第09話 フェルマール戦争~北部戦線~
第02節 王国炎上〔2/4〕
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スイザリア水軍の火船により、マキア領に遠征したフェルマール軍はマキア領内で孤立を余儀なくされた。このまま戦えばやがてベスタ山脈は雪に鎖され、遠征軍は(半敵地である)マキア領から撤退出来なくなる。かといって雪が降る前に撤退しては、マキア領に対するスイザリアの支配権が確立してしまう。
文字通り二進も三進もいかない、というのがフェルマールの遠征軍司令部の本音であった。
だが、話はそれどころではなくなった。リュースデイルの関が破られ、南ベルナンド地方にスイザリア軍が侵攻を開始したというのだ。この報により、最早選択の余地が無くなった。マキアに留まっていれば、雪が融けた時には彼らの帰るべき場所が無くなる。遠征軍は、マキアを放棄することを決定した。
とはいえマキア王都に駐留していた遠征軍が、ベスタ山脈を越えてブルックリンに辿り着くよりも、スイザリア軍が北ベルナンドの領都ベルナンドに進出する方が早い。誰がどう考えてもそれは自明である。その為司令部は、スイザリア軍の補給線を断ったうえでその後背から攻め、これを壊滅させるという作戦を承認した。
ところが、遠征軍がブルックリンに到着した時、スイザリア軍はブルックリンに布陣していた。その為『毒戦争』のブルックリンの戦いと攻守を逆にした陣を敷くことになってしまったのである。
遠征軍は知らなかった。ハティスの戦いに於けるスイザリア軍の損耗が想像以上であった為、スイザリア軍はフェルマール王国王都フェルマリアへの侵攻を断念し、南ベルナンド地方の平定に舵を切っていた。そしてその為には、マキア遠征軍をベスタ山脈で撃滅する必要があったのである。
加えてスイザリア軍にとって、フェルマール軍の援軍は考慮する必要が無かった。
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カナン暦702年冬の三の月。
リングダッド王国軍は、5年前に藩属国としたガウス共和国領内を通過して、フェルマール王国領内に侵攻を開始した。
また時を合わせてカナリア公国とリーフ王国が同時にフェルマールに宣戦布告した。
カナリア公国はカナン帝国の正嫡を自称し、カナン帝国の領土を回復することを国是としている軍事国家であり、フェルマールとは幾度となく干戈を交えていた。最後の戦闘が終わったのは681年。この時はフェルマールの勝利であり、それ以前までカナリア公国の領土とされていたロージス地方がフェルマールに編入され、ここにロージス辺境伯が置かれることになった。
当然ロージス辺境伯領軍は王家近衛軍・王都防衛軍に次ぐ第三位の実力を持つ(規模でいえば嘗てのベルナンド辺境伯領軍の方が大きかったが、その実態は粉飾されたものであり、実際はロージス辺境伯領軍の比ではなかった)。
しかし、ガウス共和国領を通過したリングダッド王国軍との二正面作戦となるとさすがのロージス辺境伯領軍も苦戦を免れなかった。だが辺境伯は歴戦の勇士であり、最悪領内を焦土としてでもこの二ヶ国軍を阻止出来る自信があった。
リーフ王国と国境を接する、アプアラ辺境伯が寝返るまでは。
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「いったいどうすれば良いんだ!」
ユーリ・ハーディ=ビジア伯爵は狼狽していた。
隣接するアプアラ辺境伯が、「王国を守る三枚の盾」のうちの一枚が、王国から離反することなど、一体誰が想像出来ようか。
ビジア伯爵領にも当然領軍は組織されているが、それは対外戦争を想定した兵力ではなく、その規模も質もアプアラ辺境伯領軍に大きく劣る。軍事衝突が起こったら、その結果は明らかである。
勿論、アプアラ辺境伯が真直ぐビジア伯領を攻めるとは限らない。事実上フェルマール最強のロージス辺境伯領軍をカナリア公国軍・リングダッド王国軍と共に包囲殲滅を優先する可能性も高い。しかし、どちらにしても時間の問題である。何故ならビジア伯領は、リーフ王国とフェルマール王国王都フェルマリアを繋ぐ街道上にあるからだ。
「旦那様。王国の滅びは最早避けようもございません。ですので旦那様もご決断ください」
「決断? お前は私に王家に牙を向けよというのか!」
ビジア伯爵は、今年結婚した若い妻の言葉に激昂した。
しかし、夫人は静かに首を振った。
「否。ですが旦那様が守るべきは領民でございましょう? 民を守る為の最善を尽くすべきだと思うのです」
「私は腐ってもフェルマールの貴族だ」
「旦那様の忠義を批判するつもりはございません。ですがその忠義に領民を巻き込み、勝てない戦に身を投じることは、果たして民にとっての幸せといえるでしょうか?」
「お前は平民出身だからそう考えるのかもしれないが――」
「平民どころか貧民街出身ですわ。そして貧民の救恤を――人気取りではなく――行える貴族を、私は某騎士爵しか存じ上げておりません。
今この時、旦那様がすべきことは、民を守ることです。王家に牙を剥く必要はございません。領境の関を開け、一切の軍事的対立を避けましょう。必要ならリーフ王国軍やアプアラ辺境伯領軍に糧秣を提供することも考えましょう。
そして自治と独立を確保した上で、次に打つ手を考えましょう」
とある貴族の後見を得て、孤児院出身でありながらビジア伯爵家の侍女となり、やがて正室に迎え入れられた夫人は、領民から『賢者姫』と慕われていた。その出自から平民に対しても分け隔てなく接し、平民の生活を向上させ、それが明確に税収と治安に反映されることで、貧民街出身の伯爵夫人に否定的な感情を持っていた家人たちも夫人の政策が伯爵家にとって利のあるものと認めるようになっていた。
孤児として幼年期を過ごした筈の彼女は、しかし為政者としての教育を受けた伯爵より大局的にものを観、国家を語り、民を愛していたのである。
「其方の師に、是非一度会いたいものだな」
「ええ。この戦乱が終わったら是非。私も、先生に私の選んだ旦那様を自慢したく存じます」
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ビジア伯爵領は、事実上の独立と中立を宣言し、フェルマール戦争に介入しないことを選択した。それにより、伯爵領内では(小さないざこざはあれども)戦禍を遠ざけることが出来たのである。
そしてそれは賢明な判断だった。フェルマールの領有貴族は、まるでオセロのように次々に王家からの離反と侵略国への内通を表明し、外圧よりも内部崩壊の様相を呈していたのだから。
カナン暦703年の夏には、最早フェルマール王国の命運が尽きたことは、誰の目にも明らかだった。
(2,881文字:2016/01/07初稿 2016/11/02投稿予約 2016/12/30 03:00掲載予定)
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