第29話 ラザーランド商会、始動
第06節 冒険者という生き方〔1/8〕
翌日。俺は奴隷を買いに、奴隷商の許に赴いた。
どうやらボルドの奴隷商も、ハティスと同じく奴隷ランクを四段階に分けているようだ。
俺が購入予定の奴隷は、執事が1人、女中が2人、工場員が2人の合計5人。そうなると、執事は2級奴隷、女中は3級奴隷、工場員が4級奴隷の中から選べば良いだろう。
そうして執事と女中(女中の一人は兎獣人)を選び、5年契約(但し守秘義務は生涯)とした。
その後4級奴隷を物色したところ、目についたのは。
どう見ても兄妹に見える、二人の犬獣人の子供。
子供の奴隷、それも獣人族ともなれば、別に珍しくもない。だが、兄の方の目が死んでいなかった。そこに興味を惹かれた。
「そこの少年、こっちへ」
「……なんだよ」
「おぉ、精一杯虚勢を張って、頑張って踏ん張ってるんだな。
どうだ? 俺に買われるつもりはないか?」
「オレみたいな子供を買って、何をしようっていうんだ?」
「勿論、子供でも出来る仕事をさせようっていうんだ」
「何故俺を選ぶ?」
「一つは単純に安いから。もう一つは、お前の目が死んでいないから。
俺に買われるのなら、お前の妹も一緒に買ってやる。その上で、食事と寝床は保証する。
契約は5年を予定しているから、5年が過ぎたら自由の身だ。その後は正当な雇用契約を結んでも良い。
どうする?」
「オレたちに出来る仕事なら、大人の方がもっと効率的に出来るんじゃないか?」
「確かにな。だがお前が良い。
言ったろ? お前の目が死んでないって。
うちにも奴隷出身の猫獣人がいる。彼女もはじめは死んだような目をしていて大変だった。
だから、獣人であるお前たちが奴隷となった状況って奴も、ある程度想像はつく。
にもかかわらず目が死んでない。その毅さが気に入った。
それが理由じゃ不満か?」
「わかった。アンタに買われるよ。オレはラギ、妹はララだ」
「俺はアディ。他の家族は後で紹介する」
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奴隷5人と契約し、身嗜みを調えさせている間、俺は商人ギルドに行き従業員の募集を依頼した。
ちなみに、石鹸工場(つまり最終的にはラギとララの部下になる)の工員は、今回募集を見送った。というのは、募集対象を主婦層とするつもりなので、商人ギルドで募集しても集まらないからである。
奴隷たちを邸館に連れて帰り、それぞれの業務内容を説明する。当面、アナたちは事実上の奴隷頭として邸内のあれこれを切り盛りしてもらう。
そして、本格的に石鹸作りを始めることにした。
【ラザーランド商会】の主力商品の一つと位置付けるのは、石鹸。通常のソーダ石鹸と、重曹石鹸の二種類を作ることにしている。
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重曹石鹸の作り方は簡単だ。以前ビリィ塩湖でトロナを大量に採取してきているから。
トロナ(トロナ鉱石)とは、前世地球では『天然ソーダ』『重炭酸ソーダ石』等といわれる。ちなみに『重炭酸ソーダ』を日本語で省略すると、『重ソー』つまり重曹となる。
つまり、難しいことを考えずにトロナを砕けば重曹が出来上がる(厳密には、トロナは重曹――炭酸水素ナトリウム――と炭酸ナトリウムから出来ているが、食用としての使用でないのならあまり気にする必要は無い)。重曹を水で溶けば、液体重曹石鹸の出来上がり、だ。
一方でソーダ石鹸の方は、まず石灰石――炭酸カルシウム――を砕いて石灰窯で焼くと生石灰――酸化カルシウム――が出来、生石灰に水をかけると発熱し消石灰――水酸化カルシウム――になる。
また重曹を加熱すると炭酸ソーダ――炭酸ナトリウム――が出来上がる。
そして消石灰と炭酸ソーダを水に混ぜて加熱すると、炭酸カルシウムの粉末と苛性ソーダ――水酸化ナトリウム水溶液――が出来上がるのだ。
最後に出来上がった苛性ソーダと油を適量合わせ、攪拌して冷やすと、石鹸が出来上がる、という訳だ。
ところで。生石灰に水をかけると発熱する。つまり、これは顕熱反応である。「水属性は冷却を意味し、加熱を意味する火属性と相克する」という旧来の四大精霊論を否定する実例となるが、それは余談として。
灰石鹸は、苛性ソーダの代わりに煮詰めた灰を使うというモノで、pH値は低く洗浄力は大したことが無いが、材料費が安く上がることが強みである。
一方重曹石鹸は、東大陸ではほぼ全て西大陸からの輸入に頼る為、非常に高価になる。また、苛性ソーダを使ったソーダ石鹸は、抑々苛性ソーダ――水酸化ナトリウム――の製法が殆ど知られていない為お目にかかれない(地球の歴史では、天然ソーダ石が見つかるまでは、石灰に海水をかけて焼くという工程を繰り返すことで微量の苛性ソーダを生成していたと思われる)。
その為、一般に出回る石鹸は、灰石鹸と西大陸から輸入する液体重曹石鹸しかない。
そして、灰石鹸・ソーダ石鹸の別を問わずこれら油脂石鹸は、使用する油脂により品質が変わり、高品質な植物油は基本高価である。
しかし高品質オリーブは大量にラーンで仕入れてきている。輸入商品は船の積載量と航海の危険性との関係から、仕入れ値の20倍から50倍、物によっては100倍の値を付けても飛ぶように売れる。そしてトロナと石灰石は手作業で採掘した為、原価は事実上0。
結果、先行商品と同等次元のモノを原材料代で数十分の一以下、それに燃料代と人件費を加算しただけという、先行商品の十分の一の値付けでも利益が出る商品を製造出来るのである。但し、市場を混乱させないように先行商品の8-9割の値付けとするけれど。
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重曹石鹸や苛性ソーダ生成の為の重曹(粉末トロナ)を作る作業は、俺が〔振動破砕〕で担当する。
そして苛性ソーダの生成は、サリア監督の下、労働奴隷であるラギとララの担当。
苛性ソーダと油を混ぜて石鹸を作る作業は、現在はメラの担当だが、近いうちに雇用する従業員に任せることになる。
また石鹸と双璧を成す【ラザーランド商会】の目玉商品、ビタミン飴は、シェイラとサーラ、ナナの三人が担当している。
そしてその他の交易品目、香辛料などは俺の担当。
石鹸が販売品目に並ぶまではまだ暫くかかるが、香辛料にしろビタミン飴にしろ、利益率はかなり高い。そして卸売専門にしている為動く単位が大きい。
そんな頃だった。『光と雪の女王号』がボルドに入港したのは。
◇◆◇ ◆◇◆
「ラザーランド船長!」
「よう、アディ。元気してるか?」
「あぁ俺は相変わらずだ。船長は船乗りの誇りたる壊血病に罹ったか?」
「さっぱりだ。どうやら俺は海の精霊に嫌われているようだ」
くだらない話をしながら船主ギルドの喫茶室に入り、近況の報告をする。
「そうか、家を買ったか」
「あぁ。船長の部屋もあるぞ。陸の上じゃぁ寛げないかもしれないが、その辺は我慢してくれ」
「そんな贅沢は言わねぇよ。雨露凌げるだけで儲けものだ」
「で、何か面白い話はあったか?」
「面白いかどうかはわからんが、王都方面の情報を仕入れて来たぞ」
(2,994文字:2016/01/24初稿 2017/01/01投稿予約 2017/02/08 03:00掲載予定)
【注:各物質の合成反応については、Wikipediaの各項目などから編集しています。
石鹸の製法は永井良史さまのHP「男の趣肴ホームページ」内コンテンツ「せっけん」の項(http://www.ajiwai.com/otoko/zeal/sekken.htm)を参照しています。
また苛性ソーダ誕生の歴史については、サボン・ドゥ・ガール(ビレッジアンドラック株式会社)様のHP内コンテンツ「誰も書かなかった「石鹸誕生物語」」(http://www.v-and-luck.co.jp/savon/monogatari.html)を参考に、筆者の想像で空隙を埋めております】
・ ちなみに、重曹石鹸は水に溶かさない方が用途は広いです。が、ここでは敢えて「液体石鹸」として商品化する予定です。




