第05話 シェイラの戦い
第01節 騎士王国からの脱出〔5/7〕
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時間は少し遡る。
夜明け前にマーゲートの町に着いたシェイラは、隠形を保ったまま(関所を無視して)町の中に入った。
アレクからの指示と現状を考えると、町の中で合法的な活動などは最早考えるべくもない。たとえば物資の調達一つとったとしても、合法的手段を選択すれば足跡が残る。可能な限り痕跡を残さないように活動しようとすれば、もはや非合法活動しか有り得ない。
そうなると、考えるべきことは二つ。何処から調達するか、そして何処に確保するか、た。
『光と雪の女王号』は、往復分の物資を積んでいるとは思えない。なら、最高に上手くいって、船が入港したと同時にアレクたちが町に到着し、すぐに船に乗って再出港、となると、物資を搬入する余裕が無くなるから、船員もアレクたちも飢えることになる。別の港で物資を調達する? でもどこで?
つまり、船員(約150人)とアレクたち(合計11人)の物資を調達する。これは膨大な量になる。以前アレクに教えてもらった考え方で、水は一樽で約40日分と計算出来る。つまり、10人で四日分だ。これを161人の90日分となると、363樽必要になる。アレクは「安全係数」(何があるかわからないから用意する余分な量)を2倍として計算するから、ざっと725樽になる。こんな大量の水、〔無限収納〕を持つアレクだから持ち運べるとしか言いようがない。
その他穀物は約20t、肉類約4.5tが単純計算で必要になる(シェイラは重量単位をまだ把握出来ていないが)。港町、それも商港である以上、その程度の物資を調達することは可能だろうが、それを船が来るまで確保する(この場合は隠し置く)必要があるとなると、その難易度は跳ね上がる。そうなると。
シェイラが選んだのは、かなりリスキーな方法であった。それは即ち、遠からず騎士王国軍の迎撃隊がやってくる。その戦闘糧食を収奪すれば良い、というものだ。
勿論、それだけに頼るつもりはない。確保出来る物資は早い段階から確保に動くべきだし、同時に情報収集もしなければならない。
そう考えると、寧ろマーゲートの町にあるフェルマールの領事館とは連絡を取らない方が良い。アレクの指示には領事館の人間を保護せよ、というのは無かったのだから。
狙うは軍の備蓄と豪商の倉庫。
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シェイラがマーゲートに到着した日の午後。早馬が町の庁舎に入っていった。
隠形を維持したまま庁舎の様子を窺うと、アレクたちの逃走が露見したようだ。王都駐留近衛騎士団が全滅したことを受け、マーゲート駐留の騎士団のみならず、騎士王国南方の各都市からの援軍を招集し、数千人、或いはもしかしたら万に達しようかという大軍を以てほんの10人程度(戦闘要員は魔法専業を含めて4人)を迎え討とうとしているようだ。
だけど、アレクにとって「大軍」というのは怖れる対象にはならない。一箇所に纏まっていてくれるのであれば、それこそ〔星落し〕なり〔酷寒地獄〕なりで片付けてしまえば良い。
寧ろ意外だったのは、騎士王国は北に逃げたアレクたち一行に対する追捕は行わず、マーゲートに戦力を集中させたことだろう。アレクの「戦力を分散させる」という構想は瓦解した、と言わざるを得ない。
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そしてこの頃。とある盗賊団の噂がマーゲートの町の内外で野火の如く広がっていた。
曰く、倉庫にあった物資の奥の方から三分の二がいつの間にか奪われた。
曰く、軍の兵糧や武具がいつの間にか空になっていた。
曰く、マーゲートに向かう商隊が全滅し、馬も積み荷もひとつ残らず奪い去られた。なお商人や護衛は一人残らず斬り殺されていた。
町の治安当局や駐留軍などは、当然これだけの膨大な物資をどこかに貯蔵している筈だと町の隅々と町の近くの森などを調査したが、その調査に赴いた兵士や冒険者の6割は未帰還となっていた。
当然集結した騎士団にとって、これがフェルマールによる妨害工作であると想像することに難くない。しかしどれだけの人数が動員されているのかは、まるで想像がつかない。
当面フェルマールの領事館を包囲して監視するのが関の山だが、こちらも怪しい動きは認められない。
誘うつもりで商隊に正規軍騎士を派遣したものの、結果は同じ。寧ろ貴重な戦力を消費する結果になってしまった。
もっとも、一時的に物資不足による治安の悪化が懸念されたが、海からの物資の搬入によりこの問題は解決した。倉庫内でも盗賊による襲撃が予想されたが、毎日在庫数量を確認したところ、盗賊が一回に持ち出せる量には限りがあることが判明。その量(物資一樽程度)から考えると、子供一人が〔亜空間収納〕に入れられる量であり、即ち実行犯は子供一人、と結論付けられた。
毎度侵入と持ち出しを許してしまうのは業腹だが、その程度なら大勢に影響はない。またその盗賊がフェルマールの関係者なら、王女の船(『光と雪の女王号』)が入港したらそこに搬入するつもりだろう。ならそのタイミングで押さえれば良い。
そう考え、奪われた物資の行く末を考えるよりその盗賊を捕縛または殺害することに、目的を変更した。
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ある時期から、早朝、森の一角で光が明滅した。
それが何なのか、それ以前にそれに何の意味があるのか。気付いたものさえ少なく、気付いたものの中でもその意味がわかる者はまだいなかった。
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「ようやく、マーゲートが見える位置までこれたね」
「アレクが寄り道した所為で、ここまで長かったけどね」
ビリィ塩湖周辺は、はっきり言って暑かった。
そもそも塩湖は「流入量より蒸発量の方が多い」という条件が成立した場所にある湖がそうなるのだ。そして蒸発量が多い、ということは、植物が少なく空気が乾燥している、ということでもある。ましてや今は夏の一の月。太陽暦に直したら5月頃である。5月とはいえ夏の乾燥地帯(の端っこ)が、暑くない筈がない。
普通、旅をしている時の水は、生活魔法の〔創水魔法〕で水を創る。しかしこれは、空気中の水蒸気を集めて水にしているだけであり、抑々乾燥地帯の空気中には水を創れるほどの水蒸気が無い。
覚えた冷却魔法で空気を冷やそうにも、その媒体となる氷を作れなければ効果が無い。仕方なく、〔冷却〕で樽の中の空気を冷やし、その樽の口を任意の幅で開けることで、冷気を荷馬車の中に齎した。
そんな苦労をしながら馬車を走らせ、マーゲートを見下ろす丘の上に着いた時。
マーゲートを囲むように展開する八千近い軍勢と、その向こうにある森の一角から灯台の如く光信号を発している様子を目の当たりにするのだった。
(2,669文字《2020年07月以降の文字数カウントルールで再カウント》:2016/01/04初稿 2016/11/02投稿予約 2016/12/22 03:00掲載 2021/01/30衍字修正)
【注:下記穀物・肉類の一日当たり必要量は、Wikipediaの「兵糧」の項(https://ja.wikipedia.org/wiki/兵糧)の大日本帝国陸軍給食令の兵食の平時食糧換用品を参考にしています】
・ ここでの水の量は1樽=40日分とし、また1樽=1barrel=119.24Lで計算すると、用意する水の量としては(1/40)樽/日×90日×161人×安全係数2.0=724.5樽=86,389.38L。3L/日×90日×161人×安全係数2.0=86,940Lという計算結果とそれほど大きな違いはありません。また穀物必要量は、穀物一日675g(675g×90日×161人×安全係数2.0=19.5615t)、肉類一日150g(150g×90日×161人×安全係数2.0=4.347t)という計算から来ています。
・ ちなみにシェイラは非正規戦では無敵です。高度に熟達した隠形に加え〔気配隠蔽〕で音と匂いを隠し、離れては鉄串や苦無を〔射出〕で、接近しては脇指『白鷺』と『千鳥』で音も抵抗も無く切り捨てられます。万一発見されたら〔空間機動〕で空に逃げるだけ。調査担当者の4割が生還出来たのは、寧ろ相手をミスリードする為に見逃されただけです。
 




