表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生者は魔法学者!?  作者: 藤原 高彬
第五章:「逃亡者は社会学者!?」
191/368

第10話 滅びの理由~不生~

第02節 王国炎上〔3/4〕

「何故、なの?

 どうして周辺諸国は同時に我が国に宣戦布告したの?

 どうして国内の貴族の多くが王家に離反したの?

 我が国はそんなにも邪悪な国家だったの?

 王家はそんなにも(うと)まれていたの?」


 ルシル姫が衝撃(ショック)を受けるのも、わからなくもない。しかし。


「逆でしょう。フェルマールの外交は寛大であり、王家は善良でした。

 だからこそ、周辺国は()()むことを考え、国内の貴族は逆に王家を疑ったんです」

「どういうこと? 善良だから疑う? 訳がわからないわ」


「誠意を(もっ)て接すれば、相手も誠意を以て返してくれる。

 よく言われる言葉ですが、これを文字通り受け止めてはなりません。

 こちらが誠意を以て接したからといって、相手も誠意を以て返さなければならないという理由は無いのですから。これは、『自分が腹に一物(いちもつ)抱えているのなら、相手に誠意を求めるな』『相手に誠意を求めるのなら、まず自分が誠意を見せろ』という程度の言葉なんです」

「では貴族たちの一挙手一投足を疑ってかかった方がよかったというの?」

「全面的に信じるよりも、誠意を以て疑う方が良好な関係を築く足掛(あしが)かりになります」


 夫婦関係に例えればわかり易い。

 配偶者(はいぐうしゃ)の行動の全てを信じて疑わない人は、配偶者に裏切られることが多い。

 これは『疑わない』ことが(すなわ)ち『無関心である』と相手に認識されてしまうからである。

 その場合次に来るのは、相手を『試す』ことだ。

 小さな火遊びをし、それを見咎(みとが)められて(たしな)められれば、(むし)ろそれで安心する。

 しかしその火遊びに気付かれなければ、それはどんどんエスカレートし、やがては取り返しのつかない絶望的な(みぞ)を掘ってしまうのだ。


「俺は、マキア王国が特殊な例だと思っていました。

 300年前の屈辱(くつじょく)を胸に秘め、フェルマールに一矢(むく)いる為に忍辱(にんにく)の日々を過ごし、また善良な顔でルシル姫に近付いてその心を奪い、国を滅ぼさんと目論(もくろ)んでいた、と。

 俺は、ベルナンド辺境伯が特殊な例だと思っていました。

 ベルナンド辺境伯が王家の目を()(くぐ)り、蓄財し、享楽(きょうらく)の限りを尽くしていたのだ、と。


 だけど、違ったんです。

 フェルマールは能天気な(ほど)に他国を信用し、だから全ての国に背を向けられていても気付かなかった。

 王家は盲目的な信用を貴族たちに向けていたから、その不正も内応も察知し得なかったんです」


 と、ここまで言った時、(はた)で聞いていたサリアが、場違いながらも手を挙げて発言した。


「ねぇアレク君。この場で言うのも何だけど、フェルマールって前世のあの国に似ていない?」

「似てない。

 国民が平和ボケしていたあの国と、王家が平和ボケしているフェルマールは全く違う。

 国民が平和ボケしていられるのは、政府が(たみ)の見えないところで血と汗を流しているからだ。けど王家が平和ボケしていれば、血を流すのは民になる。

 サリアは、あの国の憲法の前文を覚えているか?」

「えっと、流石(さすが)に全部は覚えてないわよ。『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して』ってフレーズは覚えているけど」

「そのフレーズで充分。

 多くの人は、そのフレーズを『他国の(たみ)も平和を愛しているんだから、その国の政府は公正と信義に基づく外交を行うと信頼している』と解釈する。だから現実無視の平和憲法と(わら)われることになる。

 だけど、『信じることは誠意を以て疑うこと』と考えると、その意味はまるで逆になる。

 あの国は軍事に()らず、外交と経済で国際社会を泳ぎ抜くことを決めた国だ。それは諸外国に対する盲目的な信用とは、真逆の方向性でありながら、憲法の精神そのままの()(よう)でもあるんだ」

「そんな考え方、初めて聞いた」


「仏教には『不生(ふしょう)』っていう考え方がある。

 これは『心に雑念妄想(もうぞう)を生じさせない』っていう意味だ。般若(はんにゃ)心経(しんぎょう)に『不生不滅、不垢(ふく)不浄(ふじょう)、不増不減』ってフレーズがあるだろう? 『(心に)何も生じず何も減じず、(あか)もなく清浄(せいじょう)なるもなく、増えもせず減りもせず』、それが(さと)りの境地だって言っている。

 また、盤珪(ばんけい)禅師(ぜんじ)っていう江戸時代の偉い和尚(おしょう)さんが説いた禅の道に、『不生禅』っていうのがある。悟りを開く為の方法(ノウハウ)の話としても解釈されるんだけど、これは『不生』を(つらぬ)くのはまず無理だから、なら生じたものを一つずつ否定していけば良い、という教えなんだ」


 たとえば『真実の自分を知りたい』と望むのなら、『自分とはどういう人物なのか?』と問い続ける。それで出た答えを、片端から否定していく。人間は色んな顔があるのだから、『俺はこういう人間だ』という答えには必ず否定出来る要素がある。これを無限回(・・・)繰り返せば、本当の自分に行き当たる、ということである。


「仏教、それも盤珪和尚の属していた臨済宗(りんざいしゅう)は、幕府とも縁が深い。つまり、統治者に必要な心構えをも説いているんだ。

 この『不生禅』の考え方で専制君主主義国家の統治を考えたとき。信用する貴族がいるというのなら、その“『信用出来る』という考え”(生じたもの)をまず否定する。そして誠意を以て疑う。その疑いも否定された時、(ようや)くその相手を『信用出来る』。それを無限回繰り返すのが、君主に求められることなんだ」


「だが、配下の貴族を疑うのは、騒動(トラブル)(タネ)にしかならないのではないか?」


 いきなり始まった憲法論や仏教論に目を白黒させていたシルヴィアさんだったが、それでも話が君主論になり、理解出来る内容になったからか、言葉を(はさ)んできた。


「仲良し倶楽部(クラブ)じゃないんだから、(なご)やかな関係を維持する必要はないでしょう?


 マキアに対し最友好国などという言葉に甘えず誠意を以て疑っていれば、もっと早くに『300年の(カンタレラ)』に気付けた(はず)。そうすれば、もっと穏便(おんびん)に解決することも出来たかもしれないし、少なくとも軍事衝突は避けられた。

 ベルナンド辺境伯に対し誠意を以て疑っていれば、領軍の粉飾と国費の横領を見つけ出すことが出来た筈。そうすれば、開戦に至ったときに兵がいない、等というくだらない問題にはならなかった。(いや)それ以前に充分な戦力を保持していれば、マキアだってそう簡単に開戦に踏み切れなかった筈なんだ。カナリア公国が20年以上もロージス地方に再侵攻出来なかったように。


 疑って、それが宮廷での騒動の種になったとして、その結果戦禍(せんか)を遠ざけることが出来るのなら。王家として取るべき道は、どちらが正しいかなど、問うまでもないでしょう?」

(2,887文字⇒2,550文字:2016/01/07初稿 2016/11/30投稿予約 2017/01/01 03:00掲載 2022/06/06複数の誤字衍字修正)

【注:日本国憲法(昭和二十一年十一月三日憲法)前文より引用。なおその解釈は筆者の独自見解です。

 ここで使われる『忍辱』という言葉は、仏教の六波羅蜜に謂う『忍辱』ではありません。

 般若心経は、正しくは「摩訶般若波羅蜜多心経」といいます。

 盤珪永琢1622.4.18~1693.10.2、臨済宗妙心寺派の僧侶。(いみな)は永琢。(あざな)は盤珪。諡号(おくりな)は仏智弘済禅師・大宝正眼国師。なお『盤珪禅師』という呼び方は正式なものではありません。また『不生禅』についての解説は、盤珪永琢の言葉そのままではなく、後世の解釈の一つです】

・ なお、同じく臨済宗の僧侶である至道無難禅師は、「殺せ殺せ 我が身を殺せ 殺し果てて 何もなき時 人の師となれ」と教えています。「信じる」という心さえも甘えの一つと喝破しているのですね。

・ サリア「般若心経の内容なんか、普通知らないわよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ