第24話 ハティスの噂
第05節 新しい生活〔3/7〕
「俺の口座で、俺の知らない資金の動き? なんだそりゃ?」
この事実は流石に驚いた。
だってそうだろう? この世界ではまだ預金利息などという考え方は無い。商人ギルドにお金を預けるのは安全の為であり、一般の人なら預託手数料を支払わなければならないものである。にもかかわらず、俺の預金が俺の知らないところで出たり入ったりする。
事情によってはギルドから全ての預金を引き揚げなければならないかもしれない。
「まずは、セレストグロウン騎士爵の俸給が15ヶ月分振り込まれております」
「あぁそうか、西大陸に向かった後は振込だったのか。それは完全に失念していた。
……て、15ヶ月?」
「はい、最後の振込は今年の夏の二の月です」
「そう、か」
つまり、夏の二の月まではフェルマール王国の財政部門は機能していたことになる。多分その頃までは王や王子たちも……。
「次に、ハティスの炭鉱使用権利料が合計2,655C」
「炭鉱使用料? それは孤児院会計の収入では?」
俺はハティスの鍛冶師ギルドでそう契約した憶えがあるが。
「炭鉱の所有名義人はアレクさんですので、アレクさんの別口座に振り込まれています。
こちらの口座は入金が昨年の冬の二の月まで。ただ、その後何度か引き出された痕跡があります」
「俺以外に、俺名義の口座を動かせる人間は誰がいる?」
「アレクさん名義ではありますが、同時に商会名義でもありますので、商会の役員であれば誰でも」
つまり、あの二人なら引き出せる、ということだ。
「最後に引き出されたのはいつ?」
「今年の秋の一の月に500C引き出されています。先月ですね。ただ、それ以降の取引があっても為替の決済が回っていない、という可能性もありますが」
先月。少なくとも、二人はまだ生きている。そして、そんな大金が必要ということは、子供たちも無事だということだろう。
「ハティスの、そして街の民のこと、何でも構いませんから教えてください。必要なら情報料を支払います」
「必要ありませんよ。誰でも知っていることですし。
ハティス市は、スイザリア軍の侵攻に寡兵で立ち向かい、殲滅されたと聞いています」
「殲滅、ですか」
「はい、領主を含め、生存者はおらず、それどころか陥落時に街に火を放ち、全てを灰にしたとか。そしてその戦いは全て、市民が避難する時間を稼ぐ為の行いだったと謂われています」
「避難民を率いるのは?」
「領主の奥方で、セラフ・エルルーサ=ハティス男爵夫人と聞いています。ご存知ですか?」
「良く知っています。俺の騎士姓『セレストグロウン』は、古い言葉で『セラのもとで育った』という意味ですから」
「成程。【セラの孤児院】の院長先生ですか。
何でしたら避難民たちの情報も集めておきましょうか? 場合によっては有償になりますが」
「是非お願いします」
◇◆◇ ◆◇◆
「では、アレク殿名義の口座の名義人をアドルフ殿と書き換えることとしましょう。
他に何かありますか?」
「幾つかあります。
一つは、家を買いたい。俺とその家族。全部で11人いる。それに客間や家畜の世話が出来る庭、そして鍛冶の工房も作りたいから、かなり大きな屋敷になると思うけど、物件はありますか?」
「ちょうど良い物件がございます。元フェルマール貴族の別荘でしたが、こういうご時世ですので、現在空き家となっております」
「そうですか、じゃぁ後で見せてもらいます」
「しかし、賃借ではなく購入をご希望で? どちらにしても居住者として扱われることになりますから、住民登録をして住民税を納付する義務が発生しますが」
「それで良いんです。ちょっと長く腰を落ち着かせるつもりですからね。
二つ目。新たに商会を立ち上げたい。
事業種目は貿易の卸と鍛冶製品の小売り。ただ、店も倉庫も無いからこちらは賃貸物件を当たりたい。これは焦らない――屋敷が決まって落ち着いた後の話ですが――ですけどね」
「かしこまりました。良い店舗を探しておきましょう。ご希望はありますか?」
「貿易の為の倉庫は当然港湾区に、鍛冶の店は屋敷――工房――に近い所の方が良いと思う」
「鍛冶工房は店ではなく屋敷の方に作るので?」
「俺たちの私用で使うものも作りますから。屋敷の方が有り難いんです」
「かしこまりました。商会名はどうします?」
「そうですね、【ラザーランド商会】としておきましょう」
「【ラザーランド商会】ですか。ちなみにその名の由来は?」
「貿易事業で指名取引することを既に決まっている船の船長の名です」
「わかりました。【ラザーランド商会】で仮登録しておきます。役員と出資者は?」
「出資者は俺一人、役員は俺とシェイラの二人」
「ではそのように」
「三つ目。今俺が使っている口座と為替の名義を【セラの孤児院】から【ラザーランド商会】に書き換えてほしい」
「その方が宜しいでしょうね」
「そして、俺のもう一つの口座、【セラの孤児院】名義の口座に、5,000C振り込んでおいてください」
「! それは……」
「俺は今【ラザーランド商会】を立ち上げたが、【セラの孤児院】の役員を辞任した訳じゃない。なら変わらず両方の口座を動かす権利がある筈です。違いますか?」
「いえ、その通りです。わかりました。すぐに手続きします」
「最後に、その口座からお金が引き出されるとき、引き出した人に対して託してほしいのですが、出来ますでしょうか?」
「何と?」
「『旅の無事を祈る』、と」
「畏まりました」
◇◆◇ ◆◇◆
無事名義の書き換えも終わり、俺たちは全員で新しい家の下見に行った。
場所は都市の中心街からは離れた北西部にあり、都市の北を流れる河の河口(河口南岸が港湾区)を見下ろす丘の上に建つ三階建ての邸館であった。
北は港を見下ろす崖となり、東は雑木林を挟んで港へ続く林道がある。西はそのまま海へと続く崖で、南は中心街へ通じる道を挟んで(おそらくこの邸館の以前の持ち主が狩猟遊びに使っていたのであろう)林があった。
邸館の形は『H型』であり、1階の『H』の下の足の部分が厩舎と車庫、『H』の上の足の部分が食堂とダンスホール。『H』の胴体部分がホールで『H』の上の部分にサロンがあり、更にそこから庭園に通じている。
2階は『H』の下の足の部分が使用人住居と倉庫等、『H』の上の足の部分がギャラリーや貴重品陳列室。『H』の胴体部分が寝室である。
3階は基本全部が生活スペースとなっている。
また邸館の外、西側(『H』の上のサロンから出入り出来る)には大きな庭があり、それこそ園遊会でも開けそうな雰囲気だが、寧ろ家畜や家禽を飼育するのに充分な広さといえる。
井戸は庭と屋敷の中庭にそれぞれあり、しかし浴場はなかった。
「如何でしょう? 今ならかなり勉強させていただきますが」
「というか、うちの連中はもうここに住むことを決めているようですね。契約させてください。
その上で、色々改装もしなければならないので、業者を手配してくださると助かるのですが」
(2,963文字:2016/01/19初稿 2016/11/30投稿予約 2017/01/29 03:00掲載)
【注:アディがボルドで購入した邸館は、〔中島智章 訳・監修『VILLAS 西洋の邸宅 19世紀フランスの住居デザインと間取り』マール社2014 P.104〕を参考にしています】




