る通りです。単純に数だけを見れば、ベルナンド市の防衛戦力は我が軍の二分の一しかありませんが、攻者三倍の法則に照らせば、フェルマール軍の方が有利なのです。
なら、実質少数の我が軍が更に軍を割って少数の別動隊に当たるのは愚の骨頂。少数の別動隊の動きなど、周辺を哨戒する斥候どもに任せておけば良いのです。脅威になる規模で我が軍の側面或いは後背を攻めるというのなら、それを捉えて布陣を組み直せば良いのですから」
「だが、斥候どもが捉え損ねたら? ここは連中の庭だ。どこから湧いて出るかもわからないぞ」
「敵別動隊の初撃を受け止めるのは、その位置にいる隊に任せれば良いでしょう。
連中の狙いは将軍、貴方の首級か、或いは兵糧。それ以外にはないのです。なら本陣と輸送隊の警備を厚くしておけば、それで事足ります。あとは実際に襲撃があってから迎撃隊を派遣しても、充分間に合うでしょう」
ハティスの戦力では、我が軍を撃滅するには足りない。なら連中に出来ることは、我が軍に嫌がらせをし、動揺を誘うことだろう。そうすれば連中が付け入る隙が生まれるかもしれないのだから。
「よくわかった。では動じることなく威風堂々と軍を進め、ハティスを越えてベルナンドを目指そう。それこそが敵軍にとっても脅威となる、ということだな?」
「然り」
なれば、することは一つ。
隊列を整え、恰も陛下の御前での式典行進の如く粛々と軍を前に進めれば良い。そうすれば、少数の抵抗勢力など、戦うまでもなく崩壊するだろう。
◆◇◆ ◇◆◇
そうしてスイザリア軍は、ハティスまで指呼の距離にある、カラン村近くまで軍を進めたのである。
(2,889文字:2016/12/27初稿 2017/01/31投稿予約 2017/03/10 03:00掲載予定)
【注:「大軍に区々たる用兵など必要(ない)」は〔田中芳樹著『銀河英雄伝説 8 乱離篇』TOKUMA NOVELS〕を原典としています。
「攻者三倍の法則」(「攻撃三倍の法則」「三対一の法則」ともいう)とは、攻撃側に比して防衛側の方が有利なのだから、攻撃側は防衛側の三倍の兵力を持ってようやく互角と考える、経験則から出た軍事理論です。が、当然ながら理屈通りに展開した戦闘は有史以来殆どありません】
・ モビレア市に星が落ちた事件は、世間一般には原因不明です。その為、立場によって好き勝手な解釈をされています。当然ながら、『毒戦争』と絡めて「余所の戦争に嘴を突っ込んだことに由来する天罰」という認識をしている市民も少なくありません。なお、ほぼ真実に等しい可能性を推察出来る唯一の人物(この頃、モビレア市の冒険者ギルドのギルマスに就任した)は、この件に関しては黙して語りません。
 




